多くの人権問題を抱える習近平政権に対し、「自分たちの信じるところの民主主義」の受け入れと徹底を求める西側先進国。しかしその民主主義自体、中国の手本たり得るものなのでしょうか。今回のメルマガ『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』では、著者で多くの中国関連書籍を執筆している拓殖大学教授の富坂聰さんが、2つの象徴的な出来事を例に取り、西側の民主主義がいかに劣化してしまったかについて解説。ウクライナ戦争の先行きや対ロ制裁の効果を見誤ったことも、民主主義の劣化に起因するとの見解を示しています。
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欧米先進国は中国に「われわれの民主主義を見習え」と本当に自信をもって言えるのか
少し古い話になるが、中国のテニスプレーヤー・彭帥選手が中国の副首相と不倫をしたとSNSで告発した事件があった。当時、大学には中国からの留学生も少なくなく、ある日、この問題で学生から話しかけられた。
「先生、彭帥問題の裏に江沢民がいるって日本人は本気で信じているのですか?」
これは質問ではない。揶揄だ。案の定、話のオチは、日本の専門家とテレビのズレ方が事故レベルだって、笑い話だった。
彼らが知るメディアには、確かに遊び心が不足している。自由度も低い。だが、こういうでたらめを大声で言う人物が入るスペースはない。だから不思議で仕方がないのだ。
笑っていられないのは、ワイドショーレベルのこうした中国分析が、日本の中枢でもまかり通っているからだ。霞が関はまだしも、永田町は惨憺たる状況だ。そのことは政治家の発信を見ていれば分かる。
最近も李克強首相が習近平国家主席に取って代わるという「ミニクーデター説」がまことしやかに日本を駆け巡った。いわゆる「李上習下」だ。私のもとにもテレビ局から問い合わせがあった。しかし、「そういうことは中国がひっくり返るような場合を除けば起きません」と答えると、それっきりになった。
結局、「ミニクーデター説」はすぐにフェードアウトしたが、そこに反省はない。中国が乱れているという情報は、後で間違いが判明しても譴責されることはない。だから次から次へとウソを撒き散らす輩が湧いてくる。
問題は、例えばロシア・ウクライナ戦争の見通しを日本全体で間違うという欠陥にも通じるから深刻だ。いざという場面でも緻密な分析はできないという意味だからだ。
ただロシア・ウクライナ戦争の見通しでいえば、間違えたのは日本だけではなかった。アメリカを中心とした西側先進国全体──日本以外は確信犯だった可能性も高いが──にも不正確な情報はあふれていた。
曰く、ウラジミール・プーチンは孤立していて正しい情報が入らず無謀な戦争を仕掛けた。ロシア内部にも反プーチンの風が吹き、クーデターも起きる。またウクライナの反転攻勢でロシア軍は年末までに駆逐される。西側の制裁でロシア経済の崩壊も不可避、といった情報だ。
戦争はまだ続いているが、現状では概ねの答えは出ていると言わざるを得ない。
なぜ、これほどはずしてしまったのか。少し大胆な見立てをすれば、これこそが「民主主義の劣化」の正体だ。さらに踏み込んでいえば、民主選挙のもつ負の側面がさらけ出された結果かもしれない。
示唆に富んだ二つの出来事がある。
一つは、イギリスのトニー・ブレア元首相が、英ディッチリー財団の年次講演会で行ったスピーチだ。伝えたのは『newsphere』(2022年7月20の記事)だ。ブレア氏はこの講演で、台頭する中国を念頭に、「欧米の政治的・経済的支配は終焉を迎えつつある」と危機感を表している。そして、だからこそ西側諸国は「自国の政治を立て直し結束する」ことが大切だと訴えたのだ。
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ブレア氏によれば、現在の西側先進各国の国内政治は「国民の目には機能不全」と映り、外交政策では「他国から予測不能に見えている」という。ゆえに政治における「狂気」をいち早く終わらせ、「理性と戦略」を取り戻すことが急務だとも指摘している。
世界の政治環境が「理性」から遠ざかっているとの指摘は容易に共有できる。だが、日本でよく聞く「一部の独裁者と専制主義国家が問題の根源」との理解は少し違う。ブレア氏が指摘している「狂気」は、西側の政治のなかにあるといっているからだ。
代表的なものは今年1月6日の米連邦議会襲撃事件だ。先週もこの事件の真相──焦点はドナルド・トランプ大統領が暴徒の暴力を煽った否か──を明らかにする公聴会が開かれていてアメリカのテレビは連日大きく報じてきた。示唆を与えてくれるといった二つ目のニュースはこれだ。
米PBSニュース(7月20日)だが、番組に出演したベン・ギアット教授(ニューヨーク大学で権威主義政治を研究)は、2016年以降のアメリカには民主主義を権威主義に変えようとする動きが顕著だったと指摘したのだ。
具体的には、トランプ氏が「暴力を前向きなもの」と発信したことを受けて起きた政治風土の変化だ。トランプ氏の言葉に刺激された支持者たちが、最終的に民主選挙を暴力で覆そうとする1月6日の事件を引き起こしたという解説だ。
この変化は、いま中間選挙に向けた選挙運動のなかで加速されているという。例えば共和党の候補者の選挙広告には、暴力的な言葉があふれ、ライフルを持って登場する候補の姿も見られるといった現象と、だ。
いま共和党内で頭角をあらわそうとすれば暴力的な言動は不可欠で、番組では元々銃規制の改革派だった候補者が、自ら銃を撃ってアピールするまで変節する姿も紹介する。
つまり「票」をつかむために言動を過激化させ、それがまた支持者たち刺激し、全体として「理性」から遠のくという構造だ。
このトランプ現象とヨーロッパ政治を安易に結びつけることはできないが、各政治家のアピールが政策に少なからず負の影響をもたらす現実は、対ロ制裁の苦しい現状から見ることもできる。
前述したように北大西洋条約機構(NATO)の政策立案者たちは「ロシアが過去15年分の経済成長を失う」と公言し、フランスのブリュノ・ルメール財務相も「ロシア経済を崩壊させる」と鼻息が荒かった。しかし現状はロシアのインフレは落ち着き、逆に数カ月後のエネルギー確保ができない欧州の焦りが目立つ。「欧州経済は息も絶え絶え」(ハンガリー首相)なのだ。
ここにきて「自給自足が可能な農業大国で、エネルギーで世界を揺さぶることのできるロシアの力を過小評価した」との言い訳も聞かれるが、それこそ「いまさら」という話だ。
情けない結果に至った見通しの甘さは、制裁の発動自体を目的化させ、その効果を考えない政治家の行動に原因がある。相手の嫌がることを思い付きでやる反面、その効果を厳密に計算する力が不足しているのだ。
それでも政治家は制裁の発動によりマッチョな姿を国民にアピールすることができ目的は達成される。制裁の影響を考えずに突っ走った後でブーメランを被っても、厳しい姿勢を貫いたと国民からの支持は得られるのだ。冒頭で触れた「中国の悪い情報であれば、後でウソだと分かってもダメージを受けない」構造と重なる。人気ビジネスにつきまとう「幼稚さ」そのものだ。
(『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』2022年7月24日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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