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それでも進める核のリサイクル。新法人「再処理機構」の危ない正体

原発の再稼働や運転差し止め裁判などのニュースが伝えられる中、政府は危険極まりない核燃料リサイクル事業を進めるべく、新な法人を設立するための法案を国会に提出しました。これに対してメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の著者・新 恭さんはその法人の正体を暴くとともに、未曽有の原発災害を経験した国の政府が核燃サイクル事業に固執することについて「あまりにも異常」と厳しく批判しています。

「使用済燃料再処理機構」なる新法人の正体

原発が動けば増え続ける使用済み核燃料。持っていく場がないから原子炉建屋内のプールで冷却用の水につけて貯めている。これがきわめて危険なことは周知のとおりだ。福島第1原発の大事故で、第4号機のプールの水が減り始めたとき、原子力委員会の近藤駿介委員長は、プールの中の燃料が溶けると、東京に人が住めなくなるという驚愕の報告書をまとめたほどである。

現在国内に貯蔵されている使用済み核燃料は1万8,000トンもある。うち1万5,000トンは各原子力発電所のプールの中だ。残りの3,000トンは六ヶ所村の再処理工場に保管されている。

発電所の燃料プールは、再稼働すれば早いところで2年平均7年あまりで満杯になる。悠長に構えていたら、「トイレなきマンション」は危険な汚物であふれるのだ。

いずれ六ヶ所村で再処理し、高速増殖炉で燃やしてプルトニウムを再生産するという「核燃サイクルの神話を頼みの綱として、そんな状況でも政府や電力業界は「再稼働」の必要性を声高に唱えている。だが、六ヶ所村の再処理工場といっても、2006年から始まった試運転は完了延期を繰り返し、いまだ本稼働に至っていない。しかも、稼働させたら、英仏の再処理工場に委託するよりコストが数段高くつくといわれている。経済合理性のうえからも最初からこの計画は破綻しているのだ。

それでも、政府は「再処理」を将来にわたって確実に進めるための法改正案を今国会に提出した。改正の中身は、再処理のために新たな法人をつくることである。電力小売りの自由化で競争が激しくなり大手電力会社が破綻すると、いまの仕組みでは使用済み核燃料の再処理事業が継続できるかどうかわからない。だから、事業を確実に推進するための「使用済燃料再処理機構なる認可法人を設けるという。

今の仕組みはこうだ。大手電力会社の共同出資による国策会社、(株)日本原燃が六ヶ所村で再処理をする。再処理に必要な資金は電力各社がそれぞれ「原子力環境整備促進・資金管理センター」に預けて積み立てる。

なぜこれでは不安なのか。資源エネルギー庁の資料にはこう書いてある。積み立てた資金が各電力会社に帰属するため、「破たんした場合、確実な費用の支払いが保証されない恐れがある」。

「積み立て金」は、あくまで各電力会社のカネである。それを新法人への「拠出金」ということに変更する。そうすれば、たとえどこかの電力会社が破綻しようと債務弁済には充てられず、再処理以外の目的に使えないカネになるという理屈だ。原発の安全性に関しては「想定外だった」と逃げるくせに、資金のことになると、破綻まで想定して、用意周到に手をうつのである。

ならば、新法人と日本原燃はどういう関係になるのか。再処理の事業主体は新法人なのか、原燃なのか。

実は、再処理工場というのは原子力発電所以上に危険な施設である。しかも日本にはもともと再処理の技術などない。フランスの技術を導入して六ヶ所村の工場をつくったのだ。

もし、再処理の過程で事故が起きた場合、どこが責任を負うのか。その点について、3月15日の参院予算委員会で、民主党の大塚耕平が質問した。林幹雄経産大臣はほとんど自力で答弁できず「勉強不足」を自ら認めたが、いちいち官僚に聞きながら、たどたどしく説明した。

大塚「使用済み燃料の処理の過程で事故が起きたら誰が責任をとるのか」

「安全確保に関する責任は原子力事業者や再処理事業者が負う」

再処理機構は事故が起きても責任はないというのだ。だが、改正法案の9条にはこうある。

機構は特定実用発電用原子炉設置者が拠出金を納付したときは認可実施計画に従い、当該拠出金に係る使用済燃料の再処理等を行わなければならない。

そして、今年1月にまとめられた資源エネルギー庁の「使用済燃料の再処理等に係る制度の見直しについて」という資料によると、「新法人が日本原燃に再処理事業の実施を委託する」となっている。

認可法人「再処理機構」が事業主体であり、日本原燃は委託先として位置づけられている。なのに、「再処理機構」なるものが安全確保に責任を持たないというのは、どうにも合点がいかない。

大塚はその点を確認するため「新法人は原子力規制法の対象になるか」と質問した。正確には「原子炉等規制法」のことだろう。「再処理事業」に関して原子力規制委員会の許可を得なければならない対象かどうかというのが質問の趣旨だったと思われるが、林大臣は「(対象に)なりません」と答えた。

大塚は「法案の第9条には、この機構が使用済み燃料の再処理等を行わなければならないと書いてあるが、それでも機構には責任はないのか、なぜ責任がないのか」などと、食い下がった。これに対する林大臣の答弁は、新法人の設立があくまで拠出金制度を目的としており、経済的な責任はあるが、安全管理の責任は日本原燃にある、というものだった。

結局、新法人「再処理機構」は、電力会社から拠出金を受けとり、再処理事業を日本原燃に委託して、カネを右から左に流し、その事務作業のために職員をはりつけるという、お気楽な天下り法人であるらしい。

ならば国は全く再処理の安全性に責任はないのかというと、そうでもない。大塚が「再処理が安全に行われることを国民がのぞんでいるわけで、そこについて国は責任はないというたてつけですね」と問うと、林大臣はこう答えた。

「責任がまったくないことはない。役員の任命など人事の責任もある。事故が起きたらしっかり責任をもって対応する。まったくゼロではない」

どうやら原子力損害賠償法第3条但し書きのようなイメージで、事故が起きた時の国の責任を考えているようだ。

どういうことかというと、原賠法は「原子力事業者が原子力災害を引き起こしたときは、過失・無過失にかかわらず、無制限の損害賠償責任を負う」と定めているのだが、以下の但し書きがある。

ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りではない。

これを根拠に「免責」を求めた東電や銀行団の動きに対応し、国は政府・電力会社の共同出資で「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」を設立、同機構を通じて東電の損害賠償資金を肩代わりしている。東電に対し、交付国債を原資とした資金を無制限に交付し、東電は事業利益のなかから「特別負担金」という名で返済していくというスキームである。

つまるところ、再処理の安全についての法的な責任は原燃に押しつけておき、万が一大事故が起きた時は、国民全体に負担を求めるということらしい。

まともな考え方とはとても思えない。未曽有の原発災害を経験した国の政府が、ここまでして、実現のめどすら立っていない「核燃サイクル事業」を本気でやっていこうというのだ。

再処理工場がいかに危険をはらんだ施設であるのか、真剣に考えておくべきだ。プルトニウムを取り出すには、放射能を閉じ込めている燃料棒を細かく切断する必要があり、そのために工場内は激しく汚染される。「原子力発電所が1年で放出する放射能を1日で放出する」と言われるほどである。

先述したように、「再処理機構」に資金を拠出させる新方式を採用する理由は、原発を有する大手電力会社が破綻する恐れがあるからだという。それが本当の理由だとすれば、政府が最も危惧しているのは東電の経営状況であろう。

国の支援があるとはいえ、東電は今後も賠償や除染費用を利益の中から、いつ果てるともなくねん出し続けなければならない。見通しの立たない廃炉や、汚染水の問題もかかえこんでいる。

電力小売り自由化の大競争時代をむかえ、東電の体力がもつかどうか。以前なら、カネの力で政治家を動かし、会社の永続をはかることができたかもしれないが、今の東電にさほどの力があるとは思えない。東電を最大の株主とする日本原燃を再処理の事業主体から降ろし、「再処理機構」なる新法人にとって代わらせるような策を考えだしたのも、東電の置かれた状況がかなり厳しいと認識しているゆえかもしれない。

「核燃サイクル」は完全に行き詰っているというのに、このような小細工をしてまで、膨大なムダ金を垂れ流す「再処理」に執着するのは、あまりに異常である。

「再処理」「核燃サイクル」をあきらめることは、すなわち原発推進の国策をやめるということだが、このさい、その決断こそが長期的に見れば国益につながることを認識してもらいたい。

実りがなく、目途もなく、これから何兆円注ぎ込まねばならないかわからず、なにより危険きわまりない「再処理」「核燃サイクル」をきっぱり切り捨て、すみやかに新時代のエネルギー政策に移行すべきである。

 

 

国家権力&メディア一刀両断』 より一部抜粋

著者/新 恭(あらた きょう)
記者クラブを通した官とメディアの共同体がこの国の情報空間を歪めている。その実態を抉り出し、新聞記事の細部に宿る官製情報のウソを暴くとともに、官とメディアの構造改革を提言したい。
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