12月も半ばに入り、そろそろ年末年始の準備を始める時期になりましたね。私達が当たり前のように感じている暦ですが、みなさんはどのようにそれが決まったのかご存知でしょうか?それについてメルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者・佐藤しょ~おんさんが今回詳しく語っています。
コレを作る人は国家に於ける最高権力者だった。「暦」にまつわるあれこれ話
暦(こよみ)って怪しい系でも非常に重要な存在でして、これが無かったら占いの1/3は機能しなくなります。
一般の人は暦イコール太陽暦なんでしょうが、東洋の怪しい系では干支歴を使います。干支歴というのは、立春を年の変わり目として、十干と十二支を組み合わせて作る暦です。そこは今日の本題ではないので割愛します。
実は古来から、暦を作る人がその国家に於ける最高権力者なんですよ。だから江戸時代も幕府が毎年暦を作成していた(作らせていた)わけで、その時に日蝕や月蝕を計算するところから、和算が発展したわけです。
和算と暦の関係については、
『天地明察(上)』
が面白いです。
暦イコール時間なわけで、これを決めることが出来る存在が最高権力者なら、相変わらずこの地球は大英帝国がこの地球を治めているとも言えるんです。なぜならば、グリニッジ線がイギリスを通っているわけで、これによって地球の時間と場所が確定しているわけですから。
あんなのは、決めの問題で、どこでも良かったんですよ。例えば、明石の天文台を本初子午線にしても不都合はないんですよ。その基準となるラインを引いたのがイギリスなわけで、それによって全世界の時間と場所が確定したわけ。
ん?時間は分かるけど場所が確定って…と疑問に思う人がいるでしょうから解説すると、本初子午線を基準にして、東経何度って決められているわけですよ。今はグーグルマップがあるから理解しやすいですが、地球上のあらゆる位置は、北緯何度何分何秒、東経何度何分何秒で定まるわけです。その基準がグリニッジ線であそこがゼロ度になっているんですから、イギリスが我々の居場所と特定させているとも言えるわけです。
そして日本では政権が徳川から明治新政府に移ったわけですが、ここで新政府は改暦という作業に着手します。それは旧暦(太陰暦、月の満ち欠けを基準として作った暦)から、現在我々が使っている新暦(太陽暦、地球の公転周期を基準として作った暦)に変更するということです。
それが1872年明治5年の12月2日に行われました。具体的にどういうことだったかというと、明治5年12月2日の翌日を、明治6年1月1日にするということです。
これって何気にスゴくないですか?12月2日ってまだ師走が始まったばかりで、フツーに年の瀬ですよ。それをすっ飛ばして、翌日が元旦って言われてもお正月の準備なんて出来ていないわけですよ。商家だと、売掛金の回収が終わっていないはずです(当時は年末に1年分の掛け売りを清算する習慣がありました)。
なんでこの日だったのか?というと、これには笑える理由があるんです。
当時は明治新政府が出来たばかりで、財政基盤が整っていなかったんです。それでも役人には給料を支払わなきゃならないわけですね。で、厄介なことに太陰暦だと閏月が発生するんです。太陰暦は月の満ち欠けを基準にしていますが、月の公転周期は27日なんですね。これをひと月とすると、毎月3日ほど、地球の公転周期とズレるわけ。これを調整するために、頻繁に閏月を挿入していたんですね。
つまり1年が13ヶ月ある時があったんです。となると、月給を年に13回支払わなきゃならないことになるんですよ。閏月とはいえ、別の月ですからね。で、当時の新政府にはその給料を支払うおカネが無かった。そこで、太陽暦を採用したら、今後ずっと月給を12回払えば良くなると気付いた人がいるんですね。しかも12月2日だとまだ12月分の月給を払っていないんですから、そこで太陽暦に切り替えても月給の支払いが増えることはなかったんです。
これが政府が大急ぎで太陽暦を採用した理由のひとつだという話があるくらいです。
また、一週間を7日としたのも、太陽暦が採用されてからで、我々の生活のリズムは太陽暦によって大きく変化したわけですね。つまりやっぱり、時間を司る存在が最高権力者だということになるんです。
来年はそんな太陽暦が採用されてから150年になる記念の年でもあります。
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