国際社会の緊張が高まる中にあって、政府高官が口にした我が国の「核武装」をめぐる発言。中国や北朝鮮が激しい反発姿勢を示していますが、識者はこの「騒動」をどう見ているのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、2006年に問題視された「核保有議論」と今般の高官発言の背景を比較しつつ、他国の反応が19年前と大きく変化した根本原因を解説。さらに今後の日本外交が直面する現実について、多角的に考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:日本における「核武装論」を考える
19年前とは大きく異なる国際情勢。日本における「核武装論」を考える
日本の政府高官が核武装について言及したことが、オフレコ扱いを破る形で報じられ、大規模な騒動になっています。この事件ですが、何よりも2006年に起きた中川昭一氏が核武装について「論議を尽くすべきだ」とTV番組で述べた際の騒動と比較できるものだと思います。
それにしても中川発言から19年という年月が流れたことには、感慨を覚えますが、それ以上に発言に対する各所の反応が異なってきたことも感じます。今回は、2006年の状況と、2025年12月の状況を比較することで、浮かび上がるものを確認してみたいと思います。
2006年の状況ですが、背景にあったのは北朝鮮のミサイル実験や核実験という問題でした。北朝鮮が核武装をするのは時間の問題だという理解があり、そうした社会のムードを受けて、中川は一種の「アドバルーン」として一連の発言を行ったようです。
ちなみに、この2006年の時点では、核論議については発言は、中川だけでなく、当時は外務大臣であった麻生太郎も同様の発言をしていました。政権としては第一次安倍政権の時代でした。
このときのアメリカのリアクションは非常に大きいものがありました。例えば、ちょうど、コンデリーサ・ライス国務長官が北朝鮮情勢などの協議のために、訪日したのですが、アメリカのメディアの関心は、北朝鮮より日本に向かっていました。「ライス長官、日本に核武装の意志がないとの確証を得る」(NYタイムスの10月19日の記事)などという「日本の核武装」という観点からの報道が目立っていたのです。
これには中川+麻生発言が、アメリカのメディアで大きく取り上げられたという問題があります。東アジアの複雑な歴史や、戦後の日米関係のニュアンスなどを何も知らずにこうしたニュースに接した政治評論家や議員たちは、「技術大国の核武装は危険」であるとか「いやアメリカは理解を示すべきだ」などと発言していました。時代はイラク戦争が泥沼化したブッシュ二期目でしたし、日本は小泉政権以来ブッシュの「反テロ戦争」への協力をしていたので、非難される理由は少なかったのです。
ですが、中川+麻生発言については、日本で知られている以上にアメリカでは騒動になっていたのでした。実際に多くの政治家が勝手なことを言い出していました。例えば大物の中では共和党のニュート・ギングリッチ元下院議長なども、18日にFOXニュースで「日本は核武装の瀬戸際まで行っている」と発言しています。そんな中で、日本としては「火消し」が必要となり、直後にライスが来日して北朝鮮問題における日米の協調が強く確認されることで、「日本の核武装への懸念」は消えていくことになりました。
また、中川氏自身がこの後、アメリカに出張して政府や議会の要人と会談しています。その際にはNPT(核不拡散条約)への尊重などを説明しつつ、「核に関する議論は必要」ということは言っています。ただ、アメリカ側も、「議論」を禁止するという発想はないので、中川の態度が物議を醸したわけでなく、日米関係への影響はありませんでした。
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中韓ロや北朝鮮からも大きな反発を受けなかった中川発言
この中川(+麻生)発言ですが、当時の政治的環境の中には、若い世代を含めた広範な右派ポピュリズムというのは顕著ではありませんでした。右派的なイデオロギーはむしろ戦前世代や、保守化しつつあった団塊など「上の世代」に偏在していたのです。中川発言は、そうした国内の右派世論の反応をチェックするという意味合いもあったし、そこに自分の存在感をアピールする目的もあったのでしょう。
一方で、対外的には、結果的に、技術+経済大国の日本が核武装することへの「懸念」という形でアメリカのリアクションを呼んでしまったわけです。ですが、これはライス訪日、中川訪米というプロセスを経て沈静化しました。結果的に、中川発言の効果としてはアメリカとして、「北朝鮮の核武装」への懸念を強めることとなった、そのような評価が可能です。
そんな中、この時期の外交はどういうわけかスピード感があり、10月20日には北朝鮮を訪問してきた唐家璇国務委員とライス長官の会談があり、その中で「核実験について金正日が謝罪」したという話になって行きます。ちなみに、この時期は「北朝鮮の核問題に対応する六者会合」が機能している時代であり、北朝鮮が核実験をしたとされる10月9日からの2週間に事態が急速に進展したのでした。
最後はライス国務長官は、中国へ行って胡錦濤+温家宝と会談、更にはロシアでプーチンとも会談するという具合に精力的に動き、12月には北京で実際の六者会合が行われるところまで持って行ったのでした。改めて、日本における核武装論議という文脈から、この2006年の状況を考えると次のような指摘が可能です。
「アメリカのリアクションは大きく、結果的に核武装に関する論議の封印解除は不適切ということに事実上はなった」
「中川(+麻生)発言に反応したのは、アメリカが主であり、中国、韓国、ロシアはもとより北朝鮮からも大きな反発はなかった」
この2点です。特に後者が大事であって、これは日本の非核三原則や専守防衛が信じられていたというよりも、日米安保の問題だと思います。日米安保という「瓶の蓋」が強く絞められているということに、中国、韓国、ロシア、北朝鮮の各国からみて、何の疑いもない時代であったということです。
その一方で、どうして核武装はもとより、核武装論議もダメなのかという点については、この2006年の時点では本質的な議論には進んでいません。そうではあるのですが、結果的に、核武装論議のタブー感は強まる一方で、中川氏、麻生氏の両名は「保守派」とみなされて、その方面からの支持を固めることにはなりました。また、中川氏ばかりがターゲットになる傾向もあり、麻生氏のダメージは最低限にとどまったという指摘もできます。
これに対して、今回の2025年12月の状況については、かなり様子が違うのを感じます。まず、巷間噂されているように発言の主が長島昭久氏だというのが本当だとすると、民主党系から希望の党経由で自民に移ってきた中で、現在は東京多摩地区で立憲と激しく争う選挙を重ねている人です。ですから、表面的には保守票を固めたいという動機が見えます。
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「日米安保」という瓶の蓋が信認を失いつつある現実
では発言の内容についてはどうかというと、19年前の中川氏とはレベル的には似たようなものです。
- 中川氏(2006):非核三原則は尊重するが、核武装の論議はすべき
- 長島(?)氏(2025):NPTなどの問題はあり、非核三原則の変更は政治的に難しいので核武装は無理だが、個人的には賛成
内容こそ違いますが、100%核武装を推進しようというのではなく、オブラートに包んでおり、結論も引っ込めています。その引っ込め方の姿勢に、両者似通ったところを感じます。もっとも、今回の場合はオフレコ発言が一斉に出てしまったという違いがあり、100%確信犯とは言えないのですが、結果的に出てしまった言葉を消すことはできない中で、かなり類似の事象と言えます。
そうなのですが、北朝鮮の核問題が背景にあった2006年と比較すると、まず今回は高市氏の「存立に関わる」という発言に対して中国が反発を続けている中でのアドバルーンという違いがあります。その違いは、危機の方面が地理的に違うということもありますが、結果的に各国のリアクションがかなり異なった形になりました。
まずアメリカは、これは予想通り「しっかり」リアクションをしています。その内容は「日本は核不拡散のリーダーであれ」という実に優等生的なものでした。これは核拡散防止条約(NPT)の推進を行った佐藤栄作へのリスペクト、そして過去50年間の日本のNPTや国際原子力機関(IATA)への貢献へのリスペクトが感じられつつ、日本の核武装論を牽制する内容です。
これは、「駐留米軍の費用を出さないなら日韓から兵力を撤退するが、その代わりに日韓ともに核武装を許す」などというトランプ御大の「激しい発言」などは、まるでなかったかのような、懐かしい世界です。いゆわる「知日派」の国務省官僚が今でも生き延びていて、その仕事にルビオ長官がスッと承認サインを出したということなのだと考えられます。
一方で、驚いたのは、中国と北朝鮮が強く反発したことです。この中で、中国の反発は、高市総理の発言を軍国主義の復活だと勝手に警戒している延長にも見えますが、何よりも2006年の状況と比較すると、
「日米安保条約という瓶の蓋への信認が薄れた」
ということが言えると思います。これは、かなり深刻な問題です。核武装論議については、とりあえずは沈静化するとは思いますが、中国が「瓶の蓋」を信用しなくなったのであれば、これは大変です。もはや日本国内の「右派的発言」というのは、「瓶の中の、つまり国内向けの人畜無害な発言」という甘えが許されないということになるからです。
一方で、2006年の一連の騒動の結果が「六者会合の再開」になったことを考えると、今回の発言の結果の落とし所はどうかというと、恐らくは、
「高市総理は、これ以降の政権運営に当たって、核武装に肯定的な発言を行って右派世論に媚びることはできなくなった」
ということだと思います。国内的には保守的言動を継続的に行うことへの期待感があるにしても、とにかく「瓶の蓋」のない時代なのです。今回の騒動でそのことは痛いほど確認ができています。また、米国務省のスタンスは伝統的なものから変わっていないことも分かりました。ですから、以降は総理自身が危ない発言をすることはないし、世論もさすがにそれを期待はしないでほしい、ということになるのではと思われます。
全くの推測ですが、仮に発言を行ったのが長島氏だとすると、そこがアドバルーン(観測気球)のメインだと思います。後は、選挙区の保守票に媚びよう、小選挙区で何とか勝っていこうという計算もあったのでしょう。
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「日本も核武装すべき」という国内世論の明らかな拡大
ただ、大きな懸念材料もあります。それは、日本の世論です。2006年の際には、発言の当事者である中川昭一氏自身が、「非核三原則は日本の世論との重たい約束」としていました。また、核武装の議論解禁という話題そのものに対しても、真ん中から左を中心に過半数の世論は反対していました。
ですが、現在はそうではありません。今回の発言と各国のリアクションに対しては、明らかに「日本も核武装すべき」という国内世論が拡大しているのを感じます。
こうなると、一番左には核禁条約批准派があり、真ん中にはNPT(核拡散防止条約)重視派(筆者など)があり、一番右には自主核武装論があるという格好で、日本の世論は見事に3つに分裂した格好になってしまいます。この問題に対抗するには、何よりも核禁条約とNPTが何らかの形で両立するという体制づくりが必要です。
勿論、この2つは全く違います。核禁条約は全ての核兵器の保有と使用を禁止しています。一方で、NPTは5カ国(国連の安保理理事国と一致します)の保有を認め、それ以外への拡散を禁止するものです。2つの条約は歴史的経緯も異なり、内容も異なります。ですが、核戦争を防止するという目的は共通のはずです。
そうなのですが、核禁条約推進派の側では、即時核廃絶を求める中で保有5カ国に対する批判を継続しています。主張は正当だと思います。ですが、政治的には「5カ国に廃絶を求める」ということを強調するあまりに、例えばイスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮、イランといったNPTに背を向けたグループへの批判や廃絶要求が二の次になってしまいます。
その一方で、他でもない5カ国の一角であるロシアが、戦後初の具体的な核威嚇を行ったことで、NPTの権威が揺らいでいるという問題もあります。更に個別の問題としては、将来の全面核廃絶を遠望したことで、バラク・オバマ氏がノーベル平和賞を受賞したことへは、アメリカ国内での反発が明確になってもいます。
つまり、NPTにも核禁条約にも、一種の「冬の時代」となっているのは事実だと思います。また、日本国内に自主核武装論が拡大しているのも、そのような時代の危機感の反映という見方もできます。
ここからは、個人的な主張になりますが、だからこそ、NPTと核禁条約の連携ということが、今ほど大切な時代はないのではないかと思うのです。そう考えると、現在、この両者は水と油の関係です。核禁条約推進派は、とにかく合法保有の5カ国への批判をどうしても先行させがちです。気持ちは分かるのですが、5カ国の合法保有を批判するという態度は、5カ国がズルいので「自分たちも核武装したい」という主張に結果的に重なってしまう危険があります。
具体的に言えば、核禁条約派はアメリカへの批判が先行しがちです。その中で、NPT陣営が何とか食い止めようとした北朝鮮やイランへの拡散防止の努力はあまり見えません。そして、NPT陣営の日本政府は、「核兵器を非合法化すると、核の傘も非合法になり守ってくれているアメリカに失礼」というロジックで、核禁条約には距離を置いています。
この問題を何とか超えること、例えば日本政府の立場として、現在はNPT体制の側だが、将来的には、つまりプラハ宣言でオバマ氏が主張したように未来の核廃絶を遠望しつつ、核禁条約にはオブザーバー参加をするという可能性はあるのだと思います。アメリカの核の傘を重視する人は反対するかもしれませんし、核禁条約派は、核の傘を認めながらではオブザーバーとしても入れたくない、という話になるでしょう。
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「一定程度の評価が可能」とも言える今回の高官発言騒動
ですが、そんな格好で双方が原理主義的にお互いを非難していては、核戦争の危険を引き寄せるだけです。何とか、両者が提携してこれ以上の核拡散を防止しつつ、未来の核廃絶、つまり生物化学兵器禁止条約のように核禁条約が国際法の一角を担うよう、一歩一歩進むしかないのだと思います。
その意味で、やや楽観論に過ぎるかもしれませんが、今回の騒動を通じてアメリカ国務省から「日本は不拡散のリーダーであれ」という「ド正論」が飛び出したことは良かったと思います。また、騒動のインパクトとして、恐らくは高市政権の続く限りは総理の口から「核武装の議論」は封印となるのであれば、これも一定程度の評価が可能かと思われます。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2025年12月23日号の抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。今週の論点「国連の敵国条項問題、反論の方向性を疑う」「何のために外免切替を厳格化したのか?」、人気連載「フラッシュバック80」もすぐに読めます。
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- 【Vol.618】冷泉彰彦のプリンストン通信 『日本の「核武装論」を考える』(12/23)
- 【Vol.617】冷泉彰彦のプリンストン通信 『日中関係における「歴史認識」』(12/16)
- 【Vol.616】冷泉彰彦のプリンストン通信 『外国人問題とは何かを考える』(12/9)
- 【Vol.615】冷泉彰彦のプリンストン通信 『高市政権の立ち上がりへの評価』(12/2)
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