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山口や岡山とはちょっと違う。長野のグルメ「山賊焼」とは?

パリパリの皮に包まれたジューシーな肉、そして食欲をそそるニンニクの香り…想像するだけでお腹が空きそうですね。長野のご当地グルメ「山賊焼(さんぞくやき)」は、今も地元で愛される食べ物のひとつですが、そもそもこの山賊焼という名前、どこから来たものなのでしょうか。今回の無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』では、2つの説を紹介しています。

信州・松本平安曇野の山賊焼

信州中部の松本平(盆地)の塩尻から松本安曇野にかけて、山賊焼と呼ばれる食べものが長く親しまれている。地元に住む大方の人がその名を知っているし、少なくても数回は食べた経験を持つと思われる。また地元食品スーパーの総菜売り場の定番になっているほどだが、盆地の圏外には広まっておらず、今のところあくまで信州の一地方の、郷土の食べものに留まっている。

信州中信地方の山賊焼とは、鶏のもも肉をニンニクなどを効かせた汁に数時間以上漬け込み片栗粉で揚げたものである、焼きと呼ばれるが、正体は揚げである。この、「山賊焼」という呼び方は、信州だけのものでもないらしい。ネットで見ると、山口県や岡山県にもあるようだ(山口・いろり山賊、岡山・山賊のたかまる等)もっとも、こちらは同じ鶏のもも肉を使った料理なのだが、炭火などによるほんとうの焼き」のようである。また、真偽のほど、山賊焼と呼ばれるかはわかないが、千葉県や秋田県のスーパーの総菜売り場で、「揚げ」の山賊焼が販売されているという情報もある。

鶏肉をニンニクなどが入った汁に漬け込み、片栗粉で揚げたと簡単に書いてしまったが、ネットでみたemumuさんの「チュウズディ食堂・信州松本名物『山賊焼き』」、では、実にリアルにおいしそうな食欲をそそる表現になっているので
紹介してみよう。

若鶏もも肉にガーリックいっぱい、しょうがいっぱい、醤油、塩、コショウ、蜂蜜をもみこんで、数時間後…、片栗粉をまぶして、大きいまま揚げます。大きいまま! バリバリの衣、プワっとにおぅスタミナ臭(^^ゞ アツアツのジューシな肉、付け合わせの野菜は乱切りキャベツ、ドレッシングなどといわず、マヨネーズで…。

私も大好物なので、こんな表現に接すると、今夜にもなじみの店に出掛けて、山賊焼でいっぱいやりたくなる。確かにこの山賊焼とキャベツとマヨネーズの取り合わせが旨いのである、絶妙なコンビネーションなのである。ところで、この山賊焼を一口サイズで揚げると、「鶏の竜田揚げ」に、ニンニクを入れる人も、入れない人も、片栗粉でなく小麦粉で揚げると「鶏のから揚げ」などとも載っていたが…。続いてその由来などを探ってみよう。

おなじみのネット百科事典・ウイキペディアでは、長野県中信地域の山賊焼の名前の由来として、二つの説を紹介している。山賊焼について、調査研究したり詳しく言及したりした本はどうもまだないようである。

その一つは、中信地域塩尻市の店山賊を元祖とする説。この店から山賊焼が広まったともいわれる。ウイキペディアでは、こちらの説の方が有力であるとしている。この店は今も塩尻駅前付近にあるようだ。私自身はまだ取材してないが、ネットの情報では、のれんには「食事処 元祖 山賊」とあり、山賊焼専門店とか。昔は違った場所にあったらしい、場所は変わっても店は数十年来の歴史がありそうだ。この稿を書くのに電話でいろいろ聞きたかったが、夕方からの営業らしく直接、話しが聞けなかった。

名前の由来、もう一つは、松本市浅間温泉にある河昌による、「山賊はものを取り上げることから、『鶏揚げるとの語呂を合わせたとする説。この河昌のホームページに、「山賊焼きの由来」なるものが載っている。その要旨をちょっと紹介してみよう。

店主は安曇村稲核(現・松本市安曇稲核)に生まれ育った。子供の頃、よくおばあさんがこんな話をしてくれた。「昔は『山賊』がおって、旅人のものを取り上げていったそうな」子供ながらに「山賊っておっかねえなぁ(怖いなあ)」と思って過ごしたことを覚えている。

 

ある日、店のメニューを考えていたときに、ふとそんなおばあさんの話を思い出し「『取り上げる』→『鶏揚げる』。そうだ、鶏肉を豪快に揚げた料理を『山賊焼』と銘打って、店のメニューで出そう」。「取り上げ」を「鶏揚げ」にかけて、また山賊の傍若無人なイメージを鶏肉の一枚肉を豪快に使った料理になぞらえて作ったのが始まりだった。その後、おいしい鶏肉を探し求めて県内各地を行脚、武石村の地鶏にたどり着き、秘伝のたれの味を求めて試行錯誤、ようやく今の味に。

 

そして、今でこそスーパーの惣菜コーナーでも売られている山賊焼だが、昭和28年当時は、その特異な名前から「『山賊』だってよ~」とよく中傷されたり、笑われたりしたものだったが、今でこそ懐かしい思い出だと述懐している。

昭和28年といえば、半世紀以上も前である。今となればどちらが元祖だとあまり詮索してもせんのないことかもしれない。いづれの店も山賊焼の普及の大きなファクターになったことは間違いないだろう。

image by: 信州・松本 浅間温泉 山賊焼きの河昌HP

 

『安曇野(あづみの)通信』

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発刊以来10年、みすずかる信濃はアルプスの麓、安曇野を中心に信濃の光と風、懐かしき食べものたち、 野の花、石仏、植物誌、白鳥、温泉、そしてもろもろ考現学などを、ユニークな(?)筆致でお届け!

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