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親や教師の言うことは本当に“絶対”なのか?「はい」と答えることしか許されない厳しさが育んでしまうもの

自己の行動を制御する役割を果たす、精神分析学上で「スーパーエゴ」と呼ばれる概念。この働きが過度に強くなりすぎた場合、人は生きづらさを感じるとも言われています。そんな概念を取り上げているのは、文筆家の倉下忠憲さん。倉下さんはメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』で今回、スーパーエゴについてわかりやすく解説するとともに、その解体・再編成の一つの方法を教示しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:規範を緩める

規範を緩める。厳しさからは何が育まれるのか?

たとえば、親とか教師とかそのような存在があり、子どもはその影響下にあるとします。仮にそこで厳しい関係が築かれていたとしましょう。

親の言うことは絶対、教師の言うことは絶対。

答えは「はい」か「いいえ」しかなく、その上で「はい」と答えることが暗黙に要請されている。

決して、「そもそもその主張の前提が間違っているのではないですか」「そのような命令の意図はどこにありますか」などと聴くことは許されない。

そういう厳しさがあったとして、そこでは何が育まれるでしょうか。

■外側にある正しさ

まず、自分の外に“正しい”ものがある、という認識が育まれるでしょう。

正しいのかどうかを決める裁量は自分にはなく、むしろすでに固まったものとし正しさが存在している。

そして、その“正しさ”は疑いようがないもの、という認識も育まれるでしょう。

それが正しいのかどうかを考えることは不遜である。それは同時に、それを正しいとして主張している存在に対する不遜でもある。

この構図を整理してみましょう。

まず、自分という存在があります。その外側に指導的立場の存在があり、その存在が「正しい」を所有していて、自分はそれを受け入れて従うだけ、という状態。指導的立場の存在(イメージでは絶対者)が述べたことが正しい。それが実体や実情とどれだけかけ離れていたとしても、「正しい」ものとして受けれる。もし齟齬があるならば、間違っているのは自分の方である。

そんな世界観が生まれてくるかもしれません。

そして、それが内面化されるのです。

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■スーパーエゴ

精神分析の言葉に「スーパーエゴ(超自我)」があります。エゴ、イド、スーパーエゴの関係は聞いたことがあるかもしれません。

スーパーエゴはエゴやイドの見張り役的存在で、道徳的判断・理性的(理想的)判断を支える存在です。~~してはいけない、~~すべき、といった思いを担っているものです。

このスーパーエゴは、幼少期に受けたしつけが自分の心の中に取り込まれて作られる、と精神分析では考えられています。指導的立場が自分を見つめるまなざしを、自分が自分を見つめるまなざしへと変化(内面化)させたもの。そういう言い方もできるでしょう。

では、先ほどの厳しい関係が内面化されたらどうなるでしょうか。

自分の中にある複数の思いの中で、スーパーエゴが絶対的な存在になります。哲学的に言えば超越的な存在。その存在に疑いを差し込むことはありえず、正しさは常にそのスーパーエゴが持つことになります。

たとえば、何かしら理想を描いたとして、その理想が「正しい」ものとなるのです。自分が思い描いた「こうなったらいいな」というイメージが、そのまま「現実とはこうあるべし」という規範になってしまう。

その上、それって本当なのかという疑いを差し込むことは禁じられています。「正しさ」は金庫の中に入っていて、検証することも改造することも許されていません。

それがどれほど息苦しいものであるのかは、想像に難くないでしょう。

それが指導的立場の存在であれば、逃避行すればいいだけです。しかしスーパーエゴからは逃げられません。それは「自分」と共に常に存在しています。

■自らの思い

仕事術に代表されるノウハウは、「このようにしたい」という思いがニーズの根底にあります。現実的な状況と、理想的な状況のギャップがあり、それを埋めるために工夫や方略が探られるわけです。

ただし、その「理想的な状況」が、規範的に強く固まっているとどうなるでしょうか。「このようにしたい」ではなく、「このようになっているべき」だったとしたら。

そして、「本当に、このようになっているべきなんだろうか」という問いを持つことが禁じられているとしたら。

もし欲している状況が些細なものであれば構いません。少々の努力でその状態へと至れるでしょう。しかし、そもそも無理であればどうでしょうか。どうがんばってもたどり着けない。あるいはたどり着くために支払うべき代償があまりにも大きい(たとえば命)というときには?

その際は、理想の方を調整するのが健全でしょう。

しかし、それが封じられているのです。

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■理想を緩める

『Re:vision』という著作において、根底となっているのは上記のような「理想」を緩めることです。

「こうなりたい」という思いを、「現実とはこうなっているべし」のような思いとして固定化させないこと。

重要なのは、理想を持たないということではありません。今、目の前にある現実とは違う状態をイメージできるのはすばらしい人間の能力だと私は思います。そうしたイメージが、今の自分が行う判断に影響を与えることもありうるでしょう。計画を立てることも、目標を見定めることも同じです。

それらは、今、目の前にある現実とは違っていますが、違っているからこそ価値があるのです。

しかしそれががっちり固定されていると、不都合を起こすことがあり、その不都合を手当てするために、Re:vision 的な考え方が役に立つ。そんな風に捉えています。

■根深い部分

難しいのは、そうした理想の固定性は、単純なものの考え方・見方ではなく、深く根付いたスーパーエゴに由来することです。

「正しい」ものは自分の外にあり、それを自分は受けとるだけだ、という世界観においては、理想を疑うことは許されず、常にそれが正しくて、それとズレた結果はすべて間違っている、ということになります。

そのような捉え方が、思考・認知・認識のスタートライン(いわば意識の前段階)になっているので、意識でそれを変えようとしてもうまくはいかないはずです。ゲームを始めようとしたときには、もうそのゲームは終わってしまっている。

「一度作ったタスクリスト、アウトラインを実情に合わせて書き換える」という作業は、そのような認知的処理を、外部的な情報ツールを介して発生させるものです。

おそらくですが、一度作ったタスクリストに対して、

という処理をすることに、「背徳感」に似た気持ちを覚える人は一定数いると思います。まさにそれが規範性に触れている証拠です。絶対的に動かしがたいと思っていた、あるいはそのようなものとして扱っていたものが、実はそうではなかった、という事実を知ること。

もちろん、たかだかタスクリストを入れ替えただけで、全人格的なバージョンアップが行われるわけではありません。ごく些細な変化でしょう。

でも、それでいいのです。というよりも、それがいいのです。

スーパーエゴは時間をかけて育まれます。その解体・再編成もまた時間をかけて行うのがよいでしょう。たった数日で劇的に変わるなら、それは洗脳と区別がつきません。そうではない、ゆっくりとした道のりをゆきたいものです。

(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2025年3月3日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をご登録ください)

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image by: Shutterstock.com

倉下忠憲この著者の記事一覧

1980年生まれ。関西在住。ブロガー&文筆業。コンビニアドバイザー。2010年8月『Evernote「超」仕事術』執筆。2011年2月『Evernote「超」知的生産術』執筆。2011年5月『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』執筆。2011年9月『クラウド時代のハイブリッド手帳術』執筆。2012年3月『シゴタノ!手帳術』執筆。2012年6月『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』執筆。2013年3月『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』執筆。2013年12月『KDPではじめる セルフパブリッシング』執筆。2014年4月『BizArts』執筆。2014年5月『アリスの物語』執筆。2016年2月『ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由』執筆。

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【著者】 倉下忠憲 【月額】 ¥733/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 月曜日 発行予定

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