中間選挙での共和党の敗北を境に、早くも大きく変わり始めたトランプ政権の外交姿勢。国内政治での求心力が低下する一方で対外的な成果を必要とする米大統領の焦りは、国際社会にどのような波紋を広げるのでしょうか。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦が読み解く国際情勢の裏側戦略インテリジェンス・レポート』では元国連紛争調停官の島田久仁彦さんが、米国とイランの駆け引きを中心に、中間選挙後の国際交渉の場で生じた力関係の変化を分析。さらにイスラエルの政権形成をめぐる動向も取り上げつつ、各国の思惑が今後の中東情勢に及ぼす影響を考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:売り急ぐ大統領と、待つ相手-米中間選挙の審判、急ぐ外交、そして機械の速さ
売り急ぐ大統領と、待つ相手-米中間選挙の審判、急ぐ外交、そして機械の速さ
米中間選挙をはさんだこの数日の間に、トランプ大統領は英フィナンシャル・タイムズ紙の取材に、こう語っています。
「我々は欲しいものをすべて手にしつつあるようだ」
投票日の前夜にあたる11月2日の夜、米軍はホルムズ海峡に浮かぶイランのケシュム島の防空施設を攻撃し、大統領自身はそれを「小さな攻撃で、戦争ではない」と説明していました。そして翌日の11月3日、米国の有権者は、大統領の与党に歴史的とも言える審判を下しました。上院も下院も、民主党の手に渡ったのです。
投票の翌日、大統領は、イランとの戦争が共和党の敗因だったのかと記者に問われ、ガソリンの値段を挙げて「おおむねその通りだ」と認めています。戦争の請求書は、給油所の看板という最も身近な場所で、有権者の手元に届いていました。選挙の翌日、大統領は、イランへの攻撃の再開について「準備はできている。だが、その必要はないかもしれない」と言葉を和らげました。
前日には、イスラエルへの年間40億ドルの支援を年内で打ち切ると明かし、その前日には、米国とロシアとウクライナの三者協議を11月10日からアブダビで開くと特使が発表しています。
選挙の前と後で、ワシントンDCの言葉の温度が、目に見えて変わりました。前号で私は、世界の時計が「選挙の後」に合わせて止まっているとお伝えしました。その時計は、今週、一斉に動き出しました。
【関連】トランプ「イランは選挙を待っているのかも」発言の皮肉。敵に“時間を稼ぐ”という選択を容易にさせた米国大統領の失態
ただし、動き出したのは米国の時計であって、相手の時計ではありません。
「売り急ぐ売り手ほど、買い叩かれる」
不動産の取引でも、紛争の調停でも、この原則が崩れるのを私は見たことがありません。
今号では、中間選挙が書き換えた交渉の力関係、イランとの「撃たない理由」と「撃つ理由」、イスラエルの手切れの宣言と組閣の算術、アブダビへの道、空から降ってくる戦争と人間の躊躇のジレンマ、そして和平の後の和平と和平なき撤収を、順に読み解いていきます。
この記事の著者・島田久仁彦さんの新創刊メルマガ
1.審判の日-米中間選挙が書き換えたもの
【1-1.深紅の州が青に変わった夜】
11月3日の米国の中間選挙で、民主党は上院の多数を取り戻しました。米CBSは、民主党が少なくとも54議席を確保したと伝えており、改選前の共和党53議席、民主党系47議席という力関係は、完全にひっくり返りました。アラスカ州とミシシッピ州の2州はまだ決着していません。
アルジャジーラによれば、日本時間5日の時点で、ミシシッピ州では民主党のコロム氏が現職のハイドスミス議員を約1,100票の差でリードしていますが、郵便などの票の集計が続いており、各郡が結果を認定する期限は11月13日です。
アラスカ州でも民主党のペルトラ氏が現職のサリバン議員を約600票の差でリードしていますが、順位を付けて投票する方式のため、最終の結果が公表されるのは11月18日の予定です。
民主党が共和党から奪った議席の顔ぶれは、共和党にとって悪夢のようなものでした。
テキサス州では民主党のタラリコ氏がパクストン州司法長官を破り、カンザス州ではハミルトン氏が現職のマーシャル議員を退けました。オハイオ州ではシェロッド・ブラウン元議員が現職のヒューステッド議員から議席を奪い返し、アイオワ州ではトゥレク氏が勝っています。
南部のサウスカロライナ州では、故リンゼー・グラハム議員の後任として任命されていた妹のダーリン・グラハム議員が、民主党のアンドリューズ氏に敗れました。メイン州では、長く党派を超えた存在として知られてきたコリンズ議員が、民主党のジャクソン氏に敗れて敗北を認めています。ノースカロライナ州では、クーパー元知事が引退したティリス議員の議席を手にしました。
一方、民主党の守りの要とされたミシガン州では、エルサイード氏がロジャース元下院議員を破り、ジョージア州でもオソフ議員が再選を決めています。
下院でも民主党が多数を握りました。米CBSは11月4日の早朝の時点で、民主党の議席を251から268の幅で見込んでおり、なお70を超える選挙区の集計が続いています。いずれにしても、過半数の218を大きく上回る規模です。
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【1-2.有権者が見ていたのは、給油所の看板】
今回の選挙の争点を一つに絞るなら、それは物価、とりわけ燃料の値段でした。
米ヤフー・ニュースが投票日に伝えた米ギャラップ社の調査では、登録有権者の47%が、イランとの戦争を投票の判断で「極めて重要」と答えていました。経済と医療の50%に次ぐ高さで、外交と安全保障の問題がここまで上位に来る中間選挙は、私の記憶にもほとんどありません。
2月末に始まったイランとの戦争は、ホルムズ海峡を不安定にし、原油の値段を押し上げ、それが米国の家庭のガソリン代に跳ね返りました。もちろん、医療や政権の運営そのものへの評価など、ほかの要因も重なっていたはずで、結果のすべてを一つの争点で説明することはできません。
米AP通信の有権者調査によれば、イランへの軍事行動を「誤った判断だった」とした有権者は約6割に上りましたが、戦争を投票の決め手に挙げたのは約3分の1で、暮らしの費用や政府の腐敗を挙げた人は約半数でした。戦争は、それ自体が争点であるとともに、物価という別の争点を通じて有権者の財布に届いていたと見るのが、実態に近いでしょう。
トランプ大統領は投票日の夜、米CBSに「民主党におめでとうと言いたい」と述べ、結果は受け入れると明言しています。翌日には、戦争が敗因だったかとの問いに、ガソリンの値段を挙げて「おおむねその通りだ」と認める一方、「自分が投票用紙に載っていれば勝っていた」とも語りました。敗因を認めつつ、自らの名前だけは傷つけないという、いかにもこの大統領らしい言い回しです。
民主党の上院トップのシューマー院内総務は、大統領が民意や法を踏みにじるなら、調査し、法廷に訴え、「立法の有刺鉄線」で絡め取ると宣言しました。
ただし、ここで一つ、時間の軸を確かめておく必要があります。新しい議会が招集されるのは、年明けの2027年1月3日です。それまでの約2カ月、議会は改選前の共和党の多数のまま動き続けます。
新しい議会が戦争の権限を縛る決議や予算の締め付けに動けるのは、早くとも1月以降のことです。裏を返せば、これからの2カ月は、敗れた大統領の手が、議会からも、まだ縛られていない期間でもあります。
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【1-3.9月の見立てを振り返って】
私は9月19日のオンラインの講演で、中間選挙の結果を四つの型に分けてお話ししました。両院とも民主党が取る「完敗」の型は、そのとき一割前後の可能性と見ていましたので、見立ては外れたことになります。
それでも、あのときお伝えした条件、つまり「ガソリンが上がり続ければ民主党」という読みは、そのまま結果に表れました。そして、負けた場合に何が起きるかについて申し上げた見通しが、今、目の前で動き始めています。
【1-4.「レームダック」ではなく「急ぐ大統領」】
議会の両院を失った大統領は、しばしば「レームダック」、つまり足の不自由な鴨にたとえられます。国内の政策については、十中八九その通りになるでしょう。法案は通らず、予算は締め付けられ、政権の高官は議会の召喚状に追われることになります。
しかし、外交と軍事は別です。米国の大統領は、議会を通さずに動かせる領域を広く持っています。むしろ、国内で成果を上げられなくなった大統領ほど、歴史に名を残す材料を外に求めます。
今週の動きは、その典型でした。選挙の翌日にイランへの攻撃を「必要ないかもしれない」と言い、カタールとパキスタンの仲介に委ね、ウクライナの三者協議の日取りを固めました。
問題は、その急ぎ方が、相手からはっきりと見えてしまっていることです。交渉の言葉で言えば、合意を求める「動機」は強まりましたが、相手に合意を飲ませる「体力」と、約束が守られるという「信用」は落ちています。イランの最高安全保障評議会のレザイ書記が、米国の回答を「説得力がない」と突き返したのは、その最初の表れでしょう。
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【1-5.変わるもの、変わらないもの】
では、この選挙で、何が変わり、何が変わらないのでしょうか。
変わるものの筆頭は、イランとの戦争の行方です。戦争が与党の敗因だったと大統領自身が認めた以上、大規模な攻撃の再開に踏み切るための政治の体力は、大きく削られました。大統領は、どこかで「もう勝った」と宣言し、戦争の終わりに向かう道を探らざるを得なくなるでしょう。そして、民主党は、その終わりを自らの手柄にしようと競うことになるはずです。
もう一つ変わるのは、共和党の重心です。党の指導部は、2028年の大統領選挙をにらみ、トランプ大統領のもたらした傷から党をどう切り離すかに力を注ぎ始めます。次の候補がバンス副大統領になるのか、ルビオ国務長官になるのか、それとも第三の人物が現れるのかは、まだ見えません。
ただ、選挙の翌日から、その争いの号砲はすでに鳴っています。最も早く動いたのは、バンス副大統領でした。同氏は11月4日、SNSのXに長い投稿を寄せ、敗因として、イランとの戦争、暮らしの費用、米国が後回しにされているという感覚、そしてイスラエルとの関係を挙げました。「負けた本当の理由は、ほとんど誰の目にも明らかだ」と書き、戦争にそれだけの価値があった、今後6年にわたって上院を失うだけの価値があったと言いたいなら、そう主張してみればよい、とまで踏み込んでいます。
米アクシオスによれば、同氏は政権の中で、イランとの合意を急ぐべきだとする側の先頭に立っているとされます。
もっとも、同氏にとっての痛手も小さくありません。地元のオハイオ州では、同氏が肩入れした共和党のラマスワミ氏が知事選で民主党のアクトン氏に敗れ、上院の議席も失いました。米ニューズウィーク誌は、識者の声として、同氏を候補に立てれば「2026年の再現」になりかねないとの見方も紹介しています。
これに対してトランプ大統領は、バンス氏の投稿を「構わない」「おおむねその通りだ」と受け流しつつ、「もう一度やり直せるとしても、同じことをするだろう」と戦争の判断そのものは譲りませんでした。そのうえで、バンス氏は2028年の大統領選挙に「出ないかもしれない」と、含みのある言葉も口にしています。
ほかの有力者も、それぞれの言葉で距離を取り始めました。
フロリダ州のデサンティス知事は、今回の結果を、多くの地域の共和党にとって「絶滅に近い事態」と呼び、議員と政府の高官の株の売買の禁止を求めました。テキサス州のクルーズ上院議員は、関税、中東の戦争、データセンターの建設への反発が重なった歴史的な拒絶だとし、「テキサスは青くなった」と認めたうえで、「我々は耳を傾け、応えなければならない」と語っています。テキサス州のコーニン上院議員も、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙への寄稿で「自ら招いた政治の失策」を挙げました。
一方、ルビオ国務長官は、選挙の後も表立った発言を控えています。選挙戦の表舞台に立たず、イランとの戦争の責めがバンス副大統領やヘグセス国防長官に向かったことで、識者の間には、今回の結果が相対的にルビオ氏を利したとの見方が出ています。ただし、国務長官として戦争の決定の中心にいた以上、その責めから完全に逃れられるわけではないとの指摘もあります。
交渉の言葉で言えば、後継の候補たちは今、トランプ大統領の支持層という「資産」を手放さずに、戦争という「負債」だけを切り離すという、極めて難しい切り分けに挑んでいます。その切り分けの線をどこに引くかが、2028年に向けた共和党の重心を決めることになるでしょう。
一方で、変わらないものもあります。
民主党の内側の、左派と伝統的な中道派の間の溝は、選挙に勝ったからといって埋まるわけではありません。中国に厳しく臨むという姿勢は、もともと両党に共通するもので、政策の向きは大きく変わらないでしょう。変わるのは、その政策を実行する政権の力のほうです。
台湾は、米国の経済の計算と国内の政治の制約の狭間で、これまで以上に揺さぶられることになるかもしれません。そして最も懸念されるのは、残る2年余りが政争に費やされ、何も進まない、何も進められない米国に、世界が振り回され続けるという展開です。
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2.撃たない理由、撃つ理由-米国とイラン
【2-1.投票日前夜の「小さな攻撃」】
11月2日、月曜日の夜、米軍はホルムズ海峡に面したイラン南部のケシュム島を攻撃しました。米国の当局者によれば、標的はイランの防空施設で、イランの革命防衛隊が米軍機に向けて撃ったことへの「限定的で防御的な」対応だったとされます。トランプ大統領はこの攻撃を認めたうえで、「小さな攻撃で、戦争ではない」と述べました。
同じ日、大統領はSNSに、イランは「できるだけ早く」決着を望んでいると書き込んでいます。原油の市場は、攻撃よりもこの書き込みのほうに反応しました。北海ブレント原油の先物は11月2日、7.4%下がって1バレル105.03ドルとなりました。さらに選挙の翌日の4日には、共和党の大敗で外交による決着の見方が強まり、一日で8%近く下落しています。5日には93ドル台と約2カ月ぶりの安値をつけ、4日続けて値を下げました。
それでも、10月29日付の日本経済新聞で日本エネルギー経済研究所の小山堅顧問が指摘したとおり、世界の石油の在庫は過去5年で最も低い水準に近づいており、市場の関係者も軍事行動の再開への警戒を解いてはいません。在庫という緩衝材が薄くなった市場では、わずかな揺れでも値段が大きく跳ねます。
【2-2.トーンを下げた大統領】
選挙の翌日の11月4日、トランプ大統領は、イランへの攻撃の再開について、当面その計画はないと語りました。米ブルームバーグ通信などによれば、大統領は「準備はできている。弾は込めてある。だが、その必要はないかもしれない」と述べ、米FOXニュースには「仕事はまだ終わっていない。やるかもしれないし、やらないかもしれない」と答えています。
選挙の前、米国の報道は、中間選挙の後に「短く激しい」作戦が始まる可能性を繰り返し伝えていました。米メディアは、中央軍が選挙の翌日の水曜日にも始められる追加の攻撃の計画を持っていると報じ、3隻の空母が中東にそろう見通しも伝えられていました。中央軍によれば、イランの港の封鎖には今も20隻を超える艦艇と数百機の航空機が当たっています。
拳はまだ握られたままですが、それを振り下ろす理由が、選挙の結果によって細ったのです。
米ガルフ・ニュースなどによれば、カタールの仲介者は、3日間で信頼を築く措置を順に実行する合意の案について、米国とイランの双方の支持を取り付けようとしており、数日のうちに直接の協議が再開される可能性もあると伝えられています。
米アクシオスによれば、イスラエルのネタニヤフ首相は10月31日、中間選挙の直後にイランを再び攻撃するようトランプ大統領に求めましたが、大統領はイランとの協議を優先する考えを示したとされます。米国とイスラエルの間に、目に見える溝が生まれ始めています。
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【2-3.「説得力がない」と突き返したテヘラン】
では、イランの側は、この変化をどう受け止めたのでしょうか。11月3日、最高安全保障評議会のレザイ書記は、米国の回答は「説得力がない」と述べ、ホルムズ海峡を再び開くのは、米国がイランの七つの条件を「完全に、明確に」満たしたときだけだと突き放しました。
イランが掲げる条件として報じられているのは、凍結された資産の解除、米海軍による港の封鎖の解除、制裁の解除、そしてレバノンを含むすべての戦線での戦闘の停止などです。
七つの条件のすべての中身は、私が確認した範囲では公にされていません。アラグチ外相は、条件が満たされれば、海峡を2日間で開くという案を示したと伝えられています。これは、前号でお伝えした「7日間」の案から、履行の期間を大きく縮めた形です。
イラン外務省のバガイ報道官は「ボールは米国の側にある」と述べ、ガリババディ外務次官は「正当な自衛の権利を留保する」と付け加えました。一方で、ペゼシュキアン大統領は、和平の協議を進めるための権限を広げられたと語っています。
サウジアラビア系のテレビ局アルアラビーヤは、ペゼシュキアン大統領、ガリバフ国会議長、アラグチ外相という文民の指導者たちが、治安の指導部にカタールの最新の案を前に進めるよう促したと伝えました。別の報道では、レザイ書記が、ドーハに米国との直接の窓口を開くというカタールの案を退けたともされます。いずれも名前を明かさない情報源に基づく報道で、真偽のほどは確かめられてはいません。
最高指導者の事務所が強い言葉を発し、大統領が交渉の権限を口にするという二重の構造は、前号でも触れた、交渉で物事を決める複数の決定権者の存在を、改めて示すものです。誰が最後に「はい」と言えるのかが見えない相手との交渉は、いつまでも最後の一歩が遠くなります。
【2-4.仲介者の36時間】
仲介の舞台では、カタールとパキスタンの二つの国が前面に立っています。
ロイター通信などによれば、10月31日から11月1日にかけて、イランとカタールの担当者がドーハとテヘランで3日続けて協議を重ねました。カタール外務省のアンサーリ報道官は、双方とも協議に関わり続けており、カタールは提案のやり取りを「リアルタイムで」仲介していると述べています。
ロイター通信によれば、カタールの当局者は11月3日、新しい案を双方が検討しており、36時間以内に反応が返ってくる見通しだと語りました。カタールは、全面的な合意の前に「暫定の合意」を結ぶことに望みをつないでいます。
私が紛争の現場で学んだのは、こうした局面で仲介者が持つ最大の武器は、案の中身よりも「順番」だということです。海峡を開くことと封鎖を解くことは、実は表と裏の関係にあります。どちらが先に動くかという問いに答えが出ないとき、仲介者は「同時に、少しずつ」という順番を設計します。前号でお伝えしたように、カタールが「信頼を築く措置を毎日一つずつ」という形を探ってきたのも、この考え方に立つものでしょう。
ただし、イランは今、米国が急いでいることを知っています。急いでいる相手からは、一度に大きな譲歩を求めるより、小さな譲歩を一切れずつ切り取っていくほうが得だと、テヘランは計算しているはずです。
いわゆるサラミ戦術を、今度はイランが米国に対して使う番が回ってきたのかもしれません。
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【2-5.「地理的な制限のない戦争」という宣言】
その一方で、イランの指導部は、戦いの言葉を一段引き上げています。
最高指導者モジタバ・ハメネイ師の事務所は10月31日、米国とイスラエルが軍事攻撃を再開すれば、イランは「地理的な制限を設けずに」対応するよう、ハメネイ師が軍に指示したと明らかにしました。なお、指示が出された日時は分かっていません。
革命防衛隊に近いタスニム通信は、イランが「地域の戦争」から「地理的な制限のない戦争」に正式に移ったと伝えています。アルジャジーラによれば、ハメネイ師は標的のリストを更新するよう命じたともされ、イランの当局者は、欧州の国々や湾岸の海底ケーブルも標的になり得ると示唆しています。これは示唆の段階の発言で、実際の計画があるのかどうかは確かめられていません。
これと並んで、イスラエルが米国に、イランが化学兵器の使用を検討しているとの情報を伝えたとの報道もあります。ただし、その真偽のほどは分かっていません。米国の情報機関はこれまで、イランの化学兵器について研究の段階の疑いを示すにとどめており、使える状態にあるとは確認していません。
こうした情報が、誰から、どのタイミングで、誰に向けて出されたのかは、それ自体が交渉の一部であることを忘れてはなりません。攻撃を思いとどまった大統領の背中を押したい側にとって、相手の危険を大きく見せる情報は、最も効く材料だからです。
【2-6.海の上の霧】
海の上では、今週も事実を確かめにくい事案が続きました。
英国の海事機関UKMTOによれば、11月3日、オマーンのリマの北東約26キロの海上で、タンカーの機関室に2発の飛翔体が当たりましたが、死傷者は出ていません。同じ日、ホルムズ海峡でインド人の船員が乗る木造の貨物船が攻撃を受け、船員1人が亡くなったと米CBSは伝えています。
11月4日には、革命防衛隊が、海峡の南の「禁止された航路」で機雷に触れたタンカー4隻が破壊され、別の2隻を拿捕したと主張しました。革命防衛隊は、米軍の無人機MQ-9を撃ち落としたとも主張し、これを自らの数え方で56機目としています。
5日にも、革命防衛隊は、許可のない航路を使ったタンカー2隻とタグボート1隻が海峡で炎上したと発表し、ケシュム島の近くで米軍の無人機MQ-1を破壊したと主張しました。これらの主張は確かめられておらず、互いに関連があるのかどうかも分かっていません。
前号でもお伝えしたとおり、海の上の出来事は、実際の被害よりも「被害が出るかもしれない」という予想のほうが、市場と交渉を大きく動かします。
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【2-7.調停の視点から-「撃たない」ことを、取引の材料にさせない】
私が今週最も気になっているのは、米国が「撃たない」ことを、イランが「譲歩」として受け取っていないことです。交渉の現場では、自らが取らずにおいた行動は、相手から見れば「当然のこと」として値引きされやすいものです。
米国は、選挙の後の攻撃を見送ることで、相手に一つの贈り物をしたつもりかもしれません。しかし、イランから見れば、それは米国が国内の事情で撃てなくなったという事実にすぎず、対価を払う理由にはなりません。
このとき米国が取るべき道は、攻撃の脅しを再び強めることではないと私は考えます。脅しは、使わずにおくほど価値が下がり、使えばもう脅しではなくなるという、厄介な性質を持っているからです。
むしろ必要なのは、封鎖を少しずつ緩める代わりに、海峡の通航を少しずつ戻させるという、小さな交換を積み重ねる設計です。一度に大きな約束を交わすのではなく、守られたことを確かめながら次へ進むやり方です。
私は様々な交渉の現場で、まさにこの「小刻みな交換」が、互いに一歩も譲らない当事者の間に、最初の足場をつくるのを見てきました。大きな合意は、小さな約束が守られた記憶の上にしか建ちません。
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3.手切れの宣言と組閣の算術-イスラエル
【3-1.投票日の「年40億ドル」】
投票日の11月3日の朝、トランプ大統領は米FOXニュースの番組で、イスラエルへの年間40億ドルの支援を年末で打ち切ると述べました。大統領によれば、ネタニヤフ首相の側から「支援を受けないのが適切だ」と持ちかけてきたとのことです。
ただし、数字は少し丁寧に見ておく必要があります。米国とイスラエルが結んでいる10年間の了解覚書では、支援は年38億ドルで、その内訳は軍事の融資33億ドルとミサイル防衛の5億ドルです。
覚書の期間は2028年まで続くことになっています。しかも、この覚書には法的な拘束力がなく、毎年の予算は議会が承認する仕組みです。大統領の言う「年内での打ち切り」、つまり2027年からは支払わないという方針が、どのような手続きで実行されるのかは、今のところ明らかになっていません。米国の報道の中には、議会の関与を考えれば、年末で一気に止めることは難しいとの指摘も出ています。
イスラエルの首相府は論評を避けましたが、財務と軍の当局者は、驚きと懸念をイスラエルのメディアに匿名で伝えています。野党のラピド元首相は、これを「国家の歴史上、最も深刻な政治と安全保障の失敗の一つ」と批判しました。
【3-2.誰に向けた宣言なのか】
では、この宣言は、誰に向けたものだったのでしょうか。
米国の国内に目を向けると、民主党の候補の多くが、イスラエルへの軍事支援の削減や停止を訴えて選挙を戦っていました。新しい議会では、大統領の宣言と議会の多数の意思が、珍しく同じ方向を向く可能性があります。
一方、イスラエルに目を向けると、宣言のタイミングは、組閣の協議が始まる直前でした。支援の打ち切りが、ネタニヤフ首相への逆風になるのか、アイゼンコット元参謀総長への逆風になるのかは、現時点では分かりません。
前号でお伝えしたとおり、アイゼンコット氏自身は、米国の軍事援助に頼る状態から5年から10年かけて抜け出すという構想を示していました。ネタニヤフ首相が自ら持ちかけたという大統領の説明が事実であれば、首相は「自立」という旗を、政敵より先に掲げたことになります。もっとも、これはあくまで大統領の説明であり、首相の側は何も語っていません。
これに対してアイゼンコット氏は、国防の当局や市民が、米国との戦略的な関係の変化を報道を通じて知らされているのは危ういことだと述べ、ネタニヤフ首相はもはや信頼できず、交代させなければならないと、即座に攻勢に出ました。米国の宣言は、イスラエルの組閣の争いに、早くも武器として持ち込まれたのです。
確かなのは、数十年にわたって米国の中東政策の柱であった約束に、「期限」という文字が書き込まれたことです。
交渉の理論では、長く続いてきた関係の中で一方が条件を変えるとき、その変更が「誰の発案だったのか」という物語が、相手の国内での受け止め方を大きく左右すると言われます。
大統領が「ネタニヤフ首相の側から言い出した」と語ったのは、米国の側から見れば、イスラエルを見捨てたのではないという体面を保つための説明でもあります。同時に、イスラエルの国内では、首相が国の安全を自ら手放したという批判の材料にもなり得ます。
一つの言葉が、二つの国の内政で正反対の意味を持つという、同盟の交渉にはよくある構図です。期限の付いた約束は、受け取る側に、期限の後の備えを急がせます。それは同盟の終わりを意味するとは限りませんが、同盟の形が変わり始めたことを意味します。
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【3-3.組閣の算術-48と19の距離】
イスラエルでは、10月27日の総選挙の全票の集計結果が10月30日に公表され、11月4日にヘルツォグ大統領に正式に届けられました。議席は、ネタニヤフ首相の陣営が53、アイゼンコット氏の陣営が48、アラブ系の2党が19です。前号でお伝えした開票率97.3%の時点の数字から、陣営の間の議席は動きませんでした。
ヘルツォグ大統領は11月4日から、エルサレムの大統領公邸で各党の代表との協議に入りました。新しい議会の議員の宣誓は11月10日に行われます。
ただし、議員の宣誓は新しい政権の発足を意味するものではありません。11月3日には、野党の指導者たちが、アイゼンコット氏を首相の候補として大統領に推すことで一致したと伝えられました。
そして4日の協議では、算術が一つ動きました。イスラエルのタイムズ・オブ・イスラエル紙によれば、ヤシャル、ベヤハド、民主党、イスラエル我が家に加えて、アラブ系の政党ラアムがアイゼンコット氏を推す立場を示しました。これでアイゼンコット氏への推薦は、合わせて56議席に達する見通しとなりました。
一方、ネタニヤフ首相を推したのは、リクード、シャス、オツマ・イェフディート、宗教シオニズムの各党で、私の計算では合わせて46議席です。与党の陣営にいた超正統派の統一トーラー・ユダヤ教(7議席)は、超正統派の兵役の免除をめぐるネタニヤフ首相との溝を背景に、5日朝の大統領との協議で、誰も推さないと伝えました。
協議は5日も続いており、イスラエルのエルサレム・ポスト紙によれば、アラブ系の合同リストの11議席もアイゼンコット氏を推すとみられ、統一トーラー・ユダヤ教は、アイゼンコット氏との連立の取引も検討しているとされます。両紙とも、協議が終わればアイゼンコット氏が組閣を任される見通しだと伝えています。
私の手元に届いていた、ユダヤ系の野党がアラブ系の政党との協力にも踏み込んだとの情報は、少なくとも「推薦」という形では、半ば裏付けられたことになります。
ただし、推薦と連立は別のものです。アイゼンコット氏の陣営の中には、アラブ系の政党とも超正統派の政党とも手を組むことに反対する声があり、どちらの扉を開けても、陣営の中の誰かが離れかねない状態です。数の上では手が届くのに、互いの「譲れない一線」が重なって手を結べない状態は、形を変えて続いています。
組閣を任された議員には、まず28日、延長して最大42日の時間が与えられます。それで失敗すれば、大統領は別の議員に組閣を任せ、それも失敗すれば、議会の61人の署名で候補を立てる段階を経て、再選挙となります。そして、その間、ネタニヤフ首相は暫定の首相として、安全保障に関わる重要な決定を下し続けることができます。
相手が組閣に失敗すれば権力を保てるという立場は、首相にとって今も最強の交渉の札、つまりBATNAであり続けています。組閣を任された者が、アラブ系の政党の閣外からの支えという「部分的な合意」を設計できるかどうか、そして米国の支援の打ち切りという外からの衝撃が、この算術をどちらに動かすのかが、今後の最大の注目点です――(メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦が読み解く国際情勢の裏側戦略インテリジェンス・レポート』2026年11月6日号より一部抜粋。全文をお読みになりたい方は初月無料のお試し購読をご登録下さい)
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