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織田信長は「日本初のマーケッター」だったという動かぬ証拠

戦国時代の三英傑の一人、織田信長。彼が掲げた「天下布武」の文言はあまりにも有名ですが、この戦略が現代のマーケティングにも応用できると、無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』の著者・浅井良一さんは言います。信長の卓越したマーケティング、そしてブランディングの手法とは?

「跳躍」(イノベーション)

「マーケティング」は顧客の欲求に応えて収益を得る活動です。それが公的機関であれば、住民の生活基盤や利便性をはじめとする幸福の実現を目的に、そしてその成果の実現のために必要な税金が円滑に徴収されるように経済条件や社会環境を整えることが「マーケティング」となります。

戦国時代においては、覇者になるためのは3つの条件が必要とされました。それは「戦略」と「情報力」と「軍事力」の3つで、このうちの「情報力」と「軍事力」を充実させるにはその基盤たる「経済力」の充実が必要です。また「経済力」の充実は「軍事力」を背景としてはじめてなされるという相関関係を持ちました。

「マーケティング」について述べようとしていますが「戦略」という言葉を出しましたので少し横道にそれて補足説明を行います。織田信長の基本コンセプトは「天下布武」ということですが、その戦略構想の実現のためにまず行わなければならないのは配下へのコンセプトの浸透と民の支持を得るためのコンセプトの「ブランディング」でしょう。

「天下布武」のコンセプトは、われわれ信長軍が行う活動は偏頗な領地争いはなく「天下」を目指してとなると、そこから生まれる集団意識は「公」となり行動もまた「公」であることが担保されます。そして、足利義昭を奉じての京都上洛天皇家への接近により「権威」付がなされ「ブランディング」つまり「正統性」を確立することになりました。

「マーケティング」に戻ります。信長の「マーケティング」を考えるとき、それは「イノベーション」と一体となっていることに特徴があり「顧客創造」そのものと言えるでしょう。

何故なら、信長の登場以前には搾取される奴隷農民はいても年貢を徴収できる「農民」という存在自体がなかったからです。そこで行ったのが関所の撤廃兵農分離で、これによって統治して年貢の徴収を行える自由民である平農民が生れることになりました。また、楽市楽座撰銭令の実施で商業者の経済活動が活発化して、地子銭や津銭などの税金の徴収も増えることとなりました。

マネジメントの目的が「顧客創造」であるとする「ドラッガー」の定義はなかなか理解できにくいものです。戦国時代にこれを実践し「神の役割」を意識した織田信長は経営者として見た場合、時代を超越した第一級の経営者と言えそうです。

まだまだいろんな信長の業績から、現在のマネジメントに役立つ事例を引き出すことが可能ですが、ここで改めて言いたいのは、質の高い「マネジメント」は社会を大きく変革し人を幸せにする力を持っているということになります。

image by: MrNovel / Shutterstock.com

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戦略経営のためには、各業務部門のシステム化が必要です。またその各部門のシステムを、ミッションの実現のために有機的に結合させていかなければなりません。それと同時に正しい戦略経営の知識と知恵を身につけなければなりません。ここでは、よもやま話として基本的なマネジメントの話も併せて紹介します。

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【著者】 浅井良一 【発行周期】 ほぼ週刊

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