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昭和は遠くなりにけり。永六輔にあって、大橋巨泉になかったもの

7月7日に83歳で亡くなった永六輔さんは、幅広い交友関係をお持ちだったことでも有名です。今回の『佐高信の筆刀両断』では、著者で評論家の佐高信さんが、赤坂BLITZで開かれた「永六輔お別れの会」で意気投合した世界的な舞踏家・田中泯さんとのエピソードを交えながら、永六輔さんの偉大さを振り返ります。さらに、永さんと同時期に活躍し、親交も深かった大橋巨泉さんについても言及しています。

永六輔と大橋巨泉

林英哲の太鼓で田中泯が踊る。すさまじい迫力だった。

8月30日、赤坂BLITZで開かれた「永六輔お別れの会」のイベントの一幕である。

私は小室等のコーナーにゲストで出て、そのまま、楽屋で松元ヒロと話したりしていた。

そこに予定されていない客として田中が現われたのである。

私は、藤沢周平原作の映画「たそがれ清兵衛」に不気味な剣客として出たことや、山形の農民詩人、木村廸夫の人生を描いた「無音の叫び声」のナレーターとしての田中ぐらいしか知らなかった。

しかし、あとで聞くと、世界的な踊り手らしい。

木村のドキュメンタリー映画の話から入って、妙にウマが合い、終わって、松元ヒロと3人で飲んだ。

そして、同じ1945年生まれであることを知った。

ふだんは山梨県は甲斐市の山奥で農業をしているという。

9月8日、今度は東中野ポレポレで永を偲ぶイベントがあった。

小室等の小室寄席最終回の形でである。

そこにも私はゲストで出て、小室とトークし、まず、9日前に田中泯と意気投合した話をした。

これも永のおかげだと思ったからである。

松元ヒロと3人で飲んだと言ったら、

「ずいぶん濃いメンツだね」

と言われた。

そして、その日に思いついた話題に移った。

ツレアイに聞かれたことでもあるのだが、大橋巨泉の追悼には最初からいく気がなかったということである。

「こんなものいらない!」という番組にも呼ばれたし、護憲問題で三木睦子や落合恵子と一緒に記者会見したこともある。

それでも行く気になれなかったのはなぜかと考えて、巨泉はビートたけしらとのつきあいが深いからだと思った。

永のお別れ会にはたけしは来ない

そんなことを話していたら、小室が、

「しめた!」

というような顔をする。

どうしてかと思ったら、巨泉の娘が会場にいたのだった。

私はあわてて、しかし、辛口評論家の私も巨泉の悪口は書いていない、と釈明したりしたが、会場は大ウケである。

小室も人が悪い。

壇から降りて来る時に、私は彼女のところに行って頭を下げた。

彼女は笑っていたが、永と巨泉の違いはやはり大きい

小室を含めて田中泯林英哲松元ヒロ等を世に出すよう尽力したのは永であって巨泉ではない

もちろん、巨泉も他の人よりは何倍もマシだが永の目配りの広さと深さには及ばないのである。

image by: Tabatterstock

『佐高信の筆刀両断』第116号より一部抜粋

 

『佐高信の筆刀両断』

著者/佐高信(評論家)
高校教師、経済雑誌の編集者を経て評論家となる。著書に『保守の知恵』(毎日新聞社)、『未完の敗者 田中角栄』(光文社)など。相手が誰であれ舌鋒鋭く迫る様はメルマガ誌上でも遺憾なく発揮。“政治”に殺されたくない人は読むべし!
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