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だから維新は嫌われる。足りぬ政治学の基本、勉強し直して国民政党に脱皮せよ

参議院選挙の一部選挙区での選挙協力を進めていた日本維新の会と国民民主党が2日、合意を白紙に戻すことがわかりました。28日には「破棄なら破棄でいいですから。そういう政党だということです、国民民主党は」と声を荒げていた松井一郎代表。参院選でさらなる飛躍を目指していた維新の会には大きな痛手となるかもしれません。そんな維新の会に対し、「大阪という地方政党から、国民政党に脱皮することが必要」と説くのは、立命館大学政策科学部教授で政治学者の上久保誠人さん。上久保さんは今回、維新の会が新たな政策を始めていることは評価すべきとしつつ、国民政党へと変化するために必要なことを提示しています。

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)
立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

維新の会は大阪という地方政党から国民政党に脱皮せよ

参院石川選挙区補欠選挙が4月24日に投開票されて、比例から転じた自民党の宮本周司氏(公明党推薦)が当選した。この補選は、岸田文雄首相や泉健太立憲民主党代表など、与野党の幹部が次々と応援に入り、今夏の参院選の前哨戦と位置づけられていた。

選挙戦では、宮本氏が安定した戦いを展開した一方で、野党側は候補者を一本化せず、各政党がそれぞれ公認候補を擁立したが、存在感を示せなかった。補選の結果は、野党が選挙の候補者を一本化する「野党共闘」の崩壊をあらためて示した。

野党共闘は、これまでもほとんど期待された結果を出すことができなかった。16年、19年の参院選で、野党共闘はそれぞれ11、10の選挙区で勝利した。しかし、「野党が候補者を一本化できれば自民党に勝てる」と期待されたほどの成果ではなかった。

昨年10月の衆議院議員総選挙では、野党共闘は改選前より議席を減らしてしまい、自公連立政権の継続を許してしまった。選挙前、新型コロナウイルス感染症への対応や、東京五輪・パラリンピック開催に批判が高まり、自公連立政権の支持率が落ちていた。野党共闘は、政権交代の「千載一遇」のチャンスだと言われていた。それでも勝てなかったのだ。

野党共闘に対して、国民の根強い不信感があることが本質的な問題だ。かつて、民主党政権時に、政策をめぐって内部分裂し、混乱の果てに崩壊したことを、国民がしっかり覚えていることだ。

「寄り合い所帯」では政権担当はできないという、国民の不信感が払拭されない以上、野党共闘が政権交代を実現する勢いを得ることはないということだ。

それにもかかわらず、衆院選の前、立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新選組の野党4党は、数合わせの「共闘」に総選挙ギリギリまで必死だった。そのため、政党として最も大事なことである「政策」の立案を「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(以下、市民連合)なる外部の組織に丸投げしてしまったのだ。国民は、それをしっかりとみていた。だから、野党は信用されなかったのだ。

野党4党は、市民連合と「野党共通政策」を合意した。その骨子は(1)憲法に基づく政治の回復、(2)科学的知見に基づく新型コロナウイルス対策の強化、(3)格差と貧困を是正する、(4)地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行、(5)ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現、(6)権力の私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する、の6つであった。

内容をみれば、(1)は意味不明だ。安倍晋三・菅義偉政権で完成した英国流「交代可能な独裁」の導入というべき首相の指導力強化の改革は、現在の野党側の政治家が民主党時代に主導して実現したものだ。それを「立憲主義」に反するというのは無理がある。実際、どこが憲法違反なのか、具体的によくわからない。

(6)の「権力の私物化」も、具体的には何を指すのだろうか。例えば「森友学園問題」では、財務省が安倍元首相夫妻に「忖度」したのは明らかだろうが、元首相夫妻が権力を私物化したという証拠は出てこない。

そして、より深刻な問題は、(2)から(5)について、自民党も問題はあるが、似たような主張をしていて、違いがよくわからなかったことだ。

自民党の公約には、岸田首相の主張の中心である「分配政策で分厚い中間層を再構築」に加えて、地方創生分野で、デジタル化で都市と地方の距離を縮めて地方活性化を図る「デジタル田園都市国家構想」、そして、野田聖子少子化相が訴える「子どもを真ん中に据えた『こどもまんなか』社会」も含まれていた。

さらに重要なのは、自民党が成長と分配の両立を図る「新しい資本主義」を打ち出すことで、政策の幅を「保守から中道左派」まで大きく広げ始めたことだ。その狙いは、野党との差別化ではない。むしろ、野党との違いを曖昧にして、自民党こそ、実行力があると訴える。いわば、野党の存在を「消す」ことだったのだ。

自民党は、安全保障政策を除けば、政策的に左旋回している。特に、コロナ禍で一律10万円の特別給付金を出して以降、財政規律のタガが完全に外れてしまっている。そして、参院選を前に「予備費」の支出を連発し、さらに左に寄っている。

岸田首相は、持ち前の「聞く力」を発揮し、野党の予算要求があれば、さからうことなくあっさりと受け入れる。「野党さんもそうおっしゃっているので」といって、どんどんバラマキを行う。野党は、左傾化していく自民党の「補完勢力」となってしまっている。存在意義自体がなくなっているのだ。

あえていえば、これからは立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新選組という自民党の左側に位置する野党は不要だ。むしろ、自民党の右側に位置する野党が必要ではないかと主張したい。

自民党は、「包括政党」(キャッチ・オール・パーティ)だ。それは、「カップラーメンから人工衛星まで扱う」といわれる「総合商社」のような存在だ。社会に存在する政策課題については、安全保障から、社会民主主義的なものまで、ほとんどすべて網羅している。その政策の幅広さは、岸田政権になってより顕著になっているのだ。

つまり、自民党政治の問題は、個別の政策の「有無」ではない。ほとんどすべての政策に取り組んでいるのだ。ただ、問題はそれが「Too Little(少なすぎる)」「Too Late(遅すぎる)」そして「 Too Old(古すぎる)」ことである。

自民党が「Too Little」「Too Late」「Too Old」となる理由は、まず自民党の政治家が高齢化しているからだ。若手の代表と呼ばれる福田達夫総務会長でも、54歳だ。「IT化」「デジタル化」など理解できない「老化」が問題なのだ。

また、自民党は高度経済成長を実現した政党であるために、その成功体験をいまだに忘れられないことも問題だ。

そして、「中央集権体制」も、細分化する政策課題に対応できなくなっている。社会保障や福祉など、地方主導で迅速に現場のニーズに合わせて対応するほうが、効率が良い。自民党の全国一律の政策が機能しなくなっているといえる。

それは、コロナ禍で社会の「IT化」「デジタル化」が他国と比べて遅れていることが明らかになったように、国民に認識されるようになってきている。

そこで必要になるのが、「なんでも反対」でなく、自民党の「Too Little」「Too Late」「Too Old」を厳しく批判し、「もっと改革を大胆に進めよ」と訴える野党だ。そして、改革を素早く、的確に進めるために、地方主権の推進を主張する野党だ。

それは、端的にいえば、衆院選で躍進した、日本維新の会や国民民主党ということになる。

この両党のうち、特に維新の会の衆院選での躍進の理由は、その「改革姿勢」が評価されたからである。維新の会が「大阪を改革する」と主張して、「二重行政の解消」「既得権の解体」「財政再建」の取り組みによって、新たな財源を生み出し、新たな政策を始めていることは、フェアに評価すべきである。

例えば、大阪府・市では「公立高校無償化」に加え、「私立高校の無償化」(府内全域)「中学塾代助成制度」(大阪市)「段階的幼児教育無償化」(大阪市、守口市、門真市など)「中学3年までの医療費無料化」「授業用タブレット端末導入と教室のクーラー設置」「教員の初任給大幅引き上げ」「日本初の市立中高一貫校開設」(大阪市)など教育政策を推進している。

特筆すべきは、大阪市の「異次元の保育所整備で、待機児童数を過去最低の37人にした」(吉村市長)という認可保育所の大幅増設による保育所入所枠9000人増だろう(吉村大阪市長定例記者会見2018.5.10)。

これは、待機児童問題解決よりも「幼児教育無償化」を優先させている安倍政権よりも、より大胆な政策を打ち出し、実行しているといえるのではないか。

また、「日本初の公営地下鉄を民営化」「水道料金値下げ」「特別養護老人ホームに入居できない待機高齢者ゼロ」「独り暮らしや寝たきりの高齢者見守り事業」など、住民の生活や高齢化社会に対応する政策も実行した。

さらに、府・市の枠を取り払った大阪観光局が推進する観光政策による、観光業の急拡大や、医薬品産業を大阪のメイン産業の1つと位置付けた成長戦略、統合リゾート(IR)の誘致、2025年の大阪万博の開催決定など、国ではなかなか進まない成長戦略にも積極的だ。そして、なによりも、吉村洋文党副代表(大阪府知事)が、コロナ対策で奮闘し、評価を高めていた。

これらの維新の会の政策実行力は、保革のイデオロギー対立にこだわり、「なんでも反対」し、「なにも変えてはいけない」と主張し、審議拒否を繰り返した結果、自民党政権が国会提出した問題だらけの法案を無修正で通してしまった、「左派野党」のあり方とはまったく異なっている。

ゆえに、維新の会には、自民党の「Too Little」「Too late」「Too Old」な政治に対抗する「新しい野党」となるポテンシャルがあると考える。

一方で、維新の会は、自民党に対峙する野党の中心となるには、いまだに課題が多い印象だ。何よりも、大阪中心の地域政党から、名実ともに全国区の政党に生まれ変わる必要がある。

まず、国民民主党、都民ファーストなどと協力関係を進めて、できるならば一体化しなければならない。こちらは左派野党とは違い、政策志向はそれほど大きな違いはないからだ。

なかなか協力関係が築けないのは、小池百合子東京都知事が代表だった「希望の党」を源流とする国民民主党、都民ファーストという「東京の政党」に対して、「大阪」が基盤の維新の会が不毛で感情的な対抗意識・縄張り意識を持ってしまうからだ。もう、大阪へのこだわりを捨てて、国家全体のことを考えて行動すべきだ。

次に、完全に頓挫した「大阪都構想」に代わる、自民党とは異なる「国家観」に基づく政策を提示すべきだ。大阪都構想は、二度の住民投票で敗れて挫折した。大阪市民、そして日本国民にその構想が支持されなかったのには、様々な理由があった。

まず「大阪都」というネーミングそのものに問題があった。「大阪都」とは、「大阪府」と「大阪市」「堺市」を一度解体して、その後組み直して作る巨大な「特別区」のことだ。ただし、「都」というのは、単純に「府」の上位の行政区分が「都」だからで、それ以上の国家観に基づく大きな構想がなかったことが問題だった。

そもそも論になるが、「大阪人」は大阪が「都」になることを望んでいなかったのではないか。大阪といえば、「阪神タイガース」だ。大阪人は「タイガースは優勝できなくても、巨人にだけは負けるな」と熱狂する。それは、東京に対する「反骨」であり「反権力」の気概である。

歴史を振り返れば、大阪が都だったのは、奈良時代の難波京までだ。大阪は「東洋のベニス」と謳われたように「商いの街」として発展してきた。「阪僑」と呼ばれる大阪人は、政治よりも商いの中心であることに強い誇りがあるのではないだろうか。

全国的にも、「大阪都構想」には違和感があった。例えば、大阪の近隣には、1000年以上首都の座にあった「京都」が存在する。京都には「天皇陛下は東京に旅行に行っているだけ」と言い、現在でも京都が日本の首都だと言い張る人がかなりいる。

だが、京都は「府」である。大阪「都」ができてしまうと、「行政区分上」はともかく、日本の歴史、文化、伝統的には非常に違和感がある、京「都」と大阪の「奇妙な逆転現象」が起こってしまう。そのためか、京都では維新の会の支持率が極端に低く、「大阪都構想」は話題にすることすら憚られていた。

京都以外でも、「何で大阪が勝手に都になろうというんだ」と違和感を持つ人が多く、都構想に理解はなかったと言っていいだろう。それは、端的にいえば、大阪がどのような都市になり、日本がどのような国になるかの「哲学」がまったくみえない。

大阪府・市という狭い範囲の行政をどうするかのテクニカルな話に終始しているだけで、「夢」がないのだ。だから、大阪都構想は、大阪から一歩外に出れば、まったく理解を得られなかったのだ。

もちろん、大阪都構想には、具体的に実現したい目的があった。それは「大阪府・市の二重行政の弊害」「既得権者の問題」を解消することだった。これ自体は重要なことだ。

例えば、大阪府と市が別々に行っている「水道事業」だ。また、「大阪府中央卸売市場vs大阪市中央卸売市」「大阪府中小企業信用保証協会vs大阪市信用保証協会」「大阪府道路公社vs大阪市道路公社」「府立病院vs市立病院」「府立大学vs市立大学」「府立体育館vs市中央体育館」「府立門真スポーツセンターvs大阪プール」「府消費生活センターvs市消費者センター」「府立公衆衛生研究所vs市立環境科学研究所」「府立現代美術センターvs市立近代美術館」など、2015年5月の住民投票時、大阪府と大阪市の二重行政は134事業あった。

これらの非効率性の問題は、府立大と市立大など一部の統合を除き、多くは積み残されたままだ。

また、最初の住民投票時、当時の橋下徹大阪市長が演説で「僕は税金の使い方をとことんやってきた。誰かのポケットに入っていないか。7年半やってきた。職員の給与、組合からアホ、ボケ、カスと言われ、医師会、薬剤師会、トラック協会、ナントカ協会、町内会、商店街のナントカ連盟……」と、公然と批判した「既得権者の問題」がある。

大阪府・大阪市の「二重行政の弊害」の解消と「既得権の問題」は、「都構想」が否決されても、「なかったこと」にはできない非常に重要な問題だ。

だが、残念なのは、大阪人にも、大阪の外にいる人達にも、この「都構想」を巡る論争が、どうしても大阪府・大阪市の「権限・予算の奪い合い」という、「些末な縄張り争い」にしか見えないことだった。それにわざわざ「都構想」という仰々しい名称を付けているだけの印象だったのだ。

維新の会に必要なのは、大阪都構想のような局地的な構想ではなく、日本の国家像を変えるようなより大きな構想を考え、国民全体に訴えることではないか。例えば、私は以前から、憲法改正による参院改革を維新の会に奨めてきた。

参院を、ドイツのような「連邦国家型二院制」の上院に改革し、知事や市長、県会議長など地方の代表が上院議員を兼務する形にする。上院を「地方代表の院」とすることで、地方の意向をダイレクトに国政に反映できるようにするというものだ。

大胆にいえば、地方主権を実現したいならば、中央から離れることばかり考えるのではなく、中央に乗り込んで、中央を支配するという発想を持ってもいいのではないかということだ。

ところが、維新の会の考え方はこれとは真逆で、国会の意思決定が迅速になるという短絡的な理由だけで「一院制」の導入を訴えている。

しかし、維新の会の主張である「道州制」と同じ政治・行政制度を採用している「連邦国家」はすべてが二院制で、上院は地方を代表する院を設置している国が少なくないことを知るべきだろう。

維新の会の問題の1つは、このような基本的な政治学の理論すら学んでいない「理論軽視」「学問軽視」の姿勢ではないだろうか。「現場を知らない」「現実の政策立案のプロセスを知らない」などといい、学者をバカにするような態度をとる。

そのため、まともなブレーンとなりうる人材が維新の会に寄りつかない。結果、政治学の基本的な理論さえ学ぼうとしない。そのため、現場での経験を訴えるだけで、自民党政治に代わる、新たな国家像を打ち出すための理論構築ができないのだ。

繰り返すが、維新の会は「Too Little」「Too Late」「Too Old」の自民党政治に対して、「もっと改革を大胆に進めよ」と訴える、「新しい野党」になりうる可能性がある政党だ。

しかし、現場からの改革を訴える近視眼的な姿勢だけでは不十分だ。「IT化」「デジタル化」「地方主権」などがもたらす新しい日本の姿がどのようなものになるのかを、国民に明確に提示できなければ、自民党に対抗する説得力を持つことはできない。

そのためには、視野をもっと広く持ち、自分たちだけが偉いというような傲慢な姿勢を捨てて、多くの学者の話を聞くことだ。学問的理論の蓄積と、世界の実践の事例から真剣に学び、より俯瞰的、大局的なものの見方を身に着けようという「謙虚さ」を持つことが必要だ。

image by: 大阪維新の会 - Home | Facebook

上久保誠人

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

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