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なぜ人類は体毛を失ったのか?ほんまでっか池田教授の「機能が先か構造が先か」考

人が道具を作るときには、必要な機能に合わせて構造ができあがっていくのが普通です。しかし生物の場合は、機能に合わせて構造が形作られたのか、構造が先にあって機能が付随してきたのかという議論があるようです。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみ、生物学者の池田清彦教授が、この「機能が先か、構造が先か」問題を考察。例えば人類が体毛を失ったのも、何らかの適応的な意味があると考えてしまうなど、生物界の説明において、何でも繁殖や生存に必要な機能のために構造があるとしてしまう傾向に異を唱えています。

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構造は機能に先行する

昔から、機能と構造はどちらが第一義的かという議論があって、前者を機能第一主義、後者を構造第一主義ととりあえず呼ぶとして、前者はこの世界の構造(システムや形態や道具)は何らかの目的を遂行するために存在するという考えであり、後者は機能は構造から派生する随伴的な性質だとの考えである。

人間社会で暮らしていると、身の回りの大概の物は人の生活に役立つ物なので、機能第一主義を受け容れるのは容易い。生物であるヒトは生きるために様々な営為を行わざるを得ず、ただ存在するだけでは死んでしまうからである。翻って、人類という独立の無機物には、機能第一主義は無縁である。

例えば、太陽系は何らかの目的を遂行するために存在しているわけではない。もちろん太陽がなければ、人類は存続できないから、太陽は人類の存在にとって大きな役割を担っていることは間違いないが、太陽は人類の生存のためにあるわけではなく、太陽が存在する故に人類はその恩恵を蒙って生きていられるのである。すなわち人類の生存は、太陽の存在から派生する随伴的な機能なのである。ここでは機能第一主義は成り立たない。

一方、機能第一主義は、生物界の説明原理として根強くはびこっており、生物の構造は何らかの機能を遂行するために存在すると信じる人は多い。それは、生物は、繁殖して子孫を残さなければ、絶滅してしまうので、生物の究極目的は子孫を残すことであり、生物の構造はそのための装置だとの考えが、かなりの説得力を持って受け容れられているからであろう。

しかしこの手の考えはどうも私にはうさん臭く思われる。私見によれば、生物というシステムは、繁殖のための装置として作られたわけではなく、なぜか知らないが存在してしまった結果、繁殖という機能が随伴したのである。だから、生物は繁殖を最適化するために作られているわけではなく、とりあえず、絶滅を回避できる最低限の繁殖機能を持つ装置としての生物体でありさえすれば、出来の悪い装置でも、存在できるわけである。

生物の繁殖の方法は、無性生殖、両性生殖、単為生殖といろいろあって、一番一般的な両性生殖(染色体数2nの雌雄の細胞が減数分裂して、nの卵とnの精子を作り、それが合体して2nの子になる)が一番手間がかかる。雌雄が出会って受精に至るには、オスがメスをめぐって争ったり、パートナーを探し求めたりと、コストがかかる。繁殖方法としては効率的でないにもかかわらず、この方法を採用する生物が多いのは、なぜかという問いに対して、遺伝的多様性が増えて、環境変動によって絶滅する確率が減るからという説明がなされてきたが、恐らく本当の所は、両性生殖という非効率的な方法であっても滅びなかったからだと私は思う。

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ヒルガタワムシという多細胞の微小な動物がいる。全世界に450種ほど分布し、そのすべては単為生殖で子孫を残し、約4000万年前から生き延びている。両性生殖で遺伝的多様性を担保しなくても、絶滅しない生物もいるのである。ただ、ヒルガタワムシは、他の生物から水平伝播でDNAを取り込んで、遺伝的多様性を保っているので、遺伝的多様性が保たれなければ、種(または種の系列)は長く生き続けられないというのは本当かもしれない。

生物は生き延びるために生殖方法を編みだしたわけではなく、無性生殖、両性生殖、単為生殖という基底の構造の下で、生き延びる方法を発見したのである。すなわち、機能が構造を作ったのではなく、構造の許す範囲で、機能が随伴した訳だ。

機能第一主義に頭の隅まで支配されている生物学者は、何であれ、生物の形質は、その形質を持つ生物の生存に資する、とア・プリオリに考えることが多く、ある形質を持っているにもかかわらず、生物は生存することも可能だとの考えには思い至らない。

ヒトは体毛を失った哺乳類で、体毛の喪失は耐寒性という観点からは明らかに不利である。多くの進化論者が、体毛の喪失には何か適応的な意味があるという考えに縛られて、様々な仮説を唱えてきた。例えば、人類は海辺で進化したとか(エレイン・モーガン)、ヒトの裸化は性選択の結果だとか(チャールズ・ダーウィン)いった説は、機能第一主義のなせる思考パターンの典型である。

私見によれば、ヒトの裸化は何らかの機能のために進化した訳ではなく、機能とはとりあえず独立の形質として現れたのであって、確かに耐寒性という観点からは不利であったが、それにもかかわらず、人類は凍死して絶滅することはなかっただけなのだ。おそらく、外胚葉の発生過程で、何らかの遺伝的な変異が生じて、脳が巨大化した(あるいは言語を獲得した)随伴形質として不可避に生じたのであって、適応的な意味はないのだ。

巨大な脳を獲得して賢くなったヒトは、寒さを防ぐために火を使用したり毛皮をまとうようになったが、火を使用したり、毛皮をまとうために、脳が大きくなったわけではないのは、普通に考えてみれば当たり前である。脳が大きくなった結果、様々な道具を作れるようになったのだ。従って、ここでは道具は機能のために作られたという機能第一主義は有効な考えとなる。しかし、脳をはじめとして、様々なヒトの器官は、機能のために作られたわけではなく、作られた後で、機能を発見したのは自明であろう。(メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)

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