総選挙で圧倒的多数を獲得した高市政権は、一見すると盤石な権力基盤を手にしたかのように見えます。しかし、巨大与党体制の成立が直ちに「国の進路」を示すわけではありません。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、高市政治を一つの契機として、日本がこれから選び取るべき国家像とは何かについて考え直そうとしています。
プロフィール:高野孟(たかの・はじめ)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
高市は所詮は安倍のエピゴーネンにすぎない/その先の日本の進路を考え始めよう!
衆院選結果は、自民党だけで316議席、維新と合わせると352議席というビックリ仰天の結果となった(図1 https://bit.ly/4rbaIUV )
さらに、自民が勝ちすぎて比例名簿が足りなくなり他党に譲った議席が14あり、それを含めれば自民単独で330議席。譲られた先には維新の2があるので、与党合計364議席になったはず。逆に野党は、それで転がり込んだ議席が中道に6あるのでそれを差し引くと43議席、国民は2なので26議席に終わるはずだった。ひとたび「風」が吹いた時の小選挙区制の雪崩効果ほど恐ろしいものはない。
それにしても、今井尚哉=内閣官房参与ら官邸参謀の戦術眼には凄味さえ感じさせるものがあった。高市早苗首相の「ハキハキした物言いがいいんじゃないの」という程度のネットを中心としたフワッとした人気が続いていて、通常国会が始まって野党との本格的な論戦が始まってボロが出始める前に、そしてまた立憲・公明の新党結成が整わない内に、戦後最短期間の総選挙を電撃的に仕掛けるというその狙いは、ズバリ的中し、これまで見たこともない政界配置が出現した。しかもそこには、旧安倍派の裏金議員の復権による事実上の「高市派」の形成という陰のテーマもきちんと組み込まれていて、戦術的レベルで言えば見事というほかない。
●所詮は安倍の不出来な弟子でしかない
さて、しかし高市政権はこの巨大与党を背に何をしようとするのか。こういう言い方をすると危険の過小評価と言われるかもしれないが、私は、高市の本質は所詮「安倍晋三元首相の出来の悪い弟子」であり、それを超える何か大きなことは何も出来ずに終わるのではないかと見ている。
彼女が9日の会見などで強調した重点政策は、
(1)食料品消費税の2年間限定のゼロ化、
(2)行きすぎた緊縮策を脱却して「責任ある積極財政」による戦略分野への投資、
(3)あくまでトランプ政権の要求に沿った防衛費の大幅増やインテリジェンスの強化、
(4)憲法に自衛隊の存在を明記することを中心とする改正に努力する、
ーーなどだが、特に(3)(4)については選挙中には言葉をチラチラ演説の中に散りばめた程度で、党首討論も避けたので全く体系的な話はしておらず、また(1)にしても、「国民会議を開いて代替財源の問題を含め検討を加速し、夏前に中間報告」と他人任せのような台詞を繰り返すだけで、「自分はこうする!」と言質を与えることを極度に避けようとしている。それは、長い在任中に消費税を2回上げて5%から10%にした安倍に背く話だが、野党の多くが消費税の廃止・減免を言って「減税ポピュリズム合戦」になっている現状でのやむを得ない一時避難策であり、だから「2年間限定」にこだわって「安倍さん、ごめんなさい。ちょっとだけ目を瞑ってください」と師に対して弁解しなければならないからである。
そういうモヤモヤを取り払ったとしても、これらは結局、安倍政治のやりかけややり残しの焼き直しに過ぎない。
高市は「責任ある積極財政」を掲げたのは自分が初めてであるかのことを言っているが、何のことはないアベノミクスの「第2の矢」の「機動的な財政出動による大規模公共事業」の言い換えに過ぎず、そうだとすれば、例えば安倍がお友達の故葛西敬之=JR東海会長の言いなりで作った官民ファンド「海外交通・都市開発支援機構」の米テキサス州の新幹線建設プロジェクトが400億円を超える赤字を出したまま撤収に至った経緯などをキッチリ総括することなしに、安易に財政出動による投資などと口に出来るはずがないだろう。
インテリジェンスの強化で「国家情報局」や米CIAのような「対外情報機関」を創設すると言っても、日本では学校教育とりわけ大学・大学院でのインテリジェンス人材育成をやっていないので、組織を作ってもそれを埋める人員がいない。それを改めるには、それこそ国家百年の計で教育のあり方から改めなければならない。まあ彼女が何も分からないまま、安倍がやり残したことを自分の手でやり遂げようとしているだけであると知れる。改憲も同じで、一応は口にしているが余り力は入っておらず、それはもちろん衆議院では圧倒的な議席を持っても参議院ではまだ少数与党であるせいもあるけれども、安倍が横道やら裏口やら散々手練手管を尽くしても解釈改憲による集団的自衛権の部分解禁が精一杯で、正面からの条文改訂に突き進むのはいかに大変かを知っているからでもあるだろう。ここでも「安倍さん、ごめんなさい。まだ一気に進むことが出来なくて……」と詫びを入れているのではないか。
このように、本人の理解と覚悟があやふやでは、いくら巨大議席を背にしても大したことはできるはずがない。つまり戦略的レベルではナッシングである。
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●カーニーにつくのかトランプにつくのかの選択
高市が口癖というか、自分では決め言葉だと思って繰り返し口にする「国論を二分する大きな選択」だが、以上4つはどうもそれに当てはまらない。その言葉に値する本当の選択が今の日本に突きつけられているとすれば、それはカナダのカーニー首相が1月21日のダボス会議での演説で、覇権国が自らルールを守らずに国際秩序を破壊しつつある現実の下では、これ以上「従属を受け入れつつ主権を演じているに過ぎない『嘘』の中に生きることは出来ない」として、出鱈目に走る米国のトランプ政権に対し三行半を突きつけた(本誌No.1349参照)ことをどう受け止めるのかということである。
安倍も高市も、まさに「従属を受け入れつつ主権を演じているに過ぎない『嘘』の中に生き」てきたし、これからもそのように生きていこうとしている。高市は就任
早々の10月にトランプが来日した際、横須賀の空母上でトランプの横に寄り添って満面の笑顔で指を突き出してピョンピョン跳ね(図2 https://bit.ly/4kqIeno )、従属国の支配人代理であることへの喜びを隠さなかった。今回の選挙後にも真っ先にSNS投稿で大勝への感謝の言葉を送ったのはトランプに対してであった。
本当に日本国民は、この人と共に今後とも「嘘の主権」の下で生きることを選ぶのだろうか。それともカーニーの言葉に従って、ミドルパワーが結束して別の新しい国際秩序を創る側に立とうとするのだろうか。
しかも「ミドルパワー」と言えば、ある意味で日本の「お家芸」である。日本の“正史”は、学校教科書が説くのも司馬遼太郎が描くのも、国権主義的な「大日本帝国史」であるけれども、その裏側には常にもう1つの選択肢として民権主義的な「小日本主義」の主張が存在し続けた。本誌の以前からの読者はご存知の通り、本誌は2021~25年にかけての断続的な17~18回の連載でその系譜を追跡することを試み、今後も折に触れこれを続けていくつもりなので、参考までにこれまでの連載のタイトル目次を巻末に付録として掲載しておく。
これを俯瞰すると分かることだが、そもそもは維新をめぐる構想の違いーー
(A案)徳川慶喜にブレーンの西周ら知識人、薩摩の島津、土佐の山内など雄藩大名が目指した「公武合体」による平和的な体制移行論に対して、
(B案)長州・会津・薩摩などの中下級武士を中心とする志士たちの「尊王討幕」による暴力的な幕府打倒論とがあって、後者が前者を圧倒して維新の主導権を握ったことが、日本近代史が血塗られた歴史となってしまった間違いの始まりだった。
その暴力的維新から生まれたのが明治政府で、それを人は「薩長藩閥政府」と呼び慣わすけれども、文字通りのそれが存在したのは明治6年政変で西郷隆盛らが辞職し、軍人・警察官など600人を引き連れて薩摩に帰ってしまうまでの5年間に過ぎず、その西郷は明治10年西南戦争で憤死し、袂を分かって長州側に付いていたもう1人の薩摩の大物=大久保利通も翌年に殺されて、そこからは完全に長州主導の専制国家づくりが暴走する。しかしそれは必ずしも真っ直ぐ進むしかない一本道であったのではなく、西郷は薩摩に帰って小農民の共同体を基礎
にした「小日本」とも取れる社会構想を語っているし、西郷と共に下野した板垣退助が自由民権の大運動を生み出して行き、早くもそこから《国権vs民権》の相剋が展開した。中江兆民の『三酔人経綸問答』の洋学紳士の平和主義と小国主義の言説は兆民自身の思想だったという説もあるので、民権派そのものが最初から小国主義の母胎だったと言えるのかもしれず、それが大正時代の三浦銕太郎・石橋湛山の「小日本主義」、昭和の河上肇の「小国寡民」論、鈴木安蔵が自由民権活動家の植木枝盛の私擬憲法を参考にして起草しGHQに大いに影響を与えた「憲法草案要綱」にまで脈々と繋がっている。
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●惜しかった石破内閣というチャンス
最近では、
・篠原孝『農的小日本主義』(柏書房、1985年刊)、
・武村正義『小さくともキラリと光る国・日本』(光文社、1994年刊)、
・鳩山由起夫『脱大日本主義』(平凡社新書、2020年刊)
もその流れの中にある。
さらに政治的に大きな出来事としては、23年6月に、上述の篠原孝(立憲)、古川元久(国民民主)、岩屋毅(自民麻生派)の3人が共同代表となった「超党派石橋湛山研究会」の結成がある。折しも24年10月、そのメンバーの一人である石破茂が首相となり、岩屋(外相)のほか村上誠一郎(総務相)、中谷元(防衛相)、平将明(デジタル相)、伊藤忠彦(復興相)らメンバーが続々入閣したので、古川元久は「湛山の思想を中心に国を運営していかなければいけないという思いの人が集まっており、〔政界〕再編する時の軸はここしかない」とまで期待を膨らませたが、石破に政治の流れを小日本主義、ミドルパワー志向へと転轍するだけの器量はなく、また野党第一党の立憲指導部にこの意味を理解する人がいなかったため、このチャンスは活かされることなく終わった。
●「保守vs中道」では座標軸が立たない!
逆に立憲の側から言えば、この時に石破内閣を上手く使って流れを変えることに失敗したことが、同内閣の早々の退陣と高市総裁の誕生を生み、それが今回の「中道」の壊滅的敗北にまで繋がったという脈絡になる。
1996年の旧民主党は、最近刊行された奥賢一郎・中島政希編の大作『民主党史』(ミネルヴァ書房、26年2月刊)も描いているように「民主リベラル」という自己規定と共にスタートした。同書にも写真が掲載されている民主リベラルの概念図は私が奥教授らからヒアリングを受けた際に提供したものである(図3 https://bit.ly/4tuDEsr )。
ところがこの「リベラル」の文字は早くも97年春に新進党からバラけた方々がドッと流入して「民主党再結成」となった際に消し去られて「民主中道」という言い方が始まった。私はこれに反発して「中道じゃダメなんですよ」と要所に説いて回ったが相手にされず、そのため私はこの党に半ば興味を失ったのだった。その後もいくつかの節目があったものの(私はちゃんとトレースしているわけではないが)「中道」という幻想は同党にずっと付き纏っていたように思う。そして結党から30年経って、とうとう「民主」の文字も消えて、「中道」だけになり終わったのが今で、私の観点からすれば、だからこの党は今回、壊滅したのである。
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●やっぱり「保守vsリベラル」でないと
しつこくて申し訳ないが、やっぱり「保守vsリベラル」でないと座標軸にはならない。なぜかというと、「中道」は一種の便宜的な方法論ではあるかもしれないが、それ自体が価値観を持たないから軸の一方を形成し得ないのである。
保守もいろいろでその向こうには高市のような右翼もいる。リベラルは幅広い多様性が身上だが旧来の左翼とは本質的に異なる(図4 https://bit.ly/401VwgD )。
とはいえ、リベラルは左翼と連携することは可能である。ということで、図式的に描けば……
右翼+保守 vs リベラル+左翼
国権(上から)=大日本 vs 民権(下から)=小日本
垂直性・単一性 vs 水平性・多様性
強者のための国家と経済 vs 弱者を包摂する相互扶助社会
日米同盟主軸=対米従属 vs ミドルパワー連合=対米自主
インド太平洋=中国包囲網 vs アジア太平洋=東アジア共同体
この図式を眺めれば明らかなように、この左右の間の「vs」のところに何やら挟むことの出来る語句があるなら教えていただきたいと思う。多分そんな語句はなく、だから「中道」では軸が立たないはずなのだ。
なお最後の対照は、田中均さんが近頃、「インド太平洋」という安倍が言い出した米国を喜ばせるための造語を廃棄して「アジア太平洋に戻そう」と言っているので、それに賛同しつつ、そうならばさらにその先に「東アジア共同体」を展望しようじゃないかという意味でこのように描いた。
高市が安倍の真似をしようとしてジタバタするのを見ていても仕方がないので、その先の日本の選択を考え始めるようにしたい。
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