音楽ストリーミングサービスの世界シェアトップを走るSpotify(スポティファイ)ですが、ここに来て超大物ミュージシャンたちが次々とアカウントを引き上げるという状況に見舞われています。一体何がこのような事態を招いてしまったのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、スポティファイがミュージシャンから見限られた原因を解説。さらにこの騒動で顕在化した「デジタル時代ならではの恐ろしさ」についても記しています。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2022年2月8日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
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大物ボイコットで揺れるスポティファイと「言論の自由」
サブスクを買うと無制限に音楽が聴けるストリーミングのサービスでは、アップル社の「アップル・ミュージック」が必死になってシェア拡大に走っていますが、今でも世界でのトップはスポティファイです。スウェーデンの企業で、GAFA的な巨大企業という悪印象がないのと、UIがまあまあ洗練されていて、特にスマホとPCの連動がスムーズとか、顧客満足度は悪くないようです。
また、何よりも「無料会員」という制度を維持しているのが、シェアを維持している秘密だと思います。無料会員だと、ガンガン広告を聞かされるとか、再生順なども自由にならないという問題はあるのですが、タダより安いものはないということで普及しています。また気に入ったら無料から有料にシフトするという格好でのマーケティング効果もあるんだと思います。
このスポティファイが揺れています。まず、ロックの大物、ニール・ヤングが、「アカウント引き上げ」を断行してショックを与えました。これに盟友グラハム・ナッシュが続いたのは分かるとして、この動きに連帯するとして超大物のSSWジョニ・ミッチェルまで引き上げを断行、アメリカの音楽界は揺れています。
騒動の原因は、ネトウヨ系(日本風に言えばそんな感じです)DJのジョー・ローガンのポッドキャスト「ジョー・ローガン経験(Joe Rogan Experience)」の内容が「目に余る」ということです。特に、アンチワクチン陰謀論のメッセージが垂れ流しになっていることに、ヤングが我慢ならなくなったというのがキッカケでした。
ローガンというのは、格闘技の解説者やコミック(漫談)芸人だったりという経歴のコメンテーターですが、口がうまいのと「陰謀論が大好き」といったノリで人気を獲得しています。その延長で、ワクチン陰謀論を展開したところ、アンチワクチンのリスナーがウヨウヨと湧いてきて、このポッドキャストに集結してしまったというわけです。
ニール・ヤングという人は、言ってみれば「団塊ヒッピー文化のチャンピオン」的な人物ですから、筋金入りのリベラルです。また、若い時にポリオに罹患していること、そしてワクチンがポリオ撲滅を実現した歴史を身をもって体験していることから、アメリカの保守派を中心とした「ワクチン陰謀論」に対しては、相当に苦々しく思っていたようです。
また、スポティファイに関しても、創業時には「アーティストに金銭的な還元を」といった美しいメッセージを掲げていたのですが、その後は参加アーティストが思い切り広がる中では、収益金というのが「薄く広く」しか入ってこなくなっており、ヤング自身かなり文句を言っていたようです。
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あとは、サービスの音質の問題があります。スポティファイの場合は、有料会員(プレミアム)が最高音質を選んだ場合、ストリーミングでもDLでも最高320kbsのMP3クオリティになります。スマホで聞く分にはまあ十分と思いますし、微妙にイコライザをかけている(らしい)音作りが上手で、特に不便は感じません。
ですが、大型機器でモニタースピーカなどを鳴らすとボロが出るわけで、この点に関しても、特にオーディオにうるさいヤングは、前々から意見を言っていたという情報もあります。こうした声を受けて、またアップルが「ロスレス・ハイファイ」をやると宣言し始めたことから、スポティファイも2021年の初めに「自分たちもロスレス・ハイファイ」をやると表明していました。
具体的なスペックは分からないのですが、24ビットで、クロスオーバの周波数は96とかという俗にいう「ハイレゾ」になるという期待が高まっていたのです。ところが、発表から1年を経た現在も、ローンチの気配はありません。この間、インフラはどんどん進んでいるし、通信コストの問題も良くなっているのですが、ハイファイ化によって巨大化するファイルの格納など実務的な作業に時間がかかっているのか、よく分かりません。
もしかするとファイルの収納場所となるクラウドのサービスについてAWSなどとの価格交渉が難航しているのかもしれません。この点についても、ヤングという人はロッカーの中でも有名な「オーディオこだわり派」なので、色々と文句を言ったり、これまでもモメたりしていました。この「音質問題」も背景にはあると思います。
問題をややこしくしているのが、スウェーデンという国の立ち位置です。まず、アメリカではないので、アメリカの常識がダイレクトには通用しません。勿論、ネットには国境はないので、基本的にはグローバルサービスということで、倫理とかレギュレーションということでは国際的なルールが優先されます。また、スウェーデンはEU加盟国なので、そのルールも適用されます。
そうした観点からすると、「アメリカ以上に言論の自由を保証」ということになります。例えば、アメリカの場合はバイデン政権が強く指導しているので、SNSや動画配信などを通じた「アンチワクチン陰謀論」は削除されます。ですが、スウェーデンの場合は「もっと強い自由」があるというわけです。
ローガンというDJの発言は、アメリカ基準では「ダメダメ」でも、言論の自由が保証されたスウェーデンでは「ポッドキャストが削除されない」ということになるわけです。その結果として、ローガンは、アメリカ発のアメリカ人向けの陰謀論を、スウェーデンのサーバを借りて言いたい放題やっているという構図になっています。
ヤングが許せないと思ったというのには、この点もあると思います。スポティファイの側も、事態を憂慮しているようですが、とにかく「言論の自由」という金科玉条があるのでなかなか動きが取れない中で、徐々にローガンのコンテンツの削除を進めています。そんな中で、決定打となったのは、過去のローガンの発言の中に「人種差別にあたる決定的なNワード」が使われていたというネタであり、この問題をタテにしてようやく「ローガンのコンテンツ」に対する規制が始まったわけです。
ただ、スポティファイの態度はまだまだ中途半端です。露骨な陰謀論ネタのコンテンツは削除されていますが、短いメッセージなどでは相変わらず自説を堂々と展開しています。今でも、スウェーデンのサーバということを利用して言いたい放題というのは変わりません。「俺はニール・ヤングのファンなので、今回の事態は残念でならないが、言論の自由を守るためには妥協しない」などというローガンのメッセージが今でも堂々とアップされているのです。「正直言ってヘイターにも感謝だ。俺の主張を世間が再検討する機会をくれたからだ」などというのですから、図々しいにも程があります。
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しかし、ヤングもそうですが、ジョニ・ミッチェルが「引き上げ」になっているのは困ったものです。ミッチェルといえば、北米の音楽界では不世出の才能であると同時に、音楽史の流れを書き換えた巨人だと思います。彼女がいなければ、以降に続く多くのSSWは出なかったでしょうし、今でも若い世代に対して刺激を与え続けているからです。
とにかく、スポティファイで「アカウントを引き上げる」というのは大変なことです。これまでも時々見られることですが、アルバムの中で、数曲だけ「作曲者の許諾が出ない」とか「参加ベーシストがアンチ・ストリーミングで許諾しない」と言った場合があり、そうした楽曲は文字が薄くなっていて、曲名は見えるけれど再生はできないという場合があります。
ですから、ジョニが「引き上げた」としても、各人のプレイリストのジョニの曲については「表示が薄くなって暫定的に再生できない」という措置になるようなイメージがあります。
ですが、違うのです。
ジョニ・ミッチェルの存在も、そのアルバムや楽曲の存在も、各人のアカウントから見られるアプリ上から「完全に抹殺・消滅」されているのです。例えば、ジョニのヒット曲をピックアップして、そこにジョニにインスパイアされた90年代とか00年代のSSWの曲を散りばめたプレイリストを作っているとして、そのリストからジョニが「消えている」のです。これはショックです。
その意味で、ストリーミングは怖いですし、同じように電子書籍も怖いと思います。その時代の価値観や社会情勢、法律、権利者の姿勢などが揺れ動いても、物理メディアであれば、買ってしまえば自分のものですが、サーバ上のデータへのアクセス権などというのは、企業や権利者や権力者の判断で「瞬殺」されてしまうからです。
ローガンは「残念ですね」などと殊勝なことを言っていますが、自分が言論の自由の首を絞めていることには全く気づいていないし、スポティファイもリスニングの延べ時間(回数かける時間、ローガンのコンテンツは2時間から3時間越えと長い)のために、巨額のマネーが動く中では、ローガンを簡単には切れないようです。
ということは、トラブルが長期化する可能性もあります。ジョニに触発されて、もっと色々なアーティストがボイコットに動く可能性もゼロではありません。そうなると、ユーザーのプレイリストはどんどん瞬殺されて楽曲が消えていくというホラーのような状況になるかもしれません。今回の騒動は、そうしたデジタル時代の怖さを感じる事件でもあります。
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