仕事ができる社員、できない社員。よく耳にするこの言葉ですが、仕事ができない社員というのは果たして本当に本人だけの責任なのでしょうか? 今回の無料メルマガ『「黒い会社を白くする!」ゼッピン労務管理』では、著者で特定社会保険労務士の小林一石さんが紹介する判例は、会社のせいか、本人のせいかを示す指標となるかもしれません。
「仕事のできない社員」は本人のせいか、会社のせいか
おそらく世界一有名な会話の一つが「私と仕事とどっちが大事なの?」ではないでしょうか。
それに対する模範解答はネットでもいろいろとでていますが、逆にまずい解答は「どっちも大事だよ」だそうです。
ただ実際は、そこまで言えれば良いほうで、「こっちだって忙しいんだよ!」となってしまうパターンも多いのではないでしょうか(私は…たぶん大丈夫です)。
では、そうなった場合はどちらが悪いのか?これは難しいですね。
前者のセリフを女性、後者を男性と仮定すると、女性にしてみれば「(仕事を優先しているようで)寂しい」、男性にしてみれば「(仕事を優先では無いけど)
忙しくてそれどころではない」とそれぞれ言い分があるわけです。
これは仕事についても同じようなことが言えるのではないでしょうか。
上司からみれば「なんでこんなことが出来ないんだ!」と思うようなことでも、部下からすると「ちゃんとしっかり教えてくれないからできないんだ」と感じているかも知れません。
ではどちらの言い分が正しいのか?どちらの言い分も気持ちはわかるので中々難しいところですね。
ではこれが裁判だとどのように判断されるのでしょうか。
それについて裁判があります。
ある協同組合で職員が長時間労働が原因でうつ病になり、自殺をしました。そこで遺族が協同組合を訴えたのです。
そこでの協同組合の「言い分」が次の通りです。
・仕事の内容は難易度が高いものでは決してなく、負担が大きなものではなかった
・上司に対して相談もなく、1人で業務をしていたため、会社が負担を軽減してあげることができなかった
・長時間勤務による申請書の提出が無かったため、会社が勤務状況を把握することができなかった
・業務を教えてもらうときにメモを取らないなど、効率的に仕事を行う姿勢がみられなかった(長時間労働になったのは本人の能力の問題である)
・体調が悪いのであれば自ら病院で受診するなどして健康管理を行うべきである(なのにしなかったのは本人の落ち度である)
いかがでしょうか?一見すると決して間違った言い分では無いように思えます。
ではこの裁判の結果はどうなったか?
会社が負けました。その理由は次の通りです。
・難易度が高くないにしても勤務を始めてから半年しかたっておらず、仕事に慣れていない状態では負担が少なかったとは言えない
・相談が無かったとは言え、上司は長時間労働を実際に見ており、そもそも会社が残業の時間数を把握しようとした痕跡も認められない
・申請書が提出されなかったからと言って、そもそも労働時間の把握を怠っていながら、それを本人のせいにするのは決して認められることではない
・異動前の部署では残業をすることはほとんどなく、業務を処理できていたのであるから、能力が低かったと言うことはできない
・医師から具体的に受診をすすめられたことも無く、病院で受診する機会があったわけではないので、受診していないことが過失とは言えない
以上から「職員の過失は認められない」と裁判所は判断をしました。
さて、みなさんはどのように感じたでしょうか?
「仕事のできない社員」というのはよく話題になります。では、そのできないのは果たして本当に本人のせいなのか?
実際にどうかは別として最初から本人のせいにしてしまっては進展が無いような気がします。もちろん、逆に本人が「会社のせい」「上司のせい」にしていたらそれも問題です。お互いが「自分のせい」にして改善できたら良いですね。
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