必要最低限のものしか持たず、シンプルに暮らす「ミニマリスト」。憧れを持つ方も多いようで、メディアでもたびたび取り上げられています。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんがミニマリストになるための「考え方」を紹介した上で、「憧れるけれど誰しもがなれるわけではない」と結論付けています。
ミニマリスト
さて、本日はだんだん増えている人のお話。
最近、家事の分野でよく聞く言葉があります。ミニマリストです。正確な定義があるのか解りませんが、どうも「必要最小限のモノでシンプルに身軽に暮らす人」のことを言うようです。
まあ、汚部屋など生活メタボの対極にいるイメージなんでしょう(^0^)。そのせいか断捨離や片付けとの関連で語られることが多いですね。あ、ちなみに私はミニマリストじゃありません♪
このミニマリスト、使われ方を見ているとモノが少ないことにフォーカスされすぎじゃないかと思います。ここにフォーカスされすぎるから片付けや断捨離との関連で出て来るんでしょう。ですが、断捨離や片付けは、ミニマリストになるための方法論でしかないはずです。おそらくミニマリストの中核は、もっとずっとメンタルなものです。
なんでモノの溢れたこの時代に、本当に必要なものだけ最小限で暮らしていけるんだと思います? 断捨離したから? 片付けが上手だから? 違います、そーじゃないんですよ。ミニマリストは、人生で何が大切かを明確に理解しているので、それ以外を捨ているんです。だと思います。
何かを捨てるということは、何かを選びとるということと完全に同義です。もっとキツく言えば「何かを選ぶ以上、それ以外の無数の選択肢を捨てている」ということです。実は選ぶとは、それほどの覚悟が必要なんですよ。
なので、
- これさえあれば自分は幸せ
- 自分の人生には、これが絶対に必要
- だから、これはなくてもいい
ということが解っていないとならないんです。自分の人生に対するシビアで誠実な判定眼を感じませんか? こういう姿勢こそがミニマリストを生み出しているんです。
で! それじゃあ一般人はどうするのか?
ミニマリストさんたちは、自分の人生に必要なものがよく解っているんです。だから、それ以外のものを容赦なく排除できるんですよ。逆に言えば、もしあなたが断捨離で何かを捨てられないというのは「選び切れていない」ということでもあるんです。
ミニマリストたちには、こういう曖昧な選び切れなさが無い(●_●)んですよ。痛いほどのクリアさで、自分の人生に必要なことがなにかを理解しているんです。それを大切だと思えば思うほど、「他のモノなんてどーでもいい」ってことになるんです。だから捨てられるんですよ。
こうしたクリアさが生活を取り巻くすべてのモノに対して向けられたときミニマリストになれるのです。繰り返しますが、問い直されるべきは断捨離や片付けのスキルではなく、自分の価値観をハッキリさせることです。溢れかえるモノと情報の中で、自分自身の幸せを見つめる必要があるんです。
と、ここまで書いて別のお話をしましょう。あなたはミニマリストに憧れるでしょうか。自分の価値観を知り尽くし、最小限のモノでシンプルに暮らし、片付けや掃除もラクラク。うん、ステキですよね。
ただ、私としては、オススメしません(^^)d
だって、厳しすぎるんだもん。自分とモノに対して。もう少しテキトーでもいいじゃん。ムダで使えなくって眺めているだけのモノがちょっとくらい部屋にあったっていいじゃん。…って感じちゃうからですよ。
おそらくですが、ミニマリストになれるにはある程度の才能というか資質が要るんじゃないかと思います。それは真逆のパターンを見れば分かります。片付けが下手だという人は多いものですが、だからといって大半の方は汚部屋までは行きつきません。モノに振り回されてモノに埋まるほどになるには、なにかが過度になることが必要なんです(必要って、ここでは変な言葉だけど)。
その意味で、汚部屋と真逆のミニマリストにも、ある種の潔癖さ徹底さが必要で一般の人間は、憧れちゃうけど誰でもがなれるもんじゃないんだと思います。
物欲と生活を制する存在、ミニマリスト。フツーの人は、テキトーに憧れてテキトーにミニマリましょう。
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