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ブレない脱原発。菅直人元首相が反対討論で「安倍晋三」の名を出した理由

「エネルギーの安定供給」や「脱炭素化」といったワードを駆使しつつ、原発回帰に向け突き進む岸田政権。そんな彼らに待ったをかけたのは、原発事故を首相として経験した唯一の政治家、菅直人氏でした。今回、毎日新聞で政治部副部長などを務めた経験を持つジャーナリストの尾中 香尚里さんは、GX法案に対する菅氏の反対討論について解説を交えながら全文紹介。その上で、彼の発言全てを掲載した意図を記しています。

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

岸田のちゃぶ台返しは我慢ならぬ。GX法の反対討論に立った菅直人のブレない脱原発

立憲民主党の菅直人元首相(党最高顧問)が4月26日の衆院経済産業委員会で、原発の運転期間を「60年超」に延長可能にする「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法案」の採決を前に、反対討論に立った。11年前の東京電力福島第1原発事故当時の首相として「脱原発」に大きくかじを切った菅氏。首相退任後も一議員として、原発問題を中心に国会質疑に積極的に臨んできたが、自らが敷いた国家方針を「ちゃぶ台返し」するかのような岸田政権に我慢がならなかったのかもしれない。

原発政策については国民の間にもさまざまな意見があるだろう。しかし、どんな立場をとるにせよ、この機会に12年前の「国難」を改めて思い起こし、胸に刻むことは、決して無駄ではないと考える。

約5分半に及んだ反対討論を、解説を加えながら全文紹介したい。

政府提出の「GX脱炭素電源法(脱炭素社会の実現に向けた電力供給体制の確立を図るための電気事業法等の一部を改正する法律案)」について、反対の理由を申し述べます。

菅氏はこう前置きすると、やや意外なところから語り始めた。

亡くなられた安倍晋三元総理の祖父である岸信介元総理は、東条英機内閣の商工大臣だったときに、太平洋戦争開戦の詔勅に署名し、戦後、A級戦犯容疑で逮捕、収監されました。

一瞬戸惑ったが、謎はすぐに解けた。

いま、原発を推進していこうという趣旨の法律を成立させることは、約80年前に、アメリカと戦争をすることに賛成したのと同じぐらい、後になって犯罪だと批判される政治判断である。このように言わざるを得ません。

原発推進にかじを切ることを、太平洋戦争の開戦決定になぞらえた。開戦の詔勅に署名した閣僚はもちろんほかにもいるわけだが、あえて岸氏の名を挙げて「安倍晋三元首相の祖父」を強調してみせた。

なぜ安倍氏なのか。原発事故当時に安倍氏が「菅首相が原発を冷却するための海水注入を止めて事故を拡大させた」というデマを流したことへの遺恨なのか。おそらくそうではない。想定されたのは、安倍氏が第1次政権当時の2006年、巨大地震に伴う原発への危機の発生を過小評価していたことではないだろうか。

共産党の吉井英勝衆院議員(当時)が、巨大地震の発生によって原発の電源が喪失し、深刻な危機に陥る可能性を質問主意書で指摘したのに対し、安倍政権は答弁書で「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」として、何の対応もしなかった。原発の「安全神話」に染まり、推進姿勢を一切見直さなかったわけだ。

それから5年もしないうちに、福島第一原発を大津波が襲った。原発は全電源を喪失し、菅氏は日本で初めて、首相として原子力災害対策特別措置法に基づく「原子力緊急事態宣言」を発令した。まさに「国難」だった。

イデオロギーではない。菅直人が脱原発を曲げない理由

安倍氏の名前が出たせいか、議場が若干ざわめく。菅氏は構わず発言を続けた。

2011年3月の東京電力福島第一原発事故のとき、私は内閣総理大臣として、この国に暮らす人の命と財産を守る責任を持つ立場の人間でした。刻一刻と変化していく事故の状況の報告を受け、東日本壊滅、つまりは「日本壊滅」を覚悟致しました。

 

これは私だけではありません。現場の責任者である吉田(昌郎・東電福島第一原発)所長も、国の原子力行政を担う(内閣府)原子力委員会の近藤(駿介)委員長も「東日本壊滅」を覚悟したのであります。

これは誇張ではない。実際この当時、菅氏は原子力委員会の近藤委員長に、原発事故について「最悪のシナリオ」の策定を非公式に求めた。事故発生から2週間後の3月25日、近藤氏から首相官邸に届いた「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」という文書によれば、最悪の事態を仮定した場合「東京を含む原発から半径250キロ圏内が避難の対象になる」とされていた。

菅氏は続けた。

どんなに安全基準を厳しくしても、どんなに事故を起こさないように努力しても、地震国である日本で、この先何十年にもわたり、原発が地震や津波の被害に遭わない保証はありません。むしろ、地震に遭う確率のほうが高いのです。

 

飛行機事故、鉄道事故、高層ビルの大火災、石油コンビナート火災などの大災害と、原発事故とは根本的に異なります。それは、ひとたび大事故が起きたら、誰にも制御できなくなる、ということです。

 

私は、原発事故の恐怖を身をもって感じました。「日本壊滅」のイメージが頭から離れず、眠れない夜を過ごしました。だから、私は脱原発に舵を切ったのです。

菅氏にとって「脱原発」とは、もはやイデオロギーではなかった。国民の命を預かる首相として過酷事故に対峙しなければならなかった実体験からの、リアルな実感だった。

菅氏はさらに発言を続けた。

私の内閣のこの決断を、多くの国民は支持をしてくれました。当時は自民党も、脱原発には反対しなかったではないですか。

意外なようだが、これも事実だ。原発事故の翌年の2012年暮れ、衆院選で民主党は野党に転落し、安倍氏率いる自民党が政権を奪還する。その選挙における同党の公約には、原子力政策に関して「原子力に依存しなくても良い経済・社会構造の確立を目指します」「権限、人事、予算面で独立した規制委員会による専門的判断をいかなる事情よりも優先します」と書いてあった。

原発事故の記憶が生々しかった当時、こうした認識は与野党を超えて共通したものだったことがよく分かる。

菅氏の反対討論に戻る。

約2年間にわたって、原発による発電がゼロだった時期もありましたが、日本のどこにも大停電は起きませんでした。原発ゼロでもやっていけることは、すでに実証がされています。

 

東京電力福島第一原発事故を教訓に定められた原子力規制の柱である、重大事故対策の強化、バックフィット制度(最新の科学的知見で原発規制のハードルが引き上げられた場合、それを既存の原発にも義務付けること)、40年運転規制、そして規制と利用の厳格な分離について、これに変更を迫る立法事実は存在しません。これを堅持しなければなりません。

原発事故を踏まえ、菅政権はさまざまな原発の規制強化策を打ち出した。そもそも原子力規制庁の発足自体が、菅政権の実績だ。それを覆して「3.11以前」に戻すかのような動きに、当事者として耐え難い思いがにじんだ。

GX法案推進派が叫ぶ「脱炭素」へも痛快に反論

昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻で、世界のエネルギー情勢は一変した。これを追い風とみた原発推進派、そして岸田政権は「エネルギーの安定供給」を叫んで原発推進への大きなかじを切ろうとしている。

しかし菅氏は、ロシアのウクライナ侵攻について、全く違う方向からとらえていた。

ウクライナ戦争を受けてエネルギー事情は大きく変化しており、世界は再生可能エネルギーへのシフトを加速化しています。

 

武力攻撃の目標となる原発は、その存在自体が国家安全保障上のリスクであるとの認識も広まっています。

 

それなのに、今回の原子力基本法改正は、原子力産業への支援が「国の責務」として詳細に規定され、原発依存を固定化するものとなっています。

「エネルギー安定供給」と並んで推進派が叫ぶのが、気候変動問題への対応、すなわち「脱炭素」だ。菅氏はこれにも反論する。

確かに地球温暖化も深刻な問題で、火力発電についていつまでも頼れないことも事実です。だからこそ、再生可能エネルギーを推進すべきなのに、自民党・公明党の政権は、それを怠ってきた。そのツケを、原発を再び推進することで払おうとしている。これが、この法律(法案)の本質ではないでしょうか。

 

子どもや孫に借金を残してはいけないのと同じように、子どもや孫に原発を残してはいけないのです。

最後に菅氏は、再び太平洋戦争開戦に戻った。

くしくも37年前(1986年)の今日、4月26日は、チェルノブイリ原発事故が発生した日です。今後10年、20年の間に、天変地異や有事で、老朽原発の事故が起きたときに、子や孫から「このような法律を成立させたために(再び原発事故が起きた)、あなたがたに責任がある」と批判されても、反論できません。

 

大臣として太平洋戦争開戦に賛成した岸信介氏が、戦犯容疑で逮捕されたように、この法律(法案)に賛成する人は、未来に対する罪を犯したことになる。このように私は考えます。

そしてこう締め括った。

私は未来への責任を持ちたい。だからこそ、この法律には反対です。以上です。

菅氏の反対討論を全文紹介したのは、原発政策を議論するにあたって、福島原発事故の記憶は決して忘れることはできない、と考えたからである。

東日本大震災と福島原発事故から今年で12年。干支も一回りし、あの日亡くなった方々は十三回忌を迎えた。節目の年を超え、風化が進むことを危惧する。

菅氏も76歳。政治家人生の集大成を迎えようとしている年齢だ。あの反対討論には、単に法案への反対だけでなく、自らのあまりにも過酷な経験と、そこから得るべき知見を、日本の政治にしっかり遺しておきたいとの意思が感じられた。

私たちはあの日を風化させてはいけないのだ。先の大戦を風化させてはいけないのと同じように。

image by: 菅直人公式サイト

尾中香尚里

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

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