財務省が9月1日に発表した法人企業統計によると、500兆円を超えた2021年度の企業の内部留保。実に10年連続で過去最高を記録している内部留保については、一部野党や識者が課税を訴えていますが、果たしてそれは議論に値する主張なのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者で米国在住作家の冷泉彰彦さんが、内部留保への課税が「企業経営の基礎を無視した暴論」である理由を解説。さらにこの税金が導入された際に日本経済が被るダメージについても言及しています。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2022年11月1日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
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企業の内部留保はどこにある?
円安の影響で、一部の多国籍企業の利益は空前だと言われています。計算上は事実ですが、では、その空前の利益というのは、どこにあるのかというと、使われずに企業の中に積み上がっていることが多いわけです。
非常に単純化して言えば、1万円の商品を100万個販売して、100億円を売り上げた場合に、10億円が儲かったとします。この10億円をどうするかというと、一部は配当として株主に行きます。またこの利益の中から法人税も払わねばなりません。その後で、仮に4億円が残ったとします。
そのように100億円売り上げて4億円を残すということを、例えば5年続けたとすると4かける5で20億円になります。これが内部留保です。
つまり、儲かったカネを企業が溜め込んでいるとか、銀行に作った法人名義の口座にキャッシュがどんどん積み重なっている、そんなイメージです。こうしたイメージがあるために、「内部留保に課税しろ」という声が出てくるわけです。
企業が儲かったカネを、配当でもなく、法人税でもなく、自分の手元に残しているのなら、それを取り上げて社会のために使おう、そんな発想だと思います。人情としては分かりますし、大企業がこれに反対する姿を見ると、余計に「取り立てたく」なるというのも人間の感情としては、ありそうな話です。
ですが、そこには大きな誤解があります。
例えば、企業が10億円をかけて最新鋭の機械を買ったとします。何かの精密部品の製造を自動化するとか、そういった高度な機械です。例えば、普通の年だと、100億円を売って、10億儲かるビジネスをやっている中で、ある年に10億円の機械を買うと、過去に蓄積した内部留保が20億円あったとして、その中の10億円が吐き出されるとか、そんな印象があります。
また、別の印象としては、毎年100億売って10億儲かるビジネスを続ける中で、10億円の機械を買った年は儲けがゼロになる、そんな考え方もあるかもしれません。
ですが、この2つは全くの誤解です。企業が10億円のカネを出して、高度な工作機械を買ったとしても、その10億円を「損」あるいは「コスト」に入れることはできません。そんな「おこづかい帳」のような、会計をやっていたらその会社はアッと言う間に潰れてしまいます。
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故人となった今は、まるで「経営の神様」のように思われている稲盛和夫氏ですが、比較的若い時の自伝で面白いエピソードを述べていました。稲森氏が最初にビジネスに成功した際、税務署がやって来て、利益の多くを法人税として持っていったので驚いたのだそうです。そこで2年目には、製造用の機械を多く買ってカネが残らないようにして、利益をゼロに近い数字で申告したそうです。そうしたら再び税務署がやってきて、1年目よりももっと厳しい口調で怒られたそうです。
どういうことかというと、10億円のカネを出して機械を買った場合に、10億円のカネが消えるわけではないのです。10億のカネは、機械に化けたわけですが、その機械はちゃんと出したカネの分の価値はあるわけです。
正確に言うと、10億の現金という財産が、10億の機械という財産に置き換わっただけです。勿論、機械の場合は摩耗したり、技術が時代遅れになったりします。ですから、耐用年数というものがあって、仮にそれが10年だとします。そうすると、10億円を10年で割って毎年1億円ずつを「帳簿から減らしていく」ということをします。カネは最初の年に出ていったのですが、そのカネが置き換わった機械は1年毎に価値が1億円ずつ減っていく、その分を毎年1億円のコストとして記録するし、その分は利益から引いて良いことになっています。帳簿上は、一種の分割払いです。
ということで、非常に単純に申し上げるならば、企業が稼いだお金を「内部留保」しているという数字には、そのような機械を購入して、カネが機械に置き換わった後に、毎年価値を減らしているが、その瞬間にはまだ価値が残っている、つまり設備の価値というのも入っているわけです。
と言いますか、企業というのはよりよい製品やサービスを提供して、国際社会に貢献する、そのことで売上と利益を最大化するということを「目的とした組織」であり、これはビジネスというゲームの基本中の基本ルールであるわけです。
ですから、決算で発表される帳簿だけを見ていて「企業は内部留保を溜め込んでいる」と考え、「だったら余計なカネを銀行口座に貯めている」に違いない、だったら、そのカネを税金で取り立てるべきだというストーリーは、最初から間違っていることがわかります。
もっといえば、帳簿上は内部留保になっている数字のほとんどが、工場や機械などの設備投資に回っている企業に対して、新たな課税をするようですと、企業は借金をして納税しなくてはならず、経営的に行き詰まってしまうかもしれません。
では、ということで企業が貯め込んでいる銀行預金に課税するという話もあります。これも誤解があって、企業の貯めているキャッシュは、ビジネスを行って儲かった余計なカネだという決めつけは出来ないのです。
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例えば、企業の銀行口座を調べていって、毎月、売上を回収して現金が入ってくる一方で、ビジネスのコストや人件費を払っているとします。そして、預金残高の最低ラインを追っていっても、例えば100億円の売上の企業で、50億円はコンスタントに口座に残っていたとします。そうすると、この50億円は「余ったカネ」と思いがちです。
ですが、例えば長期のレンジで考えると、この50億円は万が一別のパンデミックが起きた際に、ビジネスが止まっても給与の支払いができるように準備しているカネかもしれません。また、数年後に新しい工場を建設する資金かもしれないのです。
そもそもこの50億円が、銀行口座に残高としてあったとしても、そのカネは、株や債券を発行して集めたカネであったり、あるいは銀行から借りたカネかもしれないのです。数年後に使う目的があって、そのために株主に増資に応じてもらったり、銀行から借りたカネだとしたら、それを「50億もあるから一部を税金として払え」などというのはメチャクチャです。
とにかく、会計の初歩知識をすっ飛ばして、「カネがあるなら税金を取ってやれ」とか、「儲かった残りが帳簿にあるなら税金がもっと取れる」というのは、無茶苦茶ですし、企業経営の基礎を無視した暴論だと思います。
そんな暴論を野党が漫談のように垂れ流し、これに対する反論がキチンとされていないというのは怖いことです。仮にも、こうした税金が導入されたら、そして、その税率が「何らかのまとまった税収になるぐらい大きい」場合には、日本経済のある種の部分はどんどん国外に流出する、そのスピードが加速するだけだと思います。
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