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新築住宅でガスと灯油の暖房が原則禁止?ドイツ政府の打ち出す「暖房法案」は何が問題なのか?

ドイツ政府が、ガス、灯油の暖房システムの使用を禁止し、ヒートポンプ式の暖房に置き換える法案を打ち出しています。ヒートポンプは日本の冷暖房では既におなじみの技術ですが「ドイツ国民にとっては負担が大きい」と、作家でドイツ在住の川口マーン惠美さんは話します。通称「暖房法案」の何が問題なのか? 川口さんが「気付いた時には手遅れ」にもなりかねないドイツの現状について解説します。

プロフィール:川口 マーン 惠美
作家。日本大学芸術学部音楽学科卒業。ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ドイツ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。ベストセラーになった『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)をはじめ主な著書に『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)、『復興の日本人論』(グッドブックス)、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)がある。

ガスと灯油の暖房が原則禁止になる?

社民党、緑の党、自民党からなるドイツ政府は、将来の暖房システムに関する大変な法案を作成した。「建造物エネルギー法(GEG= Gebäudeenergiegesetzes )」で、巷では「暖房法案」と呼ばれている。

法案の中身を簡単に言えば、従来、多くの家庭で使われてきたガス、および灯油の暖房システムが段階的に禁止され、近い将来、政府が推奨しているヒートポンプ式の暖房に置き換えることが義務付けられる(水素暖房も認められるが、これはまだ絵に描いた餅)。ヒートポンプというのは、電力を使って大気中の熱を集めて移動させる技術で、熱を作るのではなく移動させるだけなので電力消費が少なく、日本の新しいエアコンでは冷暖房ともに、すでにこの技術が使われている。ただ、欧米の家庭では元々冷房はなく、暖房にヒートポンプ技術が使われることもほぼ皆無だった。

ドイツは寒い国なので、ほとんどの家庭はセントラル・ヒーティング方式で家全体を暖める。集合住宅の場合は、全戸の暖房が一括で賄われ、たいてい地下に暖房の機械室がある。もちろん、各戸の暖房の強弱や入切は自由に行え、それによって個々の料金の計算がなされるという合理的な仕組みだ。

ところが政府の考えでは、2024年1月以降、新築住宅ではガスと灯油の暖房が原則禁止され、ヒートポンプが標準仕様となる。つまり、それを法律で固めようというのが今回の暖房法案である。ただ、ヒートポンプは値が張るので、これにより、マイホームを計画している人たちの予算に大きく狂いの生じることは間違いない。24年といえば、わずか半年後の話だから、国民の戸惑いは大きい。

ヒートポンプ設置には、いくつか例外も定められている。たとえば遠隔暖房のネットワークに接続できるならヒートポンプを設置しなくてもいいし、また、使用する燃料の少なくとも65%が再エネ由来なら、ガスや灯油の暖房を引き続き使うことが許される。

遠隔暖房というのは、自治体や公社が大規模に熱湯、もしくは高温の蒸気を作り、それをパイプで周辺地域に供給し、各家庭の給湯と暖房に利用するシステムだ。これは19世紀終わり頃より、ソ連や北欧など寒冷地域、またドイツでは、冷戦時代にソ連のガスが供給されていた関係で、特に旧東独地域で普及している。地域の所々に、その高温の水や蒸気を60〜70度の温水に変える熱交換所があり、そこからさらに各建物に温水が送られ、それを家庭で温水供給と暖房に使う。環境に対する収支では大変効率が良いと言われる。

ただ、パイプによる高温の水、もしくは蒸気の輸送なので20km以上離れると機能しにくくなるため、都市部など家が比較的密集している地域に限られる。要するに今回の法案では、都市部でこの遠隔暖房に接続できれば、新築であってもヒートポンプ設置の義務からは免れるということになる。

では、新築ではない既存の住宅はというと、これまで使っていたガスや灯油の暖房をそのまま使ってもよいと、経済・気候保護省がやけに強調している。しかも、それらのガスや灯油の暖房器具が故障したら、24年以降でも修繕が許され、それどころか、修理不能の場合は、中古のガスや灯油の暖房に交換してもよいのだそうだ(新品の製品の販売は禁止される)。

また、木質チップを使うバイオマス暖房も許されるし(それらの植物が成長する間にC O2を吸収したので、燃やしてもプラスマイナス・ゼロという計算)、遠隔暖房も水素ガスもOKと太っ腹だ。

国民の抵抗を抑えて法案を通すための口実か

ただ、実はこれらは全て、国民の抵抗を抑えて法案を通すための、体のいい口実だと思われる。なぜなら、よく読むと、ガスや灯油の暖房器具を使い続けてよいのは修繕や交換した後の3年だけで、それ以後はやはり再エネが65%以上含まれた燃料を使わなくてはならないからだ。

つまりガスなら、有機メタンやグリーン水素(再エネの電気だけで作った水素)が65%混ざったもの、灯油なら合成オイルなどだが、そんな燃料を適当な値段で売ってくれる販売会社は、早々は現れない。

「では、遠隔暖房を」と思っても、こちらは熱交換所やパイプが必要なため、それが完備されていない地域では接続は不可能。パイプの拡張については、目下、政府が調整中だというが、グリーン水素と同じく、いつの話かわからない。つまり、結果として、遅かれ早かれ、皆がヒートポンプに買い替えなくてはならないということだ。

唯一、本当にこの義務が免除されるのは、現法案によれば、80歳以上の人らしい。ヒートポンプへの転換は、大きな経済的負担があるばかりでなく、大掛かりな工事を必要とするケースが多いので、老い先短い人間(?)に強要するのは気の毒ということか? あるいは、持ち主が世を去った後、ヒートポンプ設置と、それに関わる大きなコストのかかる家屋を買う人がいないであろうことを見越して、当局がそれらの家屋や土地を買い取り、公営の住宅にするつもりかもしれない。そうなれば、東ドイツ時代に逆戻りだ。

現在のドイツでは、全国4100万世帯のうち、ガス暖房が50%、灯油暖房が25%、遠隔暖房が14%で、ヒートポンプは3%にも満たない。そして、たとえヒートポンプに変えようと思っても、前述の通り、器具の代金に加え、床を剥がすなど面倒な工事や莫大な工費が掛かる。しかも、その工費は、古い家ほど割高になるため、収入の低い人たちに重い負担がかかることが必至。経済・気候保護省のハーベック氏は、潤沢な補助金をつけるというが、その財源は明らかではない。

さらにいうなら、現在のドイツには、それほど大量のヒートポンプ工事を行える工務店や職人のキャパシティーがないし、供給する電気があるのかどうかも覚束ない。はっきり言って、無理な法案なのだ。それでもハーベック氏はそんなことにはお構いなし。彼らにとっての政治の最重要課題は、産業興進でも、貧困対策でも、インフレ抑制でも、教育制度の改革でも、難民政策の改善でもなく、1日も早いカーボン・ニュートラルである。

そのためハーベック氏は、風力発電も急激に増やす方針だ。ドイツには、すでに陸海合わせて3万本近い風車が立っているが、今でさえ、風が強いと電気が余り、隣国にただのような値段で出す一方、夕方には太陽光発電がゼロになるので、石炭・褐炭火力を立ち上げても需要に追いつかず、毎日のように外国から高い電気を輸入している。つまり、これ以上いくら風車を増やしてもこの事情は変わらないばかりか、風のある時とない時の発電量の差が広がり過ぎ、その調整がますます難しくなる。しかし、ハーベック氏は、こんな不安定な電力事情の中、よりによって4月15日、ベースロード電源を担っていた原発をすべて止めてしまった。

CO2削減のためガスや灯油の暖房を禁止して、国民を高価なヒートポンプに誘導しているドイツ政府が、CO2フリーの原発を止め、その穴埋めに石炭と褐炭とガスを炊き増し、急激にCO2を増やしているのは、どう見ても辻褄が合わない。しかも電気代はEUでずば抜けて高いのだから、 ドイツの「エネルギー転換」は大失敗だ。

当然、外国企業のドイツへの投資は止まり、ドイツ企業の脱出も始まっている。ヒートポンプがいくら良いテクノロジーであっても、それをその他のテクノロジーを禁止して押し付けてくる政府のやり方に、産業界は自由経済の危機を感じ取っているからだ。自由のないところでイノベーションは生まれない。新しい技術の導入にはもっと時間が必要だ。

ヒートポンプがネックになって、今では住宅建設への投資も進まない。緑の党はかねてより、「ドイツ人は大きな家に住みすぎている」と言っていたから、政府はいずれ一戸建てを潰し、集合住宅を増やしていく予定かもしれない。まさに社会主義化であり、国民がそれに気づいた頃には、反対意見さえ出せない世の中になっているかもしれない。

東西ドイツが統一された後、あらゆる機構が旧西独の手に落ちたが、33年目にして、ドイツは徐々に東独化していくように感じる。原発を止めて、石炭を増やしているぐらいだから、緑の党の最終目標は、実はCO2とは関係なく、電気もガスも原子力もない「新しい世界」かもしれない。

今、あれほどの人気だった緑の党の支持率が落ち始めている。それでも国民がまだあまり騒いでいないのは平和ボケのせいだが、政府は暖房法案を夏にも通したい意向のようなので、それを機に国民もハッと目覚め、反対運動を始めるのではないかと思う。それが暴力的なグループなどに利用され、不穏な状況を招かないことを願うのみだ。

プロフィール:川口 マーン 惠美
作家。日本大学芸術学部音楽学科卒業。ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ドイツ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。ベストセラーになった『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)をはじめ主な著書に『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)、『復興の日本人論』(グッドブックス)、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)がある。

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川口 マーン 惠美

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