人とは違う「突出した能力」を持つ人は、成功しやすく幸福だと思われるかもしれません。しかし、実際は人を幸福にすることはないと語るのは、メルマガ『上杉隆の「ニッポンの問題点」』の著者で『悪いのは誰だ!新国立競技場』の著書もあるジャーナリストの上杉隆さんが、 自身の「異常な記憶力」について告白。同じ能力を持った鳩山邦夫さんのもとに秘書として仕えた5年間を振り返りながら、その記憶力と人間関係について語っています。
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鳩山邦夫氏に仕えた5年間の秘書時代。ひとを幸福にしない「異常な記憶力」
いったい記憶力の良さというものは人を不幸にしかしない。
突出した記憶力を持ち、秀才の集まる東京大学出身の中でも群を抜いた天才といわれた鳩山邦夫氏。その鳩山氏に仕えた5年間の秘書時代は、厳しい時代ではあったが、知的には幸福な期間だった。
「君は、オレと少し同じだからわかる。その記憶力は人間関係において君を不幸にすることが多いぞ。普通のつもりでも理解されない。苦しいぞ」
鳩山事務所に入った最初の3年間は、自宅か事務所に泊まり込み、年間の休日日数はゼロ。最初に休みをもらったのは父の急死した翌日、葬式の準備のためだった。
その間の2年半、出勤時刻は6時、終業時刻は24時すぎごろ(事務所クローズの定刻は23時)。ただ、その時間に終業したことはなく、土・日・祝日も、お盆も正月もないため、そのため、途中から随行秘書となった私は、一日24時間のうちの実に寝ている時間以外(といっても、軽井沢などの別荘や地方出張だと幽霊嫌いの邦夫氏の命令で同部屋に寝かされる)は、車の中も、食事の時も、他の政治家との会食も、党の会合も、家族と過ごす休日も、研究対象の蝶々採集の時もすべて、ふたりでの行動となっていた。
「さっきも君は、○○たち(同僚秘書)はわざと覚えていないふりをしていると思って、彼らを責めただろう。(はい)。だがな、残念ながら、彼らは本当に覚えていないんだよ。そして、それが普通だ。いいか、忘れるなよ、君の方が異常なんだ」
鳩山氏の記憶力は驚異的だ。高校時代、現役生にも関わらず、駿台の全国模試で連続1位を取り続け、ほとんど受験勉強をすることなしに一校だけ受けた東京大学にストレートで合格した。私も自分では記憶力(=日本では頭)が良いと小さいころから言われ続けてきたが、鳩山氏のそれには到底及ばない。
「あの子は頭が良くってね。3年生の時も高校から戻ると、カバンを置いてパーッとどっかに行ってしまう。帰ってきたと思ったら、テレビでナイター(野球のナイトゲーム)を観て、夕食をとって、そのまま寝てしまう。翌朝、出かける前にちょこちょこと10分ほど、参考書でしたかね、なにかに目を通してそれで学校に行ってしまうだけ。本当に勉強をしたことなんてみたことなくて、それで『おふくろ、大丈夫だよ。滑り止めはいらないよ』と言っていたら、本当にその通りになった。まぁ、きちんと勉強をしないと大学に行けなかったお兄さん(由紀夫)と比べて、本当に要領がよかったんでしょうね(笑)」
生前、母の鳩山安子と話をしていると、いつもそんな話になった。そもそも都立小石川高校から現役で東京大学に合格した兄の由紀夫さんだって、優秀すぎるほど優秀だ。その由紀夫氏の才能が霞むほど弟の邦夫の天才はすさまじかったのだろう。
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「みんな忘れたふりをしていると思うだろう。だがな、本当に覚えていないんだ。彼らのことは馬鹿にみえるかもしれないが、実際この世の中、彼らの方が普通で圧倒的な多数なんだ。俺も若いころそれで苦労した。いいか、鋭すぎると自分に返ってくるぞ。だから、上杉な、ああやって議論になったときは『逃げ道』を残しておいてやれ。結局は同じ仲間なんだ。追い込んで追い込んで行き場を奪ってしまえば、必ず仕返しされるぞ」
映画『レインマン』の主人公は、サヴァンシンドロームの「患者」である。鳩山邦夫氏も同じ症候群だと言われていた。実際、大臣時代、文部省や労働省の大臣レクの際には、鳩山さんだけは秘書官、審議官のみならず、官房長から局長、課長までがずらっと並び、レク中の大臣からの質問に対して準備をしていた。当時の文部官僚もこう話していた。
「最初、大臣は用意された100枚にも及ぶ分厚い資料を強烈な速さで捲っていきます。ところどころに赤ペンで雑にしるしをつけて5分くらい、その間私たちはずっと黙ってみています。それで、ぱんっとペーパーを閉じると、『○○局長、平成元年の中教審では○○と決まっていたはずだが、なぜ今回の…』『○○課長、今回の労働基準法改正案では、前回のペーパーで改定されていた部分が削除されているが…』と質問を開始するんです。いや、あんな大臣は後にも先にも鳩山大臣だけです」
国会での答弁中も、鳩山大臣はペーパーをみない。レク中に瞼に焼き付けて、一瞬で文書ごと記憶してする。それはまさに写真のような正確さで彼の脳に記憶され、それを引き出すだけなのである。
当時の官僚たちのほとんどが東大など旧帝大出身者であり、彼らも頭が良い。だが、その官僚たちが別格扱いをしなくてはならないほど、鳩山大臣の記憶力はずば抜けていた。
「俺も記憶についてはみんなと大差なく、覚えているのが普通だと思っていたんだが、世間の大半の人間はそうではない、とずいぶんと後になって気づいたもんだ。田中角栄先生(鳩山邦夫氏は田中角栄秘書)にも『邦夫君、君はいろいろと持っているものが他人とちがうのだということを理解しなくてはならんよ』と指摘されて、注意されたしな」
鳩山氏ほどではないが、この記憶力こそが、現在の私の社会的人間関係を壊しているようだ。決して記憶力に対する自慢をしているのではない。意識せず、記憶力が紛争の種になってしまうのだ。
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「この人に対してこの話は7月、9月、10月の2回と計4回目になる。なぜ同じことを何度も聞いてくるのだろう?」
「時系列で順を追って説明したのになぜ逆のことを言うのだろう。もしかして、都合が悪いのでわざとなのかな?」
「おなじ説明を7回もした。でも説明が足りないって?馬鹿にしているだろうか?」
こんな感じで確認すると、たいていは私の記憶通りなのだが、相手を怒らせることになる。なぜか?人間とはそういうものなのだ。
人間関係や社会関係の維持に関しては、適度なあいまいさが不可欠なのだ。
とくに、他者を率いるリーダーなどは、適度なあいまいさに基づく寛容さこそが、組織運営の秘訣となることが多い。
大臣時代や党幹部時代の鳩山氏は苦しそうだった。白状すれば、私自身も約10年前から始めた会社経営(現在4社のトップ)ではあるが、苦痛でしかないのだ。
鳩山邦夫さんが、あの頃、なんども話してくれたことがようやく理解できた。
ひとりで歩み、ひとり責任を取り、ひとりで立って、ひとりで生きている方がずっと楽だということを。
秋空に舞う蝶々を眺めながら、あの頃の鳩山氏の苦悩のことばの数々を思い出している。苦しみをは、記憶力が良すぎるゆえのそれだったのだ。野山で蝶々を追っているときの幸せそうな顔と、国会での無表情のコントラストの意味をいまごろになって理解した。
記憶力は成功のカギにはなるかもしれないが、必ずしもひとを幸福にするものではないのである。
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