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ほんまでっか池田教授が安倍氏「国葬」を機に考察。人が身内以外の葬儀に出る理由

多くの国民が疑問を抱く中、9月27日に営まれる安倍元首相の国葬。それはそもそもの「葬儀のあり方」として正しいと言えるのでしょうか。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、生物学者でCX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田清彦教授が、葬儀の歴史を数万年前にまで遡り紹介。さらに人が身内以外の他者の葬儀に参列する理由や意味について考察しています。

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人はなぜ葬儀をするのか?「国葬」を機に考察

安倍元首相やエリザベス2世の葬儀がいろいろ取り沙汰されているが、人はそもそもなぜ葬儀をするようになったのだろうか。イラクのシャニダール洞窟で1957年~1961年にかけて、コロンビア大学のラルフ・ソレッキらによって9体のネアンデルタール人の人骨が発掘された。これらの人骨は3万5,000年前から6万5,000年前にかけてのものだ。

そのうち「シャニダール4号」と呼ばれる人骨の周囲の土壌から花粉が見つかったことで、この洞窟のネアンデルタール人は死者に花を手向けて埋葬したと考えられた。尤も、これには異論があって、花粉は動物によって墓穴に運び込まれたという説だ。この墓穴はスナネズミの巣穴として使われており、スナネズミは種子や花を巣穴に保存する習性があり、その結果、大量の花粉が見つかったというわけだ。この洞窟の他の人骨の周囲には花粉が見られないことから、もしかしたらこの説の方が信憑性は高いかもしれない。

ただ「シャニダール2号」と呼ばれる人骨の埋葬地点には小さな石積と大きな焚火の後があり、花を手向けなくとも葬儀を行った可能性はある。また「シャニダール1号」は高齢(40歳から50歳)の男性で、左眼窩に古い粉砕骨折の痕があり、右腕が途中から切断されており、さらには下肢や足は変形していた。それにもかかわらず、ここまで生き延びたのは、同胞に支えられていたからに違いなく、ネアンデルタール人が身内の人の窮地を助ける心を持っていたことは明らかである。そうであるならば、同胞の死を悼んで、何らかの葬儀を行ったと考えた方が合理的だ。

花で飾られた墓のはっきりした最古の証拠は、約1万2,000年前のイスラエル・カルメル山の洞窟から見つかった。遺体と共にミントやセージといった香り高い草花の痕跡が見つかったのである。これはクロマニヨン人(現生人類)のお墓で、お墓を作ったナトゥーフ人は最も早くから定住生活を始めた人々であるという。埋葬場所を記憶している事と定住は関係しており、放浪生活を行っていた頃は、葬儀はしても埋葬した地点はしばらくすれば忘れてしまい、もちろん墓参りなどはしなかったろう。墓とは遺族や共同体に記憶されている埋葬地点のことだからだ。

マサイ族はアフリカに住む部族であるが、定住はしているけれども墓はない。死者が出ると棺桶に入れてサバンナの適当なところに埋めて、お別れのセレモニー(葬儀)をするが、墓標は立てないので、そのうち墓の場所は分からなくなってしまう。もちろん墓参りはしない。

ネアンデルタール人もクロマニヨン人(ホモ・サピエンス)も恐らく死者を悼むという感情は、ことの最初から持っていたのだと思う。死者をごみのように捨てないで、何らかの葬儀を行って、丁寧に安置したり埋葬したりすることはごく普通に行われていたであろう。但しそれは親や子やごく親しい友人に対してのみで、ほとんど交流がない他人の死に関心を寄せることはなかったろう。

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第二次世界大戦中、レジスタンス運動に参加して、親ナチ政権に抵抗したフランスの哲学者、ウラジミール・ジャンケレヴィッチは死を3つのカテゴリーに分けた。第一人称の死、第二人称の死、第三人称の死、である。第一人称の死は自分の死であり、自身が経験することができない死である。従ってこれは、自分にとっては無と同じである。第二人称の死は、連れ合い、親子、兄弟、恋人といった人生と生活を分かち合った人の死である。第三人称の死はそれ以外の人の死である。見ず知らずの人が死んでも、多くの人は悲しくもなければ心を動かされることもない。

第二人称の死は第三人称の死と全く異なる。幼いわが子を失った親の悲しみ、逆に幼いころ愛する親と死に分かれた子の悲しみ、は場合によっては筆舌に尽くし難く、深い喪失感に苛まれ、しばしば鬱状態を帰結する。第二人称の死を悼んで、鎮魂のために葬儀を行うのは、悲しみを覚えた人類に共通する行動であろう。鎮魂とは通常慰霊の意味であるが、実は死者の魂を慰めるというよりは、生き残って葬儀をしている人の魂を慰めるという方が事実に近い。

第二人称の死がどんなに重大かは、他の社会的な仕事をすべて休んで、死者を悼むのが常識だと多くの人が考えていることからも分かる。1858年の6月、マレー諸島で生物の標本蒐集に従事していた、アルフレッド・ラッセル・ウォレスから一通の手紙を受け取ったチャールズ・ダーウィンは驚愕する。手紙の内容は自然選択説に関する論文で、ダーウィンが長年温めていた正にそのアイデアが書かれていたのである。

狼狽したダーウィンは信頼する友達のフッカーとライエルに事情を知らせたところ、この二人はダーウィンとウォレスの両者の顔を立てて、少なくとも自然選択説に関するダーウィンのアイデアはウォレスの二番煎じではないことを、証拠として残すために、1858年7月1日に開かれるロンドン・リンネ協会の会合で、両者の論文を同時に発表するように取り図る。この日、フッカーとライエルは会合に出席したが、マレー諸島に滞在していたウォレスはもちろん出席せず、実はダーウィンも欠席したのである。

ダーウィンの10番目の子であるチャールズ・ウェアリングが猩紅熱のために2歳で亡くなり、この日はウェアリングの埋葬の日だったのである。ダーウィンとウォレスの自然選択説の同時発表という進化論史に残る出来事よりも、自分の愛息の埋葬の方が、ダーウィンにとっては大事だったのだ。

葬儀が第二人称の人の死を悼むところから始まったのは確かで、現在でも故人の近親者にとって、葬儀の最大の意味はそこにあることは間違いない。近年、家族葬といって、近親者だけで葬儀を営むことが流行しているのも、葬儀費用を節約したいという理由ばかりでなく、部外者に鎮魂の邪魔をしてもらいたくないという面も大きいと思う。

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しかし、故人が属していた共同体の中で、故人と何らかのかかわりを持つ人が増えるにつれて、葬儀には第二人称の死を悼む人ばかりでなく、それ以外の人の参列が増えてくる。そうなるにつれ、葬儀は真の意味での鎮魂から逸脱し、別の意味合いを帯びてくる。

例えば、共同体の中で重要な地位を占めていた人が亡くなった場合と、その人の連れ合いや親や子供が亡くなった場合では、葬儀に参列する人の意識は全く異なるだろう。後者の場合、参列する多くの人にとって重要なのは、亡くなった人を悼むことではなく、多くは喪主である社会的地位の高い人に弔意を表することだ。そのことによって、少なくとも今までと同様に良好な付き合いをお願いしたいという意思を表明するわけだ。

前者の場合は、文脈によって状況は全く異なってくる。例えば、大きな会社の社長が亡くなったとして、後継者と目される人は会社の結束を固めるために、葬儀を利用しようとするだろうし、後継者争いをしている人が複数いる場合は、葬儀を利用して自分の支持者を増やそうとするかもしれない。いずれにせよ、この場合は、葬儀は政治的な意味合いを帯びてくる。

翻って、社長ほどには集団内の地位が高くない人、例えば部長や課長が亡くなった場合、遺族に弔意を示しても自分の商売や出世には関係がないため、無理に葬儀に参列しないという人も出てくるだろう。ある程度の地位の人の場合、本人の葬儀より、親や連れ合いの葬儀の方が盛大なことが多いのはそのためである。 (『池田清彦のやせ我慢日記』2022年9月23日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)

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image by: Shutterstock.com

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