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統一教会はどう世界に浸透したのか?ナチスの初期を真似た異端の全貌

安倍元首相銃撃事件がきっかけとなって、広く知られることとなった旧統一教会の実態。そもそも韓国に本部を置く彼らは、いかにして海外で勢力を拡大していったのでしょうか。今回のメルマガ『辺真一のマル秘レポート』では著者でコリア・レポートの編集長を務める辺真一さんが、旧統一協会を全面検証。教祖である文鮮明氏が自ら語ったイエス・キリストから啓示を受けた瞬間のエピソードや、宣教師の密入国から始まった日本の旧統一教会の歴史、さらにその布教に力を貸した「大物日本人」たちの実名を紹介しています。

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「統一教会」の全貌! 知られざる「対米・対日コネクション」

「統一教会」を全面検証

安倍晋三元首相の銃撃事件との関連で俄然注目されている「統一教会」(現:世界平和統一家庭連合)は一体どのような宗教団体で、過去にどのような活動を行い、また、米国及び日本とどのように結び付いたのか、全面検証してみる。

遡ること、今から46年前の1976年。米国の「ワシントン地区韓国人協議会」が9月に、「米国カトリック新旧及びユダヤ教教職者代表会議」が12月に、相次いで「統一教会」を批判する声明を出した。

前者は「洗脳方法と軍隊式命令によって宣伝している統一教会は宗教団体か、事業団体なのか正体を明らかにせよ」と詰問し、後者は「統一教会はナチの初期を真似た詐欺的で抑圧的で全体主義的で、個人の自由を破壊する非民主的で、キリスト教の基本原理とは全面的に矛盾する異端である」と断じた声明だった。

同じ韓国人キリスト教徒から、また米国の権威ある宗教団体から非難された「統一教会」の教祖が北朝鮮生まれの文鮮明(ムン・ソンミョン)氏であることはすでに広く知られている事実である。

文鮮明氏が「宗教家として目覚めた」のは16歳の時で、本人曰く「復活祭の朝、キリストが現れて『自分の未完の仕事を成し遂げよう』のお告げがあった」のがきっかけのようだ。

文氏は1974年、米国のあるテレビ番組のインタビューに応じ、啓示を受けた時のことを以下のように答えていた。

質問 「いくつの時にイエスから啓示を受けたのか?」
回答 「16歳の時にイエスから啓示を受けた」
質問 「その時、通訳がついていたのか?」
回答 「いいえ、私一人だった」
質問 「それではイエスは朝鮮語で話したのか?」
回答 「そうだ。ヘブライ語なまりの朝鮮語だった」

<中略>

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米国での政治活動

当時、「統一教会」日本本部は「統一教会の主な活動は福音の宣布であり、いかなる政治目標も持たない」と公言していたが、教祖の文鮮明氏は自身が米国に乗り込む2年前の1969年に米国統一教会本部のネイル・サロネン会長に対して韓国や日本で行われていた大規模の反共、勝共活動を展開するよう指示を出していた。

文鮮明氏は1973年5月に行った演説で「政治と宗教は切り離せない。宗教と政治を切り離すのはサタン(共産主義)が一番望んでいることである。(中略)仮に米国が腐敗し続けるならば、そして我々の目的のために実際に役立つ議員がいなくなるようなことにでもなれば、我々(会員)の中から上院議員をつくることできる」と「統一教会」の政治介入の重要性を説いていた。(「ワシントン・ポスト」1976年9月27日付)

翌年の1974年にも「我々が強力にならなければ、この国(米国)を救うことはできない。おそらく3年もすれば、上院議員が豪華な自動車で我々の各州代表を迎えに来て、喜んで働くような日が来るであろう。韓国ではすでにそうなっている」(1976年6月22日の米下院フレーザー委員会公聴会でのロバート・ローランド元「統一教会」会員の証言)と豪語していた。

米国で反共活動を行う理由は、現代は神とサタンが最後の決戦を交える時代であり、従って米国を中心に日本、韓国がサタンを撃滅させなければならないという理屈で、サタンの第一の地位にあったのが北朝鮮で、その対決地点が38度線だった。

文鮮明氏はサタンに勝つには「反共の砦」である米国が強くならなければならず、神から与えられた使命に背いて韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)政権への援助を削減したり、駐韓米軍を撤収させたりしてはならないとの持論を展開していた。

これを裏付けるかのようにサロネン会長は1971年4月16日に来日した際の記者会見で「米国内での共産主義の活動はアジア共産主義の影響が濃い(中略)例えば、ブラックパンサーは米軍の韓国駐留はアジア侵略であるとのデマを流している」と述べ、駐韓米軍の撤退に反対する運動を起こす必要性を強調していた。

<中略>

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日本の「統一教会」

日本の「統一協会」は1958年に文鮮明氏の指令を受け、日本に密入国した日本語達者な崔翔翼(日本名・西川勝)氏が原理教を持ち込み、広めたことで組織化された。世界平和統一家庭連合の田中富広会長が記者会見で「教団は韓国から宣教師が、送られてきて、そしてその宣教師によって、1人から2人、3人と広がってきて定着した宗教団体である」と述べていたが、この宣教師が西川勝こと崔翔翼氏である。

翌年の1959年に崔氏は密入国の容疑で逮捕されたが、取り調べ中に逃走を企て、長期間潜伏した。その後、崔氏は再逮捕されたが、どういう訳か、日本船舶振興会の笹川良一会長らの尽力があって国外退去を条件に釈放されることになった。覚醒剤罪で逮捕され、実刑を宣告されたものの国外退去を条件に釈放された韓国の歌手、桂銀淑(ケ・ウンスク)と同じパターンだ。

崔氏はこの期間、立正佼成会と接触し、庭野日敬会長秘書の久保木修己氏を入信させ、1964年7月に久保木氏を会長に「統一教会」の日本本部を設立させた。

「統一教会」日本本部は大学生を対象にした原理研究会(「原理研」)をテコに勢力を拡大していった。日本では「親泣かせの原理運動」として世間から非難を浴びていたが、3年後の1967年に文鮮明氏が来日し、「統一教会」日本本部の笹川良一顧問や右翼の児玉譽士夫氏の側近、白井為雄氏や右翼団体の護国団の市倉徳三郎顧問らと会い、第1回アジア反共連盟結成準備会議を山梨県本栖湖畔にある全日本モーターボート競走会連合会の厚生施設で開いていた。そして、翌年の4月には笹川顧問を名誉会長に、久保木氏を会長に国際勝共連合日本本部が創設されている。

こうした人脈図から当時、「ニューヨークタイムズ」は「文鮮明グループは日本の極右笹川良一やロッキード・スキャンダルに連座した児玉誉士夫から財政援助を受けていた」(1976年5月25日付)とまで書いていた。

国際勝共連合日本本部はソウルに本部が創設されてから僅か3か月で設立されたが、久保木会長が同本部の会長も兼ねていた。

久保木会長は1971年にソウルで開催された世界反共大会に出席した際、青瓦台(大統領府)を訪れ、朴大統領に会い「反共指導者である朴大統領閣下のご指導を要請したい」と述べ、「今後とも一層奮闘し、朴大統領閣下のご期待に報いたい」(国際勝共新聞、1971年2月21日付)と誓いを立てていた。

久保木会長は1970年以降、日本と韓国、そして台湾の一体化を高唱し、特に蒋介石総統の台湾が国連から追放されてからは「次は韓半島(朝鮮半島)である」と叫び、「日韓台同盟論」を唱えていた。当時、「勝共連合」の主張や活動に対して自民党や第2野党の民社党の親韓派議員らが共鳴し、支援したのは公然たる事実である。

一例として、福田赳夫元首相は1974年5月に帝国ホテルで文鮮明氏が主催した「希望の日晩餐会」に出席し、祝辞を述べたが、「アジアに偉大な指導者が現れる、その名は文鮮明、私はこのことをうかがいましてから久しいのですが、今日は待ちに待ったその文先生と席を同じくし、また高まいなるご教示にあずかりまして本当に今日はいい晩だと、気が晴れ晴れとしました」と文鮮明氏に最大の賛辞を送っていた。

 

岸信介元首相との関係

しかし、日本で統一協会、国際勝共連合に誰よりも深くコミットしていたのは安倍晋三元首相の外祖父の岸信介元首相であろう。

崔翔翼氏が日本に潜入し、原理教を広めるため「原理研」をつくったが、その本部(「全国大学原理研究会」)は岸元首相が首相当時に私邸として使っていた家に――

(メルマガ『辺真一のマル秘レポート』2022年7月14日号より一部抜粋。続きを読むには、2022年7月分のバックナンバーをご購入ください。)

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image by: 不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

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