8月24日、老衰のため90歳の生涯を閉じた稲盛和夫氏。松下幸之助氏と並び「経営の神様」と称される稲盛氏ですが、何が彼を名経営者たらしめたのでしょうか。その本質として「コンパ投資」を挙げるのは、健康社会学者の河合薫さん。河合さんは自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』で今回、稲盛氏が生涯怠らなかったコンパ投資が何たるかを解説するとともに、「コンパ」がJAL再建時にも力を発揮したというエピソードを紹介しています。
プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。
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稲盛氏が続けた“コンパ投資”
質のいい現場、人生に意味を与える現場を作ってきた“名経営者“が、また1人いなくなってしまいました。
京セラの創業者、稲盛和夫氏。KDDIの前身となる第二電電(DDI)を立ち上げ、2010年に経営破綻したJALを再生に導いた、厳しいけど決して「冷たくない」経営者です。
私が京セラの本社(京都)を訪問させていただいのは、2005年2月。某ビジネス雑誌で、「上司とストレス」というテーマの巻頭記事を書くための取材です。
当時は「心の病」という言葉が一般化し、国がメンタルヘルス対策に動きだしていました。そこで「社員が生き生きと働いている企業」を数社訪問し、社員と会社の“健康の謎“を解くために、取材を重ねました。そのうちのひとつが、稲盛氏が仲間と共に、1959年に創業した京セラでした。
私が訪問した時、稲盛さん名誉会長でした。創業者メンバーの1人で、1989年6月から1999年6月29日まで社長を務めた、伊藤謙介氏が色々なお話をしてくださいました。
「うちの会社の中には、“コンパルーム“というタタミじきの大部屋があって、そこで鍋をつつき合う。すべての工場、海外支店にもあって、海外スタッフも“コンパルーム“って呼んでます」(by 伊藤氏)
伊藤さんはこう話しながら、100畳のコンパルームに案内してくださった。正面には稲盛さんと同郷の長渕剛さんが描いたという大きな絵。圧巻の100畳間で、私たちも“コンパ“を体験させてもらいました。
創業当初、稲盛氏の自宅に創業メンバーたちが集まって鍋を囲んだことが、コンパルームの原型だとか。
「あの頃はお金もなかったし、同僚3人で6畳一間に住んでいた時代。今は厳しいけどみんなで心を一つにして、同じ志をもって、素晴らしい会社を作っていこうって。酒飲んで、しゃべって、ぶつかり合って。それがコンパルームに引き継がれているんです」(by 伊藤氏)
コンパの語源は「Kompani=仲間」。稲盛さんは、「会社づくりに上司も部下も関係ない」と考えていたのではないでしょうか。役職や肩書きはただの役割であって、みな「京セラ」を支える立派な会社員。コンパは組織のヒエラルキーを超えて1対1で「人」として向き会う大切な「場」。
創業者たちの“思い“が、先輩から後輩へ、そして、また後輩へと引き継がれていたのです。
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コンパでは、最初から最後まで仕事の話をするそうです。中には、「もっと残業代出してくれ!」と社長に直談判する社員もいたとか。人間関係がパサパサとしたものになりがちな時代だからこそ、仲間として語り合うことを大切にした。職場では決して見せることのない上司のちょっと崩れた人間臭さに、救われた社員もいたかもしれません。
世間では「でもさ、なんやかんやいってJAL再建でリストラしまくったじゃない」という意見もあります。しかし、稲盛さんは6,000社に協力を依頼し、リストラした社員の就職先探しに奔走しました。リストラした社員は1万7,000人に上ります。
170人だけは、その社員の個人的な理由で再就職しませんでした。しかし、会社を去った人たちには、十分なリストラ手当が支払われ、家族が路頭に迷わないように、できる限りの誠意を尽くしたとされています。
むろんリストラされた方の中には、「なんで私が?」と釈然としない気持ちで去っていった人もいたと思います。しかし、その人たちがいたからこそ、今のJALがある。経営者は「流れた血」を決して忘れてはいけないし、少なくとも稲盛氏はそれを請け負う覚悟を決めいていた。私にはそう思えてなりません。
稲盛さんの経営者としての覚悟と責任を、改めて痛感した記事が、6日付の日経新聞に掲載されていました。稲盛さんと共にJAL再建に尽力した、JALの植木義晴会長(現在)のコメントです。
植木氏は利益を出すことにこだわる稲盛さんに対し、“コンパと呼ばれる議論の際”に、「公共交通で一番大切なのは安全。利益を出すのは難しい」と意見したそうです。それに対し稲盛さんは、「安全にお金はかからないのか。その金は誰が払ってるんだ?」と問い、「お金は他人が払うんじゃない。自分が生み出す利益から生み出すんだ」と答えたといいます。
コンパは京セラを離れても生きていた。コンパ部屋がなくても、生きていた。会社と社員、上司と部下、社員と社員、会社と顧客…それぞれを正しくつなぐことへの“投資”を、絶対に怠らなかったことが、稲盛さんを名経営者たらしめた本質なのかもしれません。
みなさまのご意見、お聞かせください。
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image by: Science History Institute, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons