これも時代の流れだろうか?飲食店などの従業員に「笑顔を強要」することはハラスメントにあたる、という考え方が日本社会に浸透してきた。さらに最近では、金を払っている客の側が、退店時などに「ごちそうさま」を言うのは恥ずかしいことでありマナー違反である、という風潮まで。ただ、米国在住作家の冷泉彰彦氏によれば、前者はおおむね正しいものの、後者はまったくもって間違っているという。その理由は4つ、単純明快だ。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:スマイル要求はカスハラで、ごちそうさまはマナー違反?
「スマイル要求」はカスハラ?「ごちそうさま」はマナー違反?
最近の動きとして、外食などの現場で「スマイルを要求する」のはカスタマーハラスメントか?という議論があるようです。
例えば、日本マクドナルドの広報が発信していた内容に基づいた報道によれば、社内で調査したところ「マクドナルドで働くことの障壁として『笑顔』を挙げる若者が多かった」のだそうです。
つまり、日本の場合はマクド(マック)のイメージとして「スマイル0円」というのが定着していたわけですが、それが「若者に職場として敬遠される」原因になっていたのだといいます。
そこでマクドナルドは、2023年に以前の「スマイル0円」を逆手に取ったキャンペーン「スマイルあげない」を採用活動において展開しました。これにはキャンペーンソングがあり、anoさん(※歌手・タレントの「あの」ちゃん)が歌っています。
https://www.youtube.com/watch?v=Jjzbr_73ifc
この楽曲と動画に関しては、「不登校児の気持ちにも寄り添う」という高度な仕掛けもされており、若い世代の支持があるようです。また「笑顔が苦手な人でも持ち場がある」と励まし、自然に出る笑顔は排除しないという作りになっています。
その一方で、若い世代には、外食の場でお客が「ごちそうさま」を言うのはマナー違反だという声もあるようです。
どういう理屈かと言うと、お客は金を払っているので、満足のいく食事の提供を受けるのは当たり前であり、お礼を言うのはおかしいというのです。
具体的にはラーメン屋で「ごちそうさま」と言ったら行儀が悪いと指摘された事例であるとか、ランチの返却口でお礼を述べたところ、周囲の視線が気になったなどという事例がネットには流れています。
さて、この「スマイル要求はカスハラ」と「ごちそうさまはマナー違反」という2つの問題、それぞれどう考えたら良いのでしょうか?(次ページに続く)
「スマイル要求」は基本的にハラスメントである
まず「スマイルあげない」についてですが、昭和・平成的な感覚で言えば、「感情労働」だとか言って勝手に消耗するのは勘違いでしかない、という意見もあると思います。
「接客時は適当に顔の筋肉を動かしておいて、心のなかでアッカンベーすればコスパは減らない」という感じです。
また、あんまり「スマイルの安売りをしない」ようになると、日本独自の「おもてなし文化」のコストが上がってしまう懸念もあるかもしれません。
そうではあるのですが、この「スマイルあげない」という考え方は、基本的には正しいのだと思います。
まず、昭和・平成的な「スマイル0円は当然」というカルチャーの背後には、巨大なハラスメント構造があったのは事実です。
単に「顔の筋肉で笑って、心のなかではアッカンベー」では済まない猛烈な消耗を強いられ、人格を傷つけられてきた人々がたくさんいるのです。
また、人工的な笑顔が横行することで、「明らかに会社に強制されている」笑顔が社会に溢れ、それによって人間というもの全体の尊厳が壊されてきたとも言えるでしょう。
そう考えると、思想として「スマイルあげない」を軸におきながら、「笑顔が自然に出てくるような環境」を目指していくのが良いのだと思います。そんな環境を作ることができれば、雇用主も労働者も消費者も全員がウィン(Win)となるからです。
「ごちそうさま」はマナー違反ではまったくない
ですが、もう1つの「お金を払っているのに、ご馳走様はマナー違反」に関しては、まったく間違っていると思います。その理由として、4つ指摘しておきたいと思います。(次ページに続く)
「お金を払っているのに、ごちそうさまはマナー違反」が間違っている4つの理由
まず1つ目は、金銭の介在する外食の現場であろうと、また個人的な食事会に招待しあう関係性であろうと、あるいは家庭内でも、食事の提供者に対する感謝というのはデフォルトで存在してよいということです。理由は、恐らくこのへんに譲れない文化的アイデンティティーの問題があるからです。
2つ目は、「お金を払っているので感謝は不要」という考え方は、逆にカスハラ文化につながるということです。
つまり、金を払っているから消費者は神様という考え方が、ひどいカスハラにつながっているのです。そんな中で、そうしたカスハラを撲滅しようと、ようやく社会が動き出しているのです。金を払ったら「ごちそうさま」は不要とか、不快というのは、そのような流れに完全に逆行しています。
3つ目は、「自分は『ごちそうさま』を言いたくない」程度でとどまらずに、「不快だ」や「マナー違反」といった激しい言葉が出てしまう原因です。そこには恐らく「行儀の良さでマウントを取りにくるやつは不快だ」という深層心理があるのだと思います。
だとしたら、それは恐らく、「ごちそうさま」を不快に思う人のほうがかなり疲弊しているのであって、そう感じてしまう側に何かSOSを上げるべき問題があるのです。そうした認識を持たないと、「マナー違反」等と言っている人を救済はできないからです。
4つ目ですが、飲食店を出る際の「ごちそうさま」にはかなり便利な機能があるのです。
まず「お勘定お願いします」というと、露骨にカネの話になるので、それをソフトにする機能があります。
さらに、それよりも大事なのは、会計後に退店する際の「ごちそうさま」「ありがとうございました」のやり取りには、「自分たちはカネを払ったよね」「はい受け取りました」という意味合いがあるということです。
そうでなくて、無言で退店するのがデフォルトになると、出ていく人が無銭飲食かどうか分からないのが常態となり、出ていく人も周囲も居心地が悪くなる場合があるのではないでしょうか。やはり退店時には無言ではなく、「ごちそうさま」「ありがとうございました」のやり取りがあった方が自然だと思います。
というわけで、「スマイルあげない」には希望を感じる一方、「カネを払ったらごちそうさまは言わない」という風潮には大いに違和感を覚えるというお話でした。皆さまはどうお考えになりますか?
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※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2025年4月22日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。「NY市長選は国政選挙の試金石となるか?」「坂本勇人選手の申告漏れ報道を考える」もすぐ読めます
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