今やすっかり生活に欠かせなくなったインターネット。もはやそれなしの日常は考えられないものとなりましたが、世代によってネットとの距離感が異なるのも事実です。今回のメルマガ『施術家・吉田正幸の「ストレス・スルー術」』では仕事柄あらゆる世代と接する機会を持つ吉田さんが、「あくまで狭い範囲」とした上で年代別のネットリテラシーを誌上で公開。さらにネット時代の問題点等を様々な面から考察しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:ネットリテラシーに関する狭い範囲の話
ネットリテラシーに関する狭い範囲の話
ネットを頻繁に利用しているのは、当然ながら18歳から29歳の若年層が一番多いようだ。
2024年1月31日にStatistaが発表したデータによると、この年齢層の98%がインターネットユーザーで、最も高い割合を占めていた。
もちろん、そんなことは予想できる。しかし、様々な年代の方々とお会いする機会が多い自分にとっては40歳以降の方々のネットリテラシーを垣間見る機会がとても多い。
当院の患者さん、仮にKさんとしておくが、彼はiPhoneの最新機種を慣れた手つきで巧みに使い、ネット予約からご趣味の写真までサッサと操作し、ご家族ともLINEで常にやり取りしている。なんと89歳の男性だ。
毎回、「すごいなぁ」と見入ってしまう。果たして、自分が89歳まで生きていたら、こんな感じで最新のスマホを操作しているだろうか?ネットに対する興味だけでなく、好奇心が大事なのだ。好奇心だったらいけるかも。寿命は不明(笑)。
あくまでも狭い範囲だが、リアルに感じている年代別のネットリテラシーをこの際書いてみることにした。
まずは20歳代。まぎれもなく、デジタルネイティブだ。インターネットを遊び場として成長してきた。彼らは、情報、ソーシャルメディア、オンラインショッピングにすぐにアクセスできる生活が当然だ。
彼らはトレンドセッターであり、デジタルの世界で何が流行っていて何が流行っていないかを決める人たちではないだろうか。また、メタバース(それが何であれ)で最もよく見られる人たちでもあるだろう。
先日もゲーマーの20歳代のクライアントと話していてつくづく感じたが、すでに住んでいる世界が違う気がした。このリアルな世界とネットゲームの世界それぞれに自分の人生があるようだ。
彼は展覧会へ行ってきた、というのでよくよく聞いてみるとRiumとかいう仮想世界の話でまったくかみ合わなかった。その世界に整体師はいるのだろうか?
次に、30歳代。デジタル&アナログと両方の世界に足を踏み入れている感じがする。初期のインターネットのダイヤルアップトーンを覚えていつつ、今日の高速で常時接続の世界も受け入れている。ただ、すでに環境や経済的理由によってネット環境が違ってくることを十分に知っている。
SNSに敏感なのもこの年代。つまり10歳代から良いも悪いもネットの世界に慣れ親しんで、若さでなんとかノリ切ってきたけれど、その疲労が出てくる年代だと思う。
ネットというよりはSNSによる影響が強い。フォロワーとの距離感や付き合い方、価値観の比較、うっすらしたマウンティングなどに疲労。瞬時に相手の意向や感情を察知するように常に交感神経がいきり立っているような感覚がある。妄想も出やすいだろうな。この年代は特に女子の頸部から肩凝り、背中、特に肩甲骨周辺が我々の仕事対象となる。
40歳代は、収入も増えて、仕事も家庭も安定し、ネット銀行、ネットショッピング、友人や家族との連絡など、実用的な目的でインターネットを使用する可能性が最も高い人たち。
インターネットが目新しいものから必需品へと進化するのを見てきた人たちだ。彼らは初めてメールアドレスを取得した時の興奮を覚えている。オンラインのプライバシーとセキュリティについて最も懸念している人たちでもある。
ズバリ、50歳代は強い。実はSNSも頻繁に、現実の酸いも甘いも経験してきた世代らしく、実はもっとも賢くネットを利用しているような気がしてならない。X(旧Twitter)で炎上の原因も作りやすく、IT長者の中心的存在の人たちもこの年代。
昭和を知って、平成を熟知して、令和に生きる。そんな世代はネットリテラシーが実に高いと感じる。といってもネットを客観的にみることもできるので、誹謗中傷にも案外強いのだ(偏見かも)。言うし、見るし、聞いている(笑)。慢性症状や病気関連なども距離を置いてネットと付き合えるので、施術家の生の言葉はよく届いたりする。
そして、60歳代からはネットに拒否感を示す人たちが少し増えてくるイメージが強い。「しょせん、ネットでしょ」といった感じ。したがって、ネット広告よりはチラシという紙媒体の効果があるのもこの年代だ。
60歳半ばを過ぎると、スマホや端末は頑張って使うのだが、老眼が顕著になってきていることと、長時間の座位は腰にくることもあるので突っ込んだリサーチやネットサーフィンは途中で断念しがち。
「めんどくさい」「わからない」を少し言葉にし始める世代。でもそれが悔しいのでコツコツ取り組んだりすることもある。ただし金銭的にも余裕がある人が多いので若者が羨ましがるようなガジェットを平気で即買いしたりする。もしくは孫に買い与える。(すいません)もちろん独断と偏見です。
70歳を過ぎるとそもそも、スマホに触れる時間が圧倒的に少なくなるし、どこに置いたかわからなくなることがある。アプリのアップデートやiosのアップデートに興味がなくなり、指先の感覚が変化するので強く押したり、弱すぎたり、指先がズレて別の部分をタップして他へ飛んで行ってしまう。
好き勝手に書いてしまったが、こんな世代間のネットリテラシーの凡例がある中で、冒頭に書いたKさん89歳はやはりスゴイ。好奇心はいつまでも若さを保つ。
好奇心は、特に人生の形成期において、学習と探究のエンジンを動かす燃料のようなものだ。それは知識の火を点火する火花であり、さらに探求し続ける渇望。
子どもは物事がどのように機能するかに興味があるので、自由な時間にはガジェットをいじったり、分解したり、組み立てたりする。
この好奇心は、これらのデバイスの仕組みを理解するのに役立つだけでなく、創造性と問題解決能力を育くむ。これは、好奇心がより深い理解と習得につながる例だろう。
一方、好奇心は、特に脳のリスク評価能力が完全に発達していない思春期には、危険な行動につながることがある。
たとえば、薬物やアルコールの影響に興味が出てしまうということもあるかもしれない。この好奇心は、危険な結果につながる可能性を秘めている。
しかし、好奇心は良いか悪いかだけではない。
好奇心は、学習を動機付け、意思決定に影響を与え、健全な発達に不可欠な、認知の基本的な部分。好奇心は、未知の世界を探索し、周囲の世界を理解し、新しいものを発見したいという欲求の原動力にもなりうる。
つまり、本質的には、好奇心と若さの関係は複雑だが、好奇心は革新、学習、成長につながる可能性はある。しかし危険な行動につながる可能性もある。
重要なのは、探索と学習を奨励しながら、安全で責任ある意思決定を促進する方法で好奇心を育むことなのだろう。
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ただ、ここで厄介なのは、身近で情報格差が出てしまっている例だ。様々な形で現れている。
まず、家族や友人の間で、インターネットへのアクセスの質や速度が異なることがある。
例えば、都市部に住んでいる人たちは、高速で安定したインターネット接続を利用できるが、郊外や農村部に住んでいる人たちは、高速で安定したインターネット接続を利用できないことがある。
そして、ここが良く聞くことだが、家族や友人の間で、デジタルリテラシーのレベルが異なることがある。例えば、若い世代は、ソーシャルメディアやオンラインでのコミュニケーションに精通しているが、年配の人たちは、これらのテクノロジーに精通していないために誤差が生まれてしまう。
裕福な家庭は、最新のスマートフォンやコンピュータを利用できるが、貧しい家庭は、これらのテクノロジーを利用できないこともある。
インターネットやテクノロジーへのアクセスの欠如は、オンラインの学習リソースへのアクセスを難しくしてしまう。ネットの普及によって実は大学に行かなくとも学ぶことができてしまう。
デジタルデバイドとは、インターネットやコンピュータといった情報技術へのアクセスや利用の程度によって生じる社会的な格差を指す。これらも世代交代でうまく馴染んでいくのだろうが、今はその過渡期なのだろう。
30年前と今では、価値観に大きな違いがある。1994年と2024年の間には、世界は大きく変化した――(メルマガ『施術家・吉田正幸の「ストレス・スルー術」』2024年6月1日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をご登録下さい)
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