「虫が好かない」「虫酸が走る」「腹の虫が治まらない」「浮気の虫が…」など、日本人は古来、自分の中で起こったあまりよろしくない感情を“虫”のせいにしてきました。CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田教授によれば、英語にはこのように「虫」を使った常套句、慣用句はないそうです。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、さまざまな言葉を例にあげ、「虫」を使った表現が数多く存在することについて考察。日本人の性質や西洋人とは違う自我の捉え方などについて言及しています。
「虫」を使った常套句について
去る6月4日の「虫の日」にちなんで鎌倉の建長寺で「虫供養」があった。6月4日を、語呂合わせで「虫の日」に制定したのは、手塚治虫らの呼びかけで1988年に設立された「日本昆虫クラブ」によるものが嚆矢だと言われているが、詳しい事は知らない。そもそも私は「日本昆虫クラブ」なるものがどんな組織かよく知らない。これとは別に6月4日を「虫の日」に制定した個人や団体もあり、有名なのは養老孟司が2018年に制定して「一般社団法人・日本記念日協会」に申請して、同協会から認定されたものだ。
養老さんは鎌倉の建長寺に隈研吾設計の虫塚を2015年に建立して、2016年から毎年この日に養老さんの知人(虫友達ばかりでなく虫とはあまり縁のない友人も含まれている)を招待して「虫供養」を行っている。まず、トークショーを行い、そのあと、虫塚に行って虫供養をして、最後に飲み会でお開きという流れである。
養老さんのトークショーの相手は、2016年は文化人類学者の植島啓司、2017年は高精密昆虫写真の技術を開発して、昆虫の精密写真を発表している小檜山賢二、2018年は私、2019年は昆虫デザイナーの佐藤卓、2022年はイラストレーターの南伸坊、そして今年は僧侶で作家でもある玄侑宗久であった(2020年21年はコロナのため中止)。
今年は、コロナ明けという事もあってか、一般の人も含めて300近くの人が見えて、盛会だった。大半は、養老さんのファンの人で、昆虫にはあまり興味がない人も多かったようだ。虫好きで有名な荻野目洋子も見えていて、虫供養の後、新潮社が、荻野目さんと養老さんと私のスリーショットの写真を週刊新潮に載せたいというので、虫塚の周りを歩かされた(この写真は週刊新潮6月15日号に掲載されている)。
ところで、玄侑さんはお話の中で、虫にちなんだ常套句に言及された。確かに日本には虫というコトバを使った常套句が多いと、改めて思った。以下、これについて考えた事を述べてみたい(玄侑さんのお話とは直接の関連はない)。
まず、「虫が好かない」というコトバから話したい。こういったタイプの虫にちなむ常套句は外国語にはない(と思う。少なくとも英語にはない)。「あいつは何となく虫が好かないんだよな」といった表現は今ではあまり使わなくなってしまったかもしれないが、私が小さい頃の大人はよく使っていたような気がする。
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よく考えてみるまでもなく、あいつを好きでないのは私であって、虫ではないのに、なんでこんな表現をするのだろう。「あいつは嫌いだ」という直接的な表現を避けて、嫌いを虫に託して婉曲に表現したと考えられないでもない。「嫌い」というのは、ネガティヴなコトバなので、私の体の中に棲んでいる「虫」が好かないので、私自身はそれほど嫌いでないという言い訳を言外に表現しているのかもしれない。したがって「好き」というポジティヴなコトバに関しては、「虫が好く」という表現は聞かない。
しかし、婉曲に表現したわけではなくて、本当に嫌いなんだという時も「虫が好かない」という表現を使うわけで、この場合「虫」とは、私とは別の「私」なのであろう。西洋的な考えでは自我は一つで、私は私だが、日本人は必ずしも自我は一つではなく、意識上の私以外にも、意識下の私、あるいはさらに深層の私、といった具合に私には分身がいて、そういった潜在的な私の分身を「虫」と表現したのかもしれない。
これと似たような表現に「腹の虫が治まらない」というのがある。私自身は、何とか我慢できるのだが、お腹に棲んでいる「虫」が怒っているので、収まりがつかないという事だ。「虫の居どころが悪い」という表現も、対外的には、私は機嫌がいいように取り繕ってはいるが、「虫」の機嫌が悪いので、なんとなく元気が出ないという事だ。こうなると、私よりも「虫」の方が、本当の私なのではないかと思わないでもない。
「浮気の虫が目覚めた」なんて表現もある。あなたが浮気したいだけで、虫のせいにしているんじゃねえよ、と思うけれども、理性ではどうにも止まらない欲望を「虫」と表現して、多少とも後ろめたさを軽減しているのかもしれない。「塞ぎの虫にとりつかれた」人は、現代風に言えば鬱病だけれども、「虫」のせいじゃしょうがないよと言って、原因を虫に転嫁しているのだろう。
昔は、寄生虫が体の中に棲んでいて悪さをするのは普通の事だったので、そういったタイプの虫にちなんだ常套句もある。一番有名なのは「獅子身中の虫」だ。組織に忠誠を尽くすようなそぶりをしているが、いざとなった時に反旗を翻して、組織を破滅に陥れる反乱分子の事だ。人類の政治史を鑑みても、外敵によって滅ばされるのと同じくらいの頻度で、国家権力は、獅子身中の虫によって滅ばされたと思われる。(一部抜粋)
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