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Shot of a Launch Pad Complex: Successful Rocket Launching with Crew on a Space Exploration Mission. Flying Spaceship Blasts Flames and Smoke on a Take-Off. Humanity in Space, Conquering Universe.

宇宙への夢が強すぎた男が歩んでしまった「弾道ミサイル」開発の道

「弾道ミサイル」と聞けば北朝鮮を思い浮かべる人が多いと思いますが、これは第二次世界大戦中に開発されたものが基盤となっています。今回、メルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』では、時代小説の名手として知られる作家の早見さんが、第二次世界大戦時代の弾道ミサイル開発に携わり、心に熱い思いを持った男のエピソードを紹介しています。

ロケットに人生を捧げた男

北朝鮮が弾道ミサイルを発射すると、情報を伝達し避難を呼びかけるJアラートが発令されるようになりました。

ご存知のように弾道ミサイルは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが開発したV2号が基になっています。第二次大戦を通じてヒトラーは様々な兵器の開発を命じていました。

ドーバー海峡を超える高射砲、超巨大列車砲、超大型戦車、といった奇想天外、奇妙奇天烈な兵器、サリンのような凶悪な毒ガス兵器もありましたが、ジェットエンジン搭載の戦闘機などの革新的な兵器も生み出されます。中でもヒトラーが期待と力を入れたのがV1号と2号でした。

V1号は空軍がV2号は陸軍が開発しました。どちらも、無人でドーバー海峡を超えてゆく前代未満の画期的な兵器です。

V1号はロケットではなく無人の小型飛行機で、スピードと航続距離はV2号に比べて劣りました。ロンドンに向け発射されたのですが、戦闘機や対空砲火で撃墜されたり、戦闘機がV1号と並行して飛び、尾翼に機体を乗せて弾道を変えて海に墜落させることが可能でした。

対してV2号はロケットです。1944年9月、V2ロケットはオランダのアントワープとロンドンに向け発射されました。飛行速度はマッハ4(音速の4倍)、撃墜は不可能です。連合軍はV2号の発射基地、輸送ルートを叩きました。

ヒトラーが期待を寄せたV兵器でしたが、戦局を好転させることはできず、ナチス・ドイツは敗戦を迎えます。ナチスを打ち負かした連合国でしたが、ドイツの高度な科学技術に瞠目し、特にV2号には強い関心を寄せます。米英だけではなくソ連も同様、ドイツ敗戦と同時に米ソによるV2ロケット開発チーム争奪が始まりました。

開発チームを率いたヴェルナー・フォン・ブラウンは仲間を連れてアメリカ軍に投降します。

アメリカの国務長官コーデル・ハルがブラウンのアメリカへの移住を許可しました。ちなみに生産チームの者たちはソ連軍に捕縛されソ連に連れ去られました。

ブラウンはテキサス州に移され、1947年従妹のマリアと結婚しました。翌年には長女が誕生し、私生活が安定すると1950年アラバマ州ハンツビルに新設されたミサイル開発センターに移りました。このミサイル開発センターが8年後にアメリカ航空宇宙局NASAになります。

アメリカでの暮らしが一段落したものの、ブラウンは猛烈なバッシングに晒されました。彼がV2号ロケット開発を担っていたことは周知の事実であったからで、しかもブラウンはナチ党員でした。親衛隊(SS)の少佐だったのです。ヒトラーの恐怖政治の尖兵となったSS少佐であったことは、たとえブラウンが残虐行為に加担していなくても、批難を向けられるキャリアでした。

また、ドイツの方からも敵国であったアメリカに渡ってロケット開発に従事するとは裏切り行為だという批難の声が上がります。ブラウン自身は、「宇宙に行くためなら悪魔に魂を売り渡してもいいと思った」と語っています。

ブラウンはアメリカ陸軍の弾道ミサイル開発に従事する一方、ロケットの平和利用である宇宙ステーションを構想します。また、子供たちの宇宙への興味をかきたてるためにウォルト・ディズニーに協力しました。ディズニーはディズニーランド建設のための費用を稼ぐためにABCテレビで、『ディズニーランド』という番組を製作していました。デイズニーに誘われ、ブラウンは出演しました。

ブラウンは子供たちに向かって宇宙旅行について解説をしました。自分が設計した4段式ロケットの模型を見せながら、熱っぽく宇宙への夢を語ったのです。まだ、人工衛星すら飛んでいない時代、ブラウンは真剣に宇宙ロケットについて語ったのです。

子供たちの宇宙への夢を喚起しつつも、ブラウンは陸軍弾道ミサイル局の開発オペレーション部長として西側諸国初の人工衛星エクスプローラ1号の打ち上げに成功しました。これが、アメリカにおける宇宙開発計画の出発となり、1960年にはアメリカ航空宇宙局NASAが新設したマーシャル宇宙飛行センターの初代センター長に就任します。

折しもアメリカは若きジョン・F・ケネディが大統領に就任、人類を月に送る計画が発足します。責任者となったブラウンは低軌道、月軌道飛行用有人打ち上げ機、サターンロケットの開発に従事します。サターンロケットは使い捨ての3段式液体燃料打ち上げロケットでした。そして、1969年サターンVロケットで打ち上げたアポロ11号が月面着陸に成功します。

V2号ロケットがロンドンに着弾した時、ヒトラーは大いに喜びましたが、「ロケットは正確に動作したが、間違った惑星に着地した」とブラウンは複雑な心境を吐露したそうです。

「私は宇宙へ人間を飛ばすためなら、悪魔と手を握ってでも働き続けたと思う」

この言葉がブラウンのロケットに捧げた人生を語っています。

image by: Shutterstock.com

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歴史、ミステリー四方山話、思いつくまま日本史、世界史、国内、海外のミステリーを語ります。また、自作の裏話なども披露致します。

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【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

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