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挫折から立ち上がった男が年間2700万個売れるプリンを作るまで

パステルの「なめらかプリン」をご存知でしょうか?発売開始するなり大人気となり、プリンブームの火付け役にもなった大ヒット商品です。しかし、この「なめらかプリン」が生まれるまでにはさまざまな紆余曲折があったといいます。今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、生みの親である所浩史氏の興味深いお話を紹介しています。

「なめらかプリン」はこうして生まれた

年間2,700万個の売り上げを誇るパステルの「なめらかプリン」。その成功の背景には、一人の菓子職人の熱意とアイデアがありました。

『致知』7月号「致知随想」にご登場いただいた菓子道代表取締役・所浩史氏のお話の一部を紹介します。

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「人生と仕事で大切なことはすべてプリンから学んだ」

それが、パティシエとして様々なヒット商品を開発し、30年間、プリンづくり一筋に歩む中で得た素直な実感です。

振り返ると、お菓子をつくる父の姿に憧れを抱いたのがすべての原点でした。実家は岐阜県で3店舗を営むお菓子屋で、家の中にはいつも甘い匂いが漂っていました。

物心がつく頃に「将来はお菓子屋さんになる」と決めていたのも、自然なことだったように思います。

父から後を継ぐように言われていた私は、大学卒業後すぐ南青山の洋菓子メーカー・ヨックモックに就職。父と同じパティシエの道に進み、いつか実家の店を継ぐ日を夢見て、厳しい修業時代を過ごしました。そんな私に大きな転機が訪れたのは、1987年、27歳の時です。

実家の店が倒産した──。その知らせを聞いた時の悔しさと寂しさはいまでも忘れることができません。父の店を継ぐことを信じ生きてきた私は、人生の目標を見失いました。

何のためにお菓子づくりをしているのか、本当にお菓子屋になりたかったのだろうかと疑問が湧き、一度この業界から離れることを決めたのです。その後は泊まり込みで、北軽井沢のペンションの仕事に就きました。

そして2年目の冬を迎えた頃、私の履歴書を見たオーナーから「クリスマスケーキをつくってくれないか」と声を掛けられました。

道具も揃っていない中、一所懸命にケーキをつくる私を見て、オーナーはぽつりと、こう言ったのです。「所くんはお菓子づくりをしている時が一番楽しそうだね」と。あぁ、お菓子の世界に戻ろう──。そのきっかけをくれた、ひと言でした。

それから数店舗での勤務を経て出会ったのが、外食産業企業チタカ・インターナショナル・フーズが経営する小さな洋菓子店「パステル」でした。

私に与えられた課題は、リーズナブルなパスタのセットメニューに合う、新しいデザートをつくること。そこで着目したのがプリンでした。

ただ、普通のプリンじゃつまらない。その頃流行り始めていたティラミスや、クリームブリュレのなめらかな食感にヒントを得ました。この食感は日本人に合うかもしれない、と。

フランス菓子のように甘すぎず、濃すぎず、とろっとなめらかな優しい味のプリンをつくれないだろうか。何度も何度も試作を重ね、ついにできあがったのが、後に年間2,700万個を販売する大ヒット商品、パステルの「なめらかプリン」です。

image by: Shutterstock.com

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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