衆院選を前に、減税公約の競争が過熱しています。極右政党は消費減税とともに「移民の制限」を打ち出していますが、果たしてそれで日本の経済は成り立つのでしょうか。人口減少が確定している日本で、移民なしに経済成長する方法などもはや存在しません。今回のメルマガ『小林よしのりライジング』では、著者で漫画家の小林よしのりさんが、「日本人単一民族論」の虚構を暴きながら、日本こそが移民を受け入れても揺るがない強固な公共性を持つ国であると論じ、移民反対を唱える自称保守こそが「自虐史観」に陥っていると喝破します。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです
人口減少で経済成長はありえない
選挙の結果はまだ出ていないが、結局は有権者の目先の損得ばかりが争点になっていて、選挙戦は消費税率などをめぐる減税公約の競争と化している。
もともと消費減税に消極的だったはずの自民党や、参政党も減税を主張しているが、これら極右政党は同時に移民の制限も打ち出している。
しかし、これほど無責任な話はない。もはや移民を入れずに経済成長する方法などないからだ。
今後の日本は人口が減少し続けることがもう決定済みであり、人口が減少すれば、経済成長もありえない。
人口増加と経済発展には、一定の相関関係がある。日本の高度経済成長期をはじめ、中国の改革開放以降や東南アジア諸国など、多くの国で人口増加と経済成長が同時に起きてきた。近年のインドも然りである。
人口が増えると労働力が増え、消費市場が拡大する。企業はモノやサービスを大量に売ることができ、投資が活発化する。こうして経済全体が拡大していくのだ。
しかし、これはいずれ頭打ちになる。それは近代化の帰結である。近代化すれば個人の自由や権利が尊重される価値観にシフトしていき、出産・育児を避けたがる風潮が広がって、少子化していく。これはどの国でも同じであり、既にインドでもこの局面に入ってきている。
いくら少子化対策として補助金を出すとか言っても、お金がもらえるなら子供を産もうなんて発想には誰もならないのである。
経済成長しなければ、一定のパイを奪い合う以外にない。消費税を廃止したり、社会保障を充実したりするならば、代わりにどこかを削るしかない。いくらでも国債を発行しまくればいいなんて理論はインチキだ。打ち出の小槌は存在しないのだ。
そうなると経済成長を目指すしかなく、経済成長を目指すなら人口を増やすしかなく、人口を増やすなら移民を入れるしかない。論理的帰結として、もはや結論はそれしかないのである。
移民に反対しながら経済成長を唱えるなんて単なる駄々っ子であり、そんな者たちが国政政党を名乗る資格などない。
日本では実際問題として、今や外国人労働者がいなければ、経済成長どころか現状維持すら難しい。介護でも、建築でも、コンビニでも、どこでも外国人がいなければ現場が回らないほど人手不足が深刻になっている。それでもニートをやってる者がいるほど日本人が働かないのであれば、もう外国人を入れる以外にないではないか。
戦後の高度経済成長は、やはり人口ボーナスがあったからであり、人口減少・少子高齢化・人手不足の日本で移民禁止を続けていては、経済が行き詰まるのは当たり前である。
時代によって考え方を変えなければならないのは当然のことで、この時代に外国人排斥、移民反対なんて唱えるのは亡国の主張以外の何物でもない。自称保守は一体、何が保守だと思っているのか? 何を保守したいのか!?
日本の「公共性」は揺るがない
自称保守の連中は、移民を入れてしまったらアメリカやヨーロッパのような大混乱が起きるものと無条件に思い込んでいる。
しかし、日本は欧米とは全く違う。わしは、日本では移民を入れても全く大丈夫だと思っている。どこの国から来ても、日本で生活し続ける者は日本に染まる。国籍は関係なく、日本人になるのだ。
それほどまでに、わしは日本の「公共性」の強固さに自信を持っている。
そもそも自称保守の連中は、「日本人とは何か」ということを全く理解していない。
日本人かどうかというのは、肌の色などの人種的特徴とは全く関係がない。では何が日本人かというと、日本の「公共性」を身につけているのが日本人なのだ。そしてその公共性は、欧米には全く存在しないものなのである。
最近では、外見的には完全に黒人とかアラブ人の容貌をしているけれども、日本生まれ日本育ちで、日本語しか話せないというタレントもいるが、そのふるまいを見ると、もう日本人としか思えない。
同じように、生まれ育ちが別の国でも日本に入って長く暮らしていれば、日本の公共性や秩序感覚、文化に染まっていくものなのだ。
近年ではアニメやゲーム、漫画などの文化にあこがれて日本に定住する外国人も数多い。先日テレビで見たが、盆栽も今では海外で大人気で、有名な盆栽職人の名人の弟子は半数以上が外国人で、中にはいくつも会社を起業して成功を収めていたのに、盆栽に魅了されて会社を全部売却して来日し、弟子入りした人までいるらしい。そういう人は、そこらの日本人より日本のことをよく知っていて、日本を愛している。
そんな人たちが日本に帰化しやすくなるように制度を見直すことこそが、政府が今すぐ取り組まなければならないことなのに、それに逆行することをやってどうしようというのか?
「日本人単一民族論」という幻想
ネトウヨ・自称保守が外国人排斥・移民反対を訴える感情の根本に、「日本人単一民族論」があるのは間違いない。
だが、日本人が「単一民族」だなんて説は、学術的にはとっくに否定されている。
日本列島には1万数千年前から定住していた「縄文人」がいて、紀元前後に大陸から渡来した「弥生人」と混血して、現代日本人の基層が形成されたと考えられている。
わしがいまライフワークとして取り組んでいる「神功皇后」だって、母方の祖先には朝鮮から渡来した王子がいる。
そして近年のDNA研究では、これにさらに3~6世紀の古墳時代、大陸からの新たな移住者が加わり、遺伝的にも現代日本人に影響していることがわかっている。
つまり、日本は太古の昔から「移民の島」であり、在来の民と移民が融合を繰り返して今に至っているのである。
日本に一神教がないのもその影響だろうし、日本はそうして外来者がいくら入っても揺るがない、強固な基盤を先史時代から形成していた。
しかも日本ではその後も、大陸国家のように無理やり引いた国境線の取り合いをして、周辺の国や民族と常に緊張関係にあるというような歴史を歩むこともなく、この島国の中だけで何となくの一体感を形成してきたのだ。これからどこから移民が入ってこようと、全て融合してしまえるし、そうしてさらに新たな日本文化を生み出して行けるとわしは確信している。
それは、たかだか250年の歴史しかない移民国家のアメリカや、他民族との融合を拒絶して侵略と虐殺の歴史を繰り返してきた西欧とは、根本的に違うのである。
明治に作られた「ウソ」の正体
それにしても、なぜ学術的に否定されている「日本人単一民族論」が長く残ってきたのだろうか?
それは、端的に言ってしまえば「学術的に正しいから」ではなく、「社会運営にとって都合がよかったから」だ。
明治以降、日本は短期間で中央集権国家・徴兵制・義務教育・国民国家意識を作る必要があった。そしてそのためには、「我々は同じ祖先を持つ単一の民族だ」という物語は、国民統合のために最も都合が良かったのである。
そして敗戦後も、単一民族論は戦後憲法の平等原則とも整合的であり、高度経済成長期の「一億総中流」意識とも親和的だったために、そのまま温存されてしまった。
何のことはない。これまた明治の産物に過ぎなかったのだ。
そしてその際、「同じ祖先を持つ単一民族」という幻想を支えるために、「同じ祖先」として神武天皇が利用され、その血統がとてつもなく強固に現在まで続いているということにするために、「万世一系」「一貫して男系男子」というさらなる幻想が使われたというわけである。
つまり「日本人単一民族論」と「天皇万世一系論」は明治期にセットで作られた幻想(というか、ウソ)であり、自称保守・ネトウヨはそれを今なお信じ込んでいるのである。
これらはいずれも学術的に完全に否定されているのみならず、「天皇万世一系論」に基いて男系男子に固執すれば、確実に将来的に天皇制は滅ぶし、「日本人単一民族論」に基づいて移民反対に固執すれば、確実に将来的に日本社会は行き詰るという、有害無益なものにまでなっている。
自称保守・ネトウヨは明治期に作られたウソを「伝統」だと信じ、愛国心を持って伝統を守っているつもりで、日本を亡国へと導く主張ばかりをしているのである。
日本人が見失ったもの
幕末にペリーがやって来なければ、日本人は近代化の必要も感じず、日本国の島々の中だけで充足して暮らしていけたはずだった。
ところが欧米列強の手によって、日本は弱肉強食の帝国主義の世界の中に否応なく放り込まれてしまった。そうなると食うか食われるかの二者択一。
生き残るためには「食う」側に回るしかない。それで明治以降、日本は無理やりにでも西洋文明を取り入れて国を近代化させてきた。
その時代にはそうするしかなかったという事情は十分理解するが、しかしその無理やりの西洋化・近代化のために、日本人が本来の日本を見失ったり、自ら捨て去ったりしてきた例は、数限りなくある。
日本人は今からでも、その失ったものを見直し、取り戻す努力をすべきなのである。
ましてや明治に作られた、本当は日本的ではない観念や制度を「伝統」だと思い込んで固守するような愚行など、絶対にやってはいけないことなのだ。
日本は必死に帝国主義の世界に順応し、不平等条約を解消し、さらには海外に勢力を伸ばしていった。
ところが日本人が海外で行った植民地政策は、欧米列強がやったそれとは全く違った。
欧米人は、現地の住民を「異質」な存在としか認識しない。自分たちとは根本的に違う生物として線を引き、支配し、搾取し、そのことに何の疑問も罪悪感も持たなかった。
しかし日本人は、そういうことができない。ほとんど無意識のうちに、現地の住民も自分たちとひとつながりの存在だと思ってしまう。
だからこそ日本人は、台湾でも、朝鮮でも、大東亜戦争中のアジアや南洋諸島でも、ここを自分たちが支配するとなったら、インフラを整え教育を普及させ、現地の人々を自分たち日本人と同じようにしようとしたのだ。
それは戦略的に考えたわけでも、意図的・計画的にやったわけでもないだろう。日本人は思わず知らず、そういうことをやってしまうのである。
もちろん、朝鮮人のように民族アイデンティティーが強烈な人々にとっては、そんな日本人のやることは「ありがた迷惑」であり、民族の誇りを傷つける行為と感じた者もいただろう。
だが、植民地から一方的に収奪するのではなく、現地へのインフラ投資などを積極的に行い、結果的に「持ち出し」の方が多くなっていたなどという植民地経営は、欧米列強は絶対にやらなかったことであり、それを「植民地」と呼んでいいのかと疑問を抱いてしまうほどである。
また、今では抹殺された歴史になってしまっているが、当時の朝鮮人にも進んで日本人化を受け入れた人たちが多くいたというのも事実なのである。
日本は満州経営の際にも「五族協和」を掲げていた。「和・朝・満・蒙・漢」の五民族が協調して暮らせる国を目指すという意味である。
これで、もし日本が戦争に敗れずに満州国が発展し、さらに「大東亜共栄圏」までが達成されていたら、そこは西洋文明圏とは全く異なる、多民族がゆるやかにつながる、寛容な一大文化圏となっていたかもしれない。もはや夢想にしかならないが、日本人はそんな世界を作り得る可能性を秘めていたのだ。
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自称保守こそ「自虐史観」だ
ところが戦後日本のサヨクは、そのような日本人の特徴を一切理解していなかった。日本人も欧米人も全く同じと思い込み、欧米がアジアの植民地で非道な行為をしていたのであれば、日本もアジアの植民地で全く同じ、またはそれ以上の極悪非道なことしかしなかったに違いないと決めつけ、日本人はアジアに悪いことをした、反省しなければならない、謝罪しなければならないと叫び続けた。これを「自虐史観」という。
わしは『戦争論』を描き、歴史教科書運動に参加し、自虐史観と戦ってきた。そして「保守」を自称する者たちも自虐史観が大嫌いだったはずだ。
ところがわしには、いま移民反対を唱えている自称保守こそが「自虐史観」に嵌っているようにしか見えない。
なぜなら、連中は日本人の特徴を一切理解せず、日本人も欧米人も全く同じと思い込み、欧米が移民を入れたために混乱をきたしているのなら、日本が移民を入れればそれと全く同じ、あるいはそれ以上の混乱を生じ、国の財産も全てぶんどられ、日本が日本ではなくなってしまうと恐れおののいているのだ。日本人はそれほどまでにダメなものだと信じているのだ。
これはサヨクの自虐史観と全く同じ構図である。日本はサヨクもウヨクも自虐史観だったのだ。
わしも以前は移民受け入れについては慎重な姿勢だった。以前は移民推進の主張といえば、グローバリズムで人の行き来を活発にして、世界中を均一にしてしまえばいいという竹中平蔵のような意見しかなかったからだ。
だが、もう時代が全く変わった。今は、日本を守り発展させていくために移民を受け入れる必要があり、それは日本でこそ可能であると考えなければならない。
保守は原理主義ではなく、時代に応じて変化していかなければならない。
そこで最も重要なのは、日本人とは何かというアイデンティティの問題から出発して考えることであるーーー(メルマガ『小林よしのりライジング』2026年2月3日号より一部抜粋・敬称略。続きはメルマガ登録の上お楽しみください)
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