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1000年の歴史を持つ清水寺が、たった「400年後」のためにやってること

京都を代表する観光名所、清水寺。1994年の世界遺産登録でその名は世界にとどろき渡り、年齢国籍問わず多くの人たちが訪れています。無料メルマガ『おもしろい京都案内』は、「建築様式」というちょっと変わった視点で清水寺の魅力と先人の知恵に迫っています。

清水寺 ~はるか先の未来を見据えて~

多くの日本人が一度は訪れたことがある清水寺。日本で最も有名な観光名所の1つではないでしょうか。以前清水寺についてはこのメルマガでもその魅力をお伝えしたことがありました。

詳しくは、「清水寺(音羽山清水寺)世界文化遺産 京都観光ランキング1位」をご覧ください。

今回は、清水寺の建築様式に秘められた先人たちの想いとその成り立ちをご紹介します。

清水の舞台から見下ろす谷を錦雲渓(きんうんきょう)といいます。錦雲渓の下から清水の舞台を見上げるとそれを支える太くてたくましいケヤキの柱が整然とそびえ立っています。その柱は必要以上に密集していてとても頑丈に建てられたものであること物語っています。

清水寺は京都の観光スポットの中で不動のナンバーワンで見どころも沢山あります。ただ、この舞台を支える柱やその建築様式ほど人間臭く奥深い魅力を秘めた場所はありません。先人の知恵と技術の素晴らしさに感動し、舞台から見る景色もガラリと変わることでしょう。そこには先人の我々子孫に対する熱い想いや深い思いやりの気持ちが伝わる物語があります。

清水の舞台の広さは約100畳に相当します。舞台の床に敷き詰められた木の板は総檜ひのき張りです。その舞台を支える柱は高さ13メートルの18本のケヤキの大木です。険しい崖の斜面に張り付くように柱を立て、沢山の(ぬき)と呼ばれる檜の木材を水平に貫通させて接合させています。

この伝統的で独特の工法は懸造り(かけづくり)と呼ばれています。格子状に組まれた木材同士が互いに支え合うことで衝撃を分散し高度な耐久性を保つことが出来る特殊な建築様式です。今まで数百年にわたって参拝者が訪れたにも関わらず、一度も崩れ落ちたことはありません。それどころか、幾度もの地震に見舞われてもびくともせず、ぐらついたり、それを理由に補修をしたりすることもないのです。

柱と貫の接合部分は継手(つぎて)と呼ばれる技法で組み合わされています。僅かにできたすき間にはけやきの木片で楔(くさび)が打ってあって、釘1本使うことなく強度を高め足場を固定しているのです。このように先人の考え抜かれた技術の結集が舞台を支えているのです。

木は火と水に弱いものです。清水寺は1,000年以上の歴史の中で何度も火災にあってきました。建物はその都度再建され、現在の建物は1633年に徳川家光によって再建されたものです。

しかし、水に対してだけは昔から鉄壁の守りを貫いてきました。舞台を支える木材が雨ざらしになるむき出しの部分を防ぐ努力が続けられてきたのです。地面から舞台を支える懸造りの構造を見ると先人たちが考え抜いた雨除けの技術の結晶が見て取れます。

まず、舞台そのものですが、もともと軒先方向に緩やかな傾斜が付けられ建設されています。これは舞台に降り注ぐ雨が自然と崖に流れ落ちるように設計されているのです。水はけを良くして水が舞台にたまらないように工夫されています。
訪れたことがある方はその緩やかな傾斜に気付いたことがあるでしょう。舞台そのものはそれを支える頑丈なケヤキの柱の屋根の役割を果たしています。

柱に取り付けられた沢山の貫の1つ1つの上には小さなひさしが丁寧に取り付けられています。垂直に立つ柱に対して水平方向に突き刺さる木材の先が雨に濡れたままになり腐食しないようにと工夫されたものです。屋台骨を支える柱の真横に走る貫は強度を増すためものなのにそれが腐っては意味がありません。そのたびに修復を繰り返すのも大変なことです。簡単に取替えられる小さなひさしを付けることで大型修復をせずに舞台を支え続けているのです。

1,000年以上続く大工さんのとても細やかな心のこもった工夫が世界遺産清水寺を支え続けているのです。手作業で1つ1つ取り付けられている沢山のひさしを見ると職人さんがずっと清水寺を大切に思ってきた気持ちが伝わってきます。

小さな腐食や虫食いなどで傷んだ柱はその部分だけ切り取って木材を継ぎ足す根継ぎという手法で手当てしています。このように清水寺に関わってきた先達たちはその時々の技術や智恵というタスキを次々につないで舞台を守ってきたのです。

しかし、そうはいってもケヤキの柱にも寿命があります。現在舞台を支えているケヤキの柱は樹齢400年のものが用いられているそうです。ケヤキの角材の耐用年数は樹齢の倍ぐらいだと言われています。今の舞台を支えるケヤキの柱の耐用年数は800年ということになります。再建されたのが400年前なので、400年後ぐらいに立て直すことが必要となります。

清水寺 400年後のために植樹

400年後に樹齢400年のケヤキの木が確実に手に入るとは限りません。そのため次の再建の400年前となる今の時代に清水寺は山林の土地を買いケヤキの苗木を植樹しています。この気の遠くなるようなことを平然と日常の生活の中でやっているのが京都のすごいところでもあります。

古都・京都はただ古いものを守るだけと思っているとトンデモナイことです。今まで大切にしてきたものを未来永劫存続させるための努力をいつの時代の京都人もしてきたことなのです。そして現代に生きる京都人も遠い未来を見据えた未来志向の取り組みを沢山しているのです。彼らは決して過去のものに執着するのではなく、それに価値を与えよりいいものにして後世に伝える努力を怠りません。常に都であり続け新しいものを内外に発信し続けていた発信力はいつの世も時代の先端を行っていました。そして、現代も未来に進む力、物事を前に進める促進力は衰えることを知りません。これこそが、京都を支えるかつて都だった底力なのだと思います。

清水寺は2000年に33年に一度の御本尊の御開帳がありました。その時になにか後世に残せることをと考え付いたのがケヤキの苗木を植えることだったそうです。その時に植樹されたケヤキやヒノキの苗木は6,000本です。そのうち400年後に木材として使えるようにちゃんと育つのはほんの1割と言われています。現在、まだ樹齢20年ぐらいのひょろひょろとした木が京都府の北部の山に大切に育てられています。

日本はもちろん、世界的にも有名な清水の舞台。その舞台裏を支える人の想いや取り組みは1,000年前から続いているのです。そして、今後も永遠に続いて行くことでしょう。舞台を支え続けている職人の緻密な仕事の数々、技術の結晶を知ることで、舞台から見る景色もまた違って見えてくることでしょう。

image by: Shutterstock

 

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