東京・代々木で毎年開催されている「気仙沼線写真展」は、震災によって失われた鉄路と、その周辺にあった日常を写した写真は、過去の記録であると同時に、今を生きる人々に問いを投げかける装置でもあります。メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんが話すのは、今年の展示がテーマである「おと」について。音のない写真を通して、かつてそこに確かに存在していた生活の気配や人の営みを、来場者一人ひとりの想像力によって立ち上げてほしいと語っています。
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「おと」を感じて過去と未来につながってみる
毎年、3月11日の東日本大震災に合わせて東京・代々木のカフェ・ヌックで開催している「気仙沼線写真展」は、今回「おと」をテーマに写真の展示を行う。
震災の津波により破壊され鉄路としては甦ることのない気仙沼線のかつての姿を周辺の景色とともに写真に収めていたアマチュア写真家、工藤久雄さんの作品は、震災前の生き生きとした景色を鉄道とともによみがえらせてくれる。
震災から月日が経過し、震災の記憶も風化する中、気仙沼線写真展のテーマは一昨年、能登半島地震とのつながりを意識し「港」とし、昨年は「車両」に焦点を当て、鉄路では復活しないという現実を受け止めながら、車両から想起されるイメージを共有した。
そして、今年は「おと」である。
音のない写真が示す情景からそこにあっただろう音を連想させる絵を選定し、見る人と見えない音でつながろうとの趣旨である。
気仙沼線は、宮城県石巻市の前谷地駅と気仙沼市の気仙沼駅を結んでいたJR東日本の路線で、東日本大震災の被害により、沿岸部を走る柳津駅と気仙沼駅間が破壊され、震災の翌年からBRTの運行となり、現在は赤いバスが沿岸の生活の足となっている。
今、聞こえるのは静かになったバスのエンジン音、そして海辺の風と波の音、時にはカモメの鳴き声があるものの、沿岸部には生活集落はなくなっているから、人の声は少ない。
写真の中には、そこに家々があったこと、海水浴場の目の前に駅があり、そして駅のホームには発車のベルだろうか、発車アナウンスだろうか、出発や到着を伝える音があったことを想像させる。
震災前にそこにあった音は、間違いなく私たちが生活して、行き来していたことを証明するものだったのだろう。
駅舎には誰かかが迎えにきて、「おかえり」と言ったかもしれないし、誰かが旅立つ時、「いってらっしゃい」「いってきます」の声が交わされたかもしれない。
きっとそこには音があった、と思わせてくれる。
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展示に関する考え方で最近、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館のピョトル・ツィビンスキ館長は朝日新聞の取材にこう語っている。
「(虐殺などの)悲劇の根源には、ポピュリズムが関わっています。これ以上、無関心にならないことです」と話し、「政治家からポピュリスト的な発言が一つ出ると、他の政治家たちはより過激なポピュリズムに走らざるを得なくなる。その結果として、言葉の上で『非人間化』が急速に進みます」。
この状況から展示では、新たなに馬に対して使っていたものが、収容所で人間にも使うことになった「むち」を展示し、「人間を動物のように扱う非人間化」を示すものとして位置付けているという。
ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)が行われる前段階には「非人間化の段階があり、その後に殺害を求める」と指摘する。
人への想像力の欠如が、対象をモノ化し悲劇がもたらせるという教訓だが、それは世界の喫緊の課題でもある。
あまりにも重い悲劇を伝える展示でも、風化は課題のようだ。
現在の世界政治の状況からも危機感もあるかもしれない。
いずれにしても展示でイメージを提示するのは重要だ。
気仙沼線の展示は、多くの方が犠牲となった東日本大震災を教訓とし続けることの維持も目的であり、風化させない、ということはつまり、忘れないこと、実感として震災の恐ろしさを胸に刻み、震災への備えを怠らない行動につなげることである。
だから、「おと」で震災前の情景を想像しながら、鉄路や町が破壊された事実を再度胸に刻む時間になってほしいと思う。
世界で戦争が顕在化する中で、すでに世の中は、第二次世界大戦の戦後ではなく、次に始まる戦争に向けての戦前である、との声も聞かれる。
東日本大震災も15年が経過すれば次の震災の備えもいよいよ心配になってくる。
それも念頭に置いて展示をみてほしい。
東京・代々木のカフェ・ヌックで3月9日から21日まで開催。
来場の際には、芳名帳にひとことも記載してください。
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