「いい会社」という言葉は広く使われていますが、では「いい会社」の定義とは? 無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』の著者・伊勢雅臣さんは、「いい会社」には「いい人」と同じニュアンスが込められているとしています。「顧客第一」に考え、ひたすら利益を追求する―。そんな現代の「良い会社」とは一味違う「いい会社」は、具体的にどんな会社なのでしょうか。
日本を支える「いい会社」
「いい会社をつくりましょう」という社是を掲げている会社がある。子どもにも分かるシンプルな表現だが、この「いい会社」とは何か。こんな文章が続く。
いい会社とは、単に経営上の数字ではなく、会社を取り巻くすべての人々が「いい会社だね」と言ってくださる会社のこと。
「良い会社」というと、高い技術で高収益を誇る優等生企業を想像するが、「いい会社」には「あの人はいい人だね」と言うのと同様の共感が籠もっている。
そして、この「すべての人々」の筆頭は社員である。
社員自身が会社に所属することの幸せをかみしめられるような会社のこと。
この会社は、寒天作りで国内シェア80パーセントを持つ。48年間増収増益を続けており、売上高利益率10パーセント以上という「優等生企業」である。しかし、そんな数字よりも、この会社の会長は、48年間、リストラもせずに、社員の給料とボーナスを上げ続けてきたことを誇りとしている。
現在のような不況下では、多くの企業が派遣社員、パート、アルバイトの首を切ったり、それでも行き詰まると、正社員でも希望退職を募ったり、賃金カットをする。
そのような経営は間違っています。小社はこれまでも、またこれからも社員のリストラはやりません。なぜなら小社にとって、人件費はコストではないからです。人件費は目的である社員の幸福を実現するための生活費だからです。
(『日本でいちばん大切にしたい会社』坂本光司・著/あさ出版)
こう言うのは、長野県伊那市にある伊那食品工業の会長・塚越寛さんである。
出入り自由の「公園」工場
その本社がたたずむ3万坪の敷地内には赤松などの樹々が建ち並び、四季折々の花が咲き乱れ、公園さながらである。しかも、塀も門も守衛所もないので、どこからどこまでが敷地か分からず、まさに公園のように、誰でも自由に出入りできる。
幼稚園の先生が子どもたちを引率して、敷地内の小高い丘でお弁当を食べている。花が咲き乱れた処には、ベンチがあり、おじいさんとおばあさんが座っている。「日向ぼっこに来た」とのことで、「ここに来ると心が和む」と語る。フルートを吹いている人もいる。
会社の敷地内を通って、子どもたちが通学する。その途中に、敷地内を縦断する車道があり、最近は車の交通量が多くなって、子どもたちには少し危険となった。会社は役所に歩道橋を作ってくれるよう要望したが、なかなか実現しないので、「ぜひ歩道橋を寄付させてください」と、自社で設けた。
この広い「公園」で、朝早くから竹箒で落ち葉を集めたり、また昼休みや休日には、草花の剪定をしているひとたちがいる。会社の社員たちが自発的にやっているのである。
地域住民から見ても、「いい会社」である。
「いい会社」でありつづけるために
こうした「いい会社」であり続けるためには、企業として成長し、利益を上げなければならない。そのために、塚越会長は3つの経営方針を立てている。
第一に「無理な成長は追わない」。一時、寒天ダイエットがブームとなった。当然、トップメーカーである伊那食品工業には全国各地から注文が殺到した。しかし、会長は「すべて断ってください。これは一過性の流行です。必ず廃(すた)れ、そのあとには必ずいやなことが起きる。その時に社員を犠牲にしたくない」と明言した。ブームに乗って、急激な設備投資や人員増強をしたら、ブーム後に利益が落ち込んだり、人員削減を迫られたであろう。同社の成長とは、年輪が刻まれるようにゆっくりしたものである。
第二に「敵を作らない」。競合他社と熾烈な価格競争をしていれば、負けて、売上減、利益減に追い込まれることもある。今まで世の中になかったオンリーワン商品を創り出せば、敵はいない。同社は「かんてんぱぱ」という商品を開発している。粉末にした寒天をお湯に溶かし、冷蔵庫で冷やせばゼリーとなる。フルーツ、抹茶、ババロアなど、数百種類ある。こうした商品を一つ一つ開発して、世の中に提供しているのである。
「かんてんぱぱ」を見た大手スーパーが、「これはすごい商品なので、ぜひうちで売らせてほしい」と日参してきたことがあったが、「無理な成長を追わない」という経営方針から、これも断った。
第三に「成長の種まきを怠らない」。世の中にない新商品を生み出していくためには、研究開発を続けなければならない。新商品開発は「センミツ」と言われるように、千の種を蒔いて、三つ芽が出ればよい、という世界である。目先の利益を追わず、常に先を見て、成長の種まきを怠らないことが、オンリーワン商品を生む秘訣である。
「成長するのも利益を上げるのも、会社を継続させるためです。なぜ継続させるのかといえば、社員を幸せにするためです」と塚越会長は言う。
「せめてあの子たちに働く体験だけでもさせてくれませんか?」
約50名の従業員を抱える小企業で、知的障害者がその7割を占める会社がある。ダストレスチョーク(粉の飛ばないチョーク)で3割のシェアを持つ神奈川県川崎市の「日本理化学工業」である。
この会社が知的障害者を雇い始めたのは、すでに50年以上前の昭和34(1959)年である。近くの養護学校の先生が訪ねてきて、近く卒業予定の二人を採用して欲しい、と依頼されたのが、事の始まりだった。
専務をしていた大山泰弘さん(現社長)は悩みに悩んだ。雇うのであれば、一生幸せにしてやらねばならないが、当時十数人の会社では、まったく自信がなかった。「うちでは無理です」と断ったのだが、その先生は2度、3度とやって来て、頼み込む。3回目には、大山さんをこれ以上悩ませるのに堪えられなくなって、こんな申し出をした。
大山さん、もう採用してくれとはお願いしません。でも、就職が無理なら、せめてあの子たちに働く体験だけでもさせてくれませんか? そうでないとこの子たちは、働く喜び、働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです。
そこまで言って頭を下げる先生の姿に、大山さんは心を打たれて「一週間だけ」という約束で、二人の少女に就業体験をさせてあげることにした。
「あの子たちを正規の社員として採用してください」
就業体験の話が決まると、子どもたちだけでなく、先生方や親も大喜びした。朝は8時始まりなのに、7時には会社に来た。それもお父さん、お母さん、さらには心配のあまり先生までが付き添ってきた。夕方3時頃になると、親御さんたちが「何か迷惑をかけていないか」と、遠くから見守っていた。
約束の一週間の就業体験が終わる前日、十数人の社員全員が「お話があります」と大山さんを取り囲んだ。
あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。どうか、大山さん、来年の4月1日から、あの子たちを正規の社員として採用してください。もし、あの子たちにできないことがあるなら、私たちみんなでカバーします。どうか採用してあげてください。
これが、社員みなの総意だという。それほどに二人の少女の一生懸命の働きぶりは、みなの心を動かしたのである。簡単なラベル貼りの仕事だったが、二人は仕事に没頭して、「もう、お昼休みだよ」「もう今日は終わりだよ」と背中を叩かれるまで、気がつかないほどだった。ほんとうに幸せそうな顔をして、仕事に打ち込んでいたのである。
働くことによって得られる幸福
社員みなの気持ちに応えて、大山さんは二人の少女を正社員として採用した。それ以来、障害者を少しずつ採用していったが、大山さんには一つだけ分からないことがあった。
それは彼らがミスをした時などに、「施設に帰すよ」と言うと、泣きながらいやがる事だった。どう考えても、会社で毎日働くより、施設でのんびり暮らしていた方が幸せなのではないか。
ある時、法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんに、この点を尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。
そんなことは当たり前でしょう。幸福とは、(1)人に愛されること、(2)人に賞められること、(3)人の役に立つこと、(4)人に必要とされること、です。
そのうちの(2)人に賞められること、(3)人の役に立つこと、(4)人に必要とされること、は施設では得られないでしょう。この三つの幸福は、働くことによって得られるのです。
こう聞いて、大山さんは、目から鱗が落ちるような気がした。「人間にとって『生きる』とは、必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立することなんだ」と気づいた。
それなら、そういう場を提供することこそ、会社にできることなのではないか。企業の存在価値であり社会的使命なのではないか。
これ以来、50年間、日本理化学工業は積極的に障害者を雇用し続けてきた。
65歳のおばあさん
障害者を受け入れたものの、はじめの頃は、どうやって仕事を教えたらいいのか、苦労の連続だった。普通は設備に人間の仕事を合わせるのだが、大山さんは、障害者たちが仕事ができるように、一人ひとりの状態に合わせて機械を変え、道具を変えていった。
たとえば、数字が読めないために、量りが使えない子には、色分けした様々な重りを作って、青い容器の材料は青い重りで量って混ぜて、と教える。こういう工夫をして、一人ひとりの能力を最大限に発揮させていけば、健常者に劣らない仕事ができることが分かった。
『日本でいちばん大切にしたい会社』の著者・坂本光司氏が、この会社を訪ねた時、おばあさんがコーヒーを持ってきてくれた。「よくいらっしゃいました。どうぞコーヒーをお飲みください」と小さな声で言うと、お盆を持って帰っていった。
「彼女です。彼女がいつかお話しした最初の社員なんです」と、大山社長がぽつりと言った。15、16歳のときに採用されて、今は65歳ほどにもなって、腰が曲がり、白髪になっている。60歳で定年を迎えたが、その後も嘱託社員として雇われているのである。その50年という年月の重さを思うと、坂本氏は涙をこらえることができなかった。
その後、坂本氏が工場を視察したら、この女性は一生懸命、チョークを作っていた。
「人の役にたつ」幸福
工場では、健常者の社員たちも実に明るい顔つきをしている。なぜか、と尋ねた坂本氏に、大山社長はこう答えた。
自分も社会に貢献しているんだという、思いがあるからだと思います。一介の中小企業ではありますが、そこに勤めて、自分も弱者の役に立っている、社会の役に立っている、という自負が、社員のモチベーションを高めているのではないでしょうか。
(同上)
ある市役所の市長はじめ幹部役員が同社を視察した後、帰りのバスに乗り込んだ途端、市長がこう言った。
役所で使うチョークは全部、この会社から購入できないか。それくらいしか、私たちは、この会社に貢献することができないから。
(同上)
「人の役に立つこと」が幸福なら、この会社はこうして顧客にも幸福のお裾分けをしていることになる。
「社員第一」こそ企業の最大の使命と責任
坂本光司氏の著書『日本でいちばん大切にしたい会社』には、ほかにもこのような心を打つ「いい会社」が、いくつも登場する。それらに共通する点がいくつかある。
その一つは、これらの会社は、社員とその家族を幸せにすることを、最も大切な使命であると考えている、という事である。経営の世界では、よく「顧客第一」というが、それは間違っていると、坂本氏は主張する。
…自分が所属する会社に不平と不満・不信を抱いている社員が、どうしてお客様に身体から湧き出るような感動的な接客サービスができるでしょう? お客様が感動するような製品を創れるでしょう?
ですからいちばん大切なのは、社員の幸せなのです。社員と、それを支える家族の幸せを追求し実現することが、企業の最大の使命と責任なのです。
(同上)
社員を幸福にするためには、会社は存続し、利益を上げ続けなければならない。こう覚悟した経営者は、不景気になっても、安易に人を切ったりできないので、真剣勝負となる。社員の方も、会社の存続と発展のために、全力を尽くす。そこから、並の企業では思いつかないようなアイデアや力が出てくる。
こういう「いい会社」があちこちで、従業員とその家族、顧客や地域を幸せにして、日本を支えているのである。
文責:伊勢雅臣
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