「できれば恥など掻きたくない」。多くの方がそう思っているのではないでしょうか。しかし、「むしろ恥は掻くべき」とするのは無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者・佐藤しょ〜おんさん。佐藤さんはその理由と、「恥を掻いたときの注意点」を記してくださっています。
もっともっと恥を掻いても良いんじゃないの
人間としてのスケールを拡大させるのにもっとも効果的な方法って、恥を掻くことじゃないかと思っています。逆に、こぢんまりまとまって穏当に波風立てず、でも大きな成果も得られない、所謂無難な人生を送りたければ、出来るだけ恥を掻かないように注意をした方が良いと思います。
恥を掻くという行為のウラ側には、他人の目など気にしないぞという意志と、これが上手く行けば恥でも何でもなくて逆にヒーローになれるぞという狙いがあるわけです。
後者がたまたま上手く行かなかった結果、「恥を掻く」という憂き目に遭っているだけで、これが万一上手く行っていたのなら大喝采を浴びていたかも知れないんです。
でも恥を掻くことを忌避する人にそういう機会が訪れることはありません。
かく言う私も25歳くらいまでの人生は大恥を掻くことの連続でして、しかも始末の悪いことに当人は全く恥を掻きたいと思ってやっていないという、まさに痛い状態でした。それでも、その当時掻いた恥の重さが私という人間を形作ったという側面は厳然としてあるわけで、その観点からも恥って人生を変えるんだなぁと感じています。
しかし、ここで注意が必要なのは、「恥は掻いても良いけど、恥を感じなくなってはいけない」というところ。恥を掻くということは恥ずかしいという感情を立ち上げるということで、その感情を捨てちゃダメなんです。恥を掻け、というのは恥ずかしいことをしても恥ずかしいと思うな、というのとは違うんです。毎回恥ずかしいことをするたびに、「ウワァ~、恥ずかしい。穴があったら入りたい」って思うし、反省もするし、しばらく知り合いに会いたくないし、という感情を持たなきゃダメですよ。これが無ければタダの厚顔無恥ヤロウの嫌われ者になっちゃいますから。
ここが難しいんです。恥を掻くことで、恥ずかしい思いをするということが分かっているのに、その可能性が多分に存在するのにも拘わらず、「それでもここはやらずにはおけんじゃろう(←微妙に岡山弁)」と勇を鼓して立ち上がる、というところに価値があるのです。
だからこそ、そこから学びを受け取ったり、反省したり出来るんです。恥ずかしい思いをすればするほど、「次こそは上手くやりきってみせるぞ」と思える人が将来大成するんです。
とはいえ、我々ごときが掻く恥なんてたかが知れていますから。ひと月も笑われ続けたらお終いで、1年も経ったらほとんどの人は覚えていない、ってくらいのものですよ。むしろ、3年経ってもみんなが覚えていて話題になるような大きな恥を掻くのって難しいですから。
日経新聞の「私の履歴書」という読み物に出て来るような人って、若い頃に強烈な恥を掻いているものです。今それを読んでも、「なんじゃこの人は! あり得んじゃろ!」って叫びたくなるエピソードがあって(例えばニトリの社長の時には毎朝そう感じていました)、やっぱりそれくらいやっているんですよね。しかもこれ、今は大人(たいじん)になって、有名になっているから笑ってお終いになりますけど、当時無名の20代、30代の人がこれをやったら、周りの人はさぞかし眉をひそめたから、呆れかえったかしたと思うんですよね。
スケールの大きな人間って端的に言えばそれに怯まない人なんだろうと思うわけです。
そう考えれば、あなたが社内で掻く恥なんてまだまだ次元が低いんですから、そんなものに怯んだり、ビビったりしてちゃダメだと思うんですよね。
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