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asian businessman bowing for apology

何かあればすぐに「すいません」の日本。もはやビジネスになりつつある“謝罪”

 悪いことをしたらすぐに謝りなさい、と幼いころから教え込まれる日本人。しかし、それは本当に良いことと言い切れるのでしょうか。中国出身で日本在住の作家として活動する黄文葦さんが、自身のメルマガ『黄文葦の日中楽話』の中で、日本生活での「違和感」について語っています。

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謝りは文化、それともビジネス?

なぜ、保険会社が謝ってくるのか

此間、勤務している学校に警察から連絡があった。「ある人がレンタカー会社の車を運転して、そちらの専門学校の校舎にぶつかった。壁を損壊した。事故証明を発行する必要があるので、ご協力をお願いします」、ということであった。

そして、うちの学校の担当者は警察に協力して、学校の校舎の情報を提供してあげた。損害賠償について、警察に問い合わせたら、「レンタカー会社に伝言しますので、連絡を待ってください」。ただ、数日待っても連絡が来なかった。そして、また警察に電話し、今度警察は「保険会社から連絡します」と言われた。

早速保険会社から電話が来た。「申し訳ございません、この前の事故でご迷惑をおかけしました」と言われた。でもなぜ保険会社が謝るのだろうか。決まり文言とビジネス引き取りのような感じだと言わざるを得なかった。本来なら、事故の当事者と車所有のレンタカー会社が謝るべきではないか。

その後、損壊した壁を修復することも保険会社が手配してくれた。損害賠償は完全にビジネス化している。当事者の顔が見られない。謝る声も聴けない。

そういえば、謝ることは日本の企業文化の一部でもあり、ビジネスで何か問題が起きたとき、大小にかかわらず、謝罪は評判を回復し、悪いことを良いことに変えるために使われる。企業間の取引でも、謝ることは当たり前のように行われています。ネット上には、危機をチャンスに変える方法を教えてくれるビジネス謝罪の具体例が掲載されている。これは完全に「謝る」をビジネス化する。

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日常の中、接する「謝り」が多すぎる

身近なことをきっかけに、「謝り」について考えてみた。日本人は幼い頃から礼儀作法を教えられており、悪いことをしたらすぐに謝るだろう。「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉は、家族間でもよく使われる。親もよく子供に「ごめんね」と言うよね。外で人にぶつかったら、ぶつかった人が謝るだけでなく、ぶつかられた人も謝るのが習慣になっている。

しかし、日常の中で接する「謝り」が多すぎるという感覚もある。仕事柄、普段から接している広告代理店のある男性は、他人に何も悪いことをしていないのに、「すみません」を口癖にしている。彼にとっては、「すみません」がほとんど挨拶になっているらしい。

また、不用意な謝りや見下したような印象を与える謝る事情もある。例えば、ある日本人の友人は、自分の会社にいつも会議に数分遅れてきて、毎回多くの人を待たせている課長がいると言っていた。いつも遅れてから「ごめんね。忙しくて…」と軽く謝ることで、実は自分の存在を示すためだけなのだと友人が断言した。因みに、当方も「ごめんね」という言葉があまり好きではない。

文化の違いは、謝る仕方にも表れている。ここ数年、日本企業でも外国人社員が増え、いつも謝っている日本人と、謝ることに慣れていない外国人の間で、職場の文化摩擦が起きてしまうだろう。

普段、日本人が謝ることは、補償や責任といった要素とはほとんど関係がない。何かがあって、自分が悪いことをした、過失があったと思ったら、すぐに謝る。一方、海外の人たちは、謝ることは自分が悪い、何らかの責任があるという意味だと感じているらしい。謝ることより、ユーモアを交えて恥ずかしさを紛らわす。

以下のようなアメリカンジョークがある。

Customer: Excuse me, but I saw yourthumb in my soup when you were carrying it.

Waitress: Oh, that’s okay. The soupisn’t hot.

客:「すみませんが、そのスープを運んでくるときに、あなたの親指が入っていたのを見たんですが…」

ウエイトレス:「大丈夫です。スープが熱くないのでやけどしていません」

以上のようなジョークは日本では考えられないだろう。日本の場合は、スタッフは直ちに謝るだろう。日本サービス業界には謝ることが常態である。

日本人にとって、謝罪は物事を正すための手段であり、より良いコミュニケーションのための潤滑油でもある。一方、外国人は、些細なことで謝りあうのは時間と感情の無駄だと感じているかもしれない。

例えば、グローバル企業の中、仕事の進め方が悪かったり、ちょっとしたミスをしたときに、上司が改善を促すと、日本人社員はすぐに頭を下げて謝りがちだが、外国人社員は「ありがとう」と言うべきと考え、楽観的、前向きな姿勢を示す。仕事で同僚に助けられたときも、謝らずに「ありがとう」と言うべきだと思われる。

信じられなくて不思議な「謝る」もある。政治家や芸能人が浮気をし、その妻が世間に謝罪するなど、そして、アーティストの息子が罪を犯し、アーティストが記者会見を開き、鼻息荒く謝罪する。本来は当事者の自己責任であるではないか。このような謝罪は、日本でも賛否両論ある。

息子は成人しており、自身のしたことに全責任があるのだから、親が責任を取る必要はない、という意見もある。しかし、世論の多くは、やはり息子の不始末と両親の子育て不足が大きな要因だと考えているようだ。

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謝りたくない中国人

中国人は謝る習慣がないようだ。ひとつは、責任を取りたくないということ。謝罪すれば、責任があることを証明することになり、責任を問われることになる。次に、中身よりもメンツが大事で、謝ると面目をつぶすことになり、他人に対して劣等感を抱くことになる。

中国では、嘘をつかないと人間関係がうまくできないと思っている人が少なく、謝るということは自分に非がある、防御が破られる、だから謝れない。一部の中国人は非常に計算高く、謝ることのリスクが謝らないことより大きい、あるいは謝ることのメリットが謝らないことより小さいと思えば、謝らないのだ。

よく謝る日本人と謝りたくない中国人、背景には、文化と民族性格の異なることが垣間見える。また、中国人はよくボディランゲージで謝る気持ちを表す。例えば、両手を合わせる。あるいは相手の肩を友好的に叩くなど。また、「ご飯をごちそうします」、と言うのもよくある。

つまり、謝ることは勿論大事だが、感謝の気持ちもよく伝えればいいと思う。

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image by: Shutterstock.com

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在日中国人作家。日中の大学でマスコミを専攻し、両国のマスコミに従事。十数年間マスコミの現場を経験した後、2009年から留学生教育に携わる仕事に従事。2015年日本のある学校法人の理事に就任。現在、教育・社会・文化領域の課題を中心に、関連のコラムを執筆中。2000年の来日以降、中国語と日本語の言語で執筆すること及び両国の「真実」を相手国に伝えることを模索している。

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【著者】 黄文葦 【月額】 ¥330/月(税込) 初月無料 【発行周期】 毎月 第1月曜日・第3月曜日(年末年始を除く) 発行予定

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