トランプ大統領の「相互関税」によって、世界経済と金融市場が大混乱に陥っている。だが、米国在住作家の冷泉彰彦氏によれば、アメリカ国内にはこの不合理な政策を積極的に支持する「全く異なる2つのグループ」が存在している。彼らは“無敵の人々”であり、株価暴落も大不況も意に介さずむしろ大歓迎する。「カネより名誉」だからこそ相互関税は非常に厄介だという。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:トランプ関税の背景を理解する
米国内で「相互関税」を支持する“2つのグループ”とは?
トランプ政権の「相互関税」政策については、本当にそんな大胆なことができるのか怪しいという声もあったのですが、結局のところは発動ということになりました。早速NY株式市場は暴落となり、3日(木)から4日(金)の2日間で10%近く下げています。週明けの現地7日(月)も、早朝はいきなりダウが1600ドル下げて始まる粗っぽい展開でした。
この7日の相場ですが、途中で「トランプ政権は関税の実施を90日延期するらしい」という情報が流れると、株はマイナス4%から一気に戻してプラス3%まで上がりました。ところが、直後にホワイトハウスから「90日の猶予というのはフェイクニュース」というメッセージが流れると、再び暴落に転じるなど「ジェットコースター」状態になっています。
さて、この「相互関税」ですが、非常に理解しにくい政策です。批判したり呆れたりする気持ちも分かりますが、まずは、一体何が背景にあるのかを考えることが重要だと思います。
(1)人に頭を下げることに屈辱を感じているサービス業の人たち
この「相互関税」ですが、目的はハッキリしています。国際的に構築されたサプライチェーンによる国際分業を壊し、製造業をアメリカに戻し、製造業の雇用を復活させるのが目的です。
その背景には、現在のアメリカが21世紀型の先進国になっているという問題があります。つまり、製造プロセスはほとんどが国外に流出しており、製造業は空洞化しているという現状です。
その結果として、国内に残っているのは製造業の企画・研究・開発の機能、そしてソフトウェア開発、更には金融など高度な知的労働だけということになります。ですから「知的なるもの」に興味がなかったり、全くの不得手であるような人材には居場所はありません。
ではそういった「居場所のない」人々は、どうやって暮らしているのかというと、サービス業が多いわけです。例えば外食の現場、スポーツのインストラクター、看護やセラピーの関係、運輸観光の現場、運転手といった職種です。
そして、アメリカ人は基本的に他人に頭を下げるのが大嫌いですから、こうしたサービスの現場というのは我慢がならないのです。
例えばもう少し収入の多い、会計士、司法補助、不動産エージェントなどといった仕事の場合でも、やはり人を相手にして、人に頭を下げるような職種は好きではありません。何故かというと、アメリカ人のメンタリティには「自分が世界の中心」という感覚があるからです。
面白いのがチップや寄付です。アジアのカルチャーからすると、チップは余計な出費で腹立たしいものと思われがちです。また中国などのカルチャーでは、寄付ができるというのは、悪どい金もうけをしていると陰口を叩かれるリスクがあります。日本のカルチャーでは、ニュアンスが少し違い、寄付行為を誇るのは人を見下す行為としてタブー視されたりします。
ですが、アメリカ人の感覚は異なります。レストランに行って会計の際に、チップを多め(22%とか)に払い、店員が笑顔を見せると自分が「ご主人様」になったような気になるのです。また寄付行為も「自分として良いことをした」というメンタル高揚のコストとしてはオッケーだという感覚があります。
この心理の反対にあるのが、人に頭を下げてサービスをするのは屈辱だという感覚です。例えば、ファストフードの店員が無愛想なのは、何も悪意があるからではありません。いわゆる感情労働というカテゴリになる「笑顔の提供」に伴う“持ち出し感”が日本人の10倍以上ある中では、無理に営業用の笑顔を作ることは苦痛ですからやりたがらないということです。また苦痛ですから雇用者側が強制もできないのです。
トランプ大統領は、サービス業における「チップを非課税」にすると今でも言っていますが、それは自分の支持者の多くがチップを受け取るようなサービスの現場で働いているからだけではありません。チップ収入に頼る不安定な雇用に苦しんでいるからだけでもありません。そうではなくて、アメリカ人はチップを払う側になりたいのであって、チップのために人に頭を下げるのは苦痛なのです。
ですから、知的なるものに関心があり、能力も発揮して結果的に「チップを払う側」になる層だけが威張っている社会に対しては、根本的な憎悪を抱いているわけです。知的労働とサービス業の二択という社会はイヤだということ、これが製造業回帰願望の根本にはあります。