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独裁化する習近平が、自らの思想を共産党規約に明記させた意味

10月に行われた中国共産党大会で、「習近平思想」を党規約に盛り込むことに成功し、中国建国の父・毛沢東氏と並ぶ権力を手に入れたと言われる習国家主席。しかし「新時代の中国の特色ある社会主義思想」とはそもそも何を意味し、そして彼の国はどこに向かい進んでゆくのでしょうか。ジャーナリストの高野孟さんが自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で「習近平思想」の骨格部分の読み解きを試みています。

「習近平思想」とは何か?──第19回党大会後の中国の行方

10月に開かれた中国共産党第19会大会での3時間半に及ぶ習近平総書記の報告で、最も多く繰り返されたフレーズは「新時代の中国の特色ある社会主義思想」で、それに次いだのは「中華民族の偉大なる復興という中国の夢」であったという。

実際、この2つが同大会の中心スローガンであり、中国のどこに行ってもそれが掲げられている(写真)。しかもその2つは内容的に連結していて、19世紀半ばのアヘン戦争以来、日本を含む列強に食い荒らされ搾り取られて衰弱の極にまで達した中国が、再び世界最大の経済強国として復活するという夢を現実に達成しうるところにまで到達したということが、「新時代」ということの何よりの意味なのである。そしてその新時代の扉を開いたのは、他ならぬ習近平であり、だから党規約には「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想」と、彼の名前が書き込まれ、その頭と尻をつないでひとことで言えば「習近平思想が成立したのである。

習近平の自信たっぷりの自己認識

言うまでもなく、現代中国を導く思想として世界が認知しているのは「毛沢東思想」であって、改革・開放の道を拓いたあの鄧小平にしても「理論」とは呼ばれても「思想」と呼ばれることはなかった。ということは、習は自らを、中国革命を成功させ中華人民共和国を建国に導いた毛に匹敵する指導者として位置付けているのだろうか。いや、別に鄧を飛ばすつもりはないらしいことは、大会の開会挨拶の中で述べた「站起来立ち上がる)、富起来豊かになる)、強起来強くなる)」という表現を見れば分かる。中華民族がアヘン戦争以来の屈辱から立ち上がって建国したのが毛時代、改革・解放で経済建設がようやく軌道に乗ったのが鄧時代、そしてこれからいよいよ経済強国・軍事強国を目指していこうというのが習時代──というわけである。

この「3大巨峰」史観とも言うべき自分自身の位置付け方は、この5年の任期が終わってみなければ分からないが、まあ意気込みとしては妥当なものと言えるだろう。しかし、このことを、胡錦濤=前総書記、江沢民=元総書記を招いて左右に座らせたその壇上で言い放って、胡も江も、その前の趙紫陽も胡耀邦も華国鋒も、つまり文革後に党総書記もしくは党主席の座に就いた誰もが(鄧は党の肩書きは中央軍事委員会主席のみ)その名前を冠した「時代」に値せず自分だけが「習時代」を名乗るのだと主張するのは、大変な自信の表れと言えるだろう。

それにしても、習に果たして思想があるのかどうか。言葉の定義にもよるだろうが、それこそ「毛沢東思想」を中学生の頃から読み耽ってそれを自分の基礎教養の一部として生きてきた私からすれば、思想という以上、前人未踏の、とまでは言わなくとも、何らかの程度は他からは際立つ独自の哲学的もしくは方法論的な基礎の上にそれなりの体系を以てまとめられた思考の塊のことであって、そうであればこそ各国語に翻訳されて世界中で読まれるだけの普遍性も持つはずである。

ある中国人に「習思想を知るには何を読めばいいか」と尋ねると、即座に「それは19大会の報告でしょう」と言うので、日本語訳で60ページ近いそれを通読した。しかし、それはあくまで国家建設の戦略方針の書としてはよく出来ているとはいえ、思想というものは何ら感じられなかった。毛沢東を読めば、「そうか、自分もこういう生き方をしよう」とか、「この考え方は日本の社会変革を考える場合に応用できそうだ」とか、さまざまな知恵がシャワーのように降りかかってきて目眩く思いがするけれども、習報告を読んでも「なるほど、中国はそう進んで行くのだな」という知識が得られるだけである。

私はこの「習近平思想」って何だ? という疑問を、失礼にならない程度の表現ですいぶんたくさんの中国人や中国に詳しい日本人学者などにぶつけてきたが、未だに納得出来る答えに出会っていない。この点に関しては今後の取材と研究に委ねるものとして留保しておく。

中国の特色ある社会主義の意味

そこで、冒頭に引いた大会の中心スローガンについて、さらに解説を続けることにしよう。「中国の特色ある社会主義」というのは、1つの決まり文句で、鄧以来の中国流の改革・開放路線のことである。共産党一党支配を維持しつつ、経済面では市場経済を大胆に取り入れて近代化を目指すという意味で、いわゆる「開発独裁の中国的形態のことと理解してよろしい。

開発独裁について、たまたま手元にある昔の日経記事は

強い権限を持つ指導者や政府が、市民の権利抑制も辞さずに資源を経済建設に集中的に投入する統治モデル。迅速な意思決定を通じた効率的な開発・発展と高い経済成長を狙えるという理由で『独裁』を正当化する例も多い。1980年代にインドネシアやシンガポールで成功し『東アジアの奇跡』といわれた。
(11年1月24日付)

と、他人事のように解説しているが、私の説では、明治以来の日本の薩長藩閥政治から昭和の軍部独裁戦後の自民党一党支配から今の安倍政権までは、全部繋がって開発独裁の日本的形態の諸相をなしている。

最も幼稚な中国批判として、「市場経済と言いながら共産党独裁を続けているのはおかしい」というのがあるが、軍事独裁や一党支配が市場経済と矛盾するどころか、ある段階ではプラスに作用することは、日本自身も、またシンガポールやフィリピンやインドネシアや韓国の軌跡も示していることで、何も驚くに当たらない。中国の場合は、たまたま共産党という巨大な統制装置があったので、それをうまく開発独裁に流用したというのが本当で、共産党なのに市場経済をやっているのが似合わないとかいうことではない。

さて、その中国の特色ある社会主義が「新時代」を迎えたというのはどういう意味か。その鍵は「小康社会(それなりにほどほどに豊かな社会)」という目標にある。このいささか奇妙な(というのも何を以て「それなり」とか「ほどほど」なのかの定義が不明)言葉を使い出したのは鄧で、江が第16回大会で「2020年までに小康社会を建設する」と目標時期を掲げた。胡錦濤は5年前の第18回大会で「小康社会の全面的な建設と完成を目指す」ことを謳った。それに対して習は今回、「2021年の中国共産党創立100周年までに(ということはあとわずか4年内に)小康社会の全面的完成(ということは例えば現在831あるとされる貧困県をゼロにする)を実現する決戦期」に入ったことを宣言すると共に、それを「中華民族の偉大なる復興という中国の夢」を達成するための「要の一歩」と位置付け、さらにその先、2049年の共和国建国100周年には「富強・民主・文明・調和の社会主義現代化強国」を作り上げるという遠い目標をも設定した。

つまり、これまで長い間、掛け声に終わっていた「小康社会の全面的完成」を実際にこの大会任期中に達成し、それを第一歩として「中華民族の偉大なる復興という中国の夢」に本当に踏み出していくという、その現実性こそがまさに新時代」なのである。そしてそれを切り開いたのは習であるから、「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想」となるのである。

社会の主要矛盾はどこにあるのか?

毛沢東思想の入口に当たる『実践論・矛盾論』では、ある物事がどういう段階にあって、どこからどこへ向かって運動し発展しようとしているのかを把握する場合の中心的な概念は「主要矛盾」である。

革命の前から後までの毛時代にあっては、主要矛盾は「無産階級と資本家階級の矛盾」にあった。革命が達成されるまでは、資本家階級を代表する国民党政府に対して無産階級を率いる共産党軍が内戦を戦っていたので、その主要矛盾の中で資本家階級が支配的で無産階級は従属的な位置にあった。革命が成功して共和国が建国され、両者の立場が逆転して、無産階級が支配的に、資本家階級が従属的になったとはいえ、まだ資本家階級は一掃された訳ではなく、いつまた復活して反革命を企むか分からない状態であるから、革命後になっても当分の間は引き続き主要矛盾は「無産階級と資本家階級の矛盾」にあったのである。

その危険が基本的に克服され、社会主義建設が何とか軌道に乗り始めた1960年頃からは、主要矛盾は階級間の敵対的な矛盾ではなく、「人民の需要とそれを満たすことの出来ない生産力の立ち後れ」という人民内部で解決を図らなければならない矛盾に取って代わった。ところが、その定義の下で人々のごく自然な経済的豊かさへの欲求が高まり、またそれに応じようとする様々な試みが広がってくると、次第に認知症的になっていた毛沢東はそれを資本家階級の復活と誤認し、いささかでもその疑いのある者はすべて敵として扱うという、革命・建国期の矛盾認識に戻ってしまい、文化大革命を発動した。何千万人もの無辜の人々がなぶり殺されるというその地獄絵の有様を何とか収拾した鄧が最初にやったことは、主要矛盾の認識を元に戻して「人民の日増しに伸びる物質的・文化的需要と遅れた社会的生産力との間の矛盾」と定義し直すことだった。以後、江や胡の時代を通じて基本的にそのような表現が踏襲されてきたが、今回、習は違う表現に踏み込んだ。「人民の日増しに伸びる素晴らしい生活への需要と、不平衡、不十分な発展との間の矛盾」である。

似たようなものじゃないかと思うかも知れないが、これまでの表現は要するに「何とか飯が食えるようにする」ことが中心課題であったのに対して、これからは単に物質的ではない「ますます素晴らしい生活」を求める人々のニーズを満たさなければならないのである。そのことは、報告の中の次の表現で一層明確になる。

我が国の経済は、すでに高度成長の段階から質の高い発展を目指す段階へと切り替わっており、発展パターンの転換、経済構造の最適化、成長の原動力の転換の難関攻略期にある。

ここでもう1つ分かりにくいのは、一方でこのように何とか飯が食えるようになりたいという段階は終わったと言いながら、他方では「必ず認識せねばならないのは、我が国社会の主要矛盾の(上述のような)変化は、我々の我が国の社会主義がどの歴史段階にあるかという判断を変えるものではないということであり、我が国が長期的に社会主義初級段階にあるという基本的国情は変化せず、我が国は世界最大の発展途上国であるという国際的地位も変化しない」と、世界最大の発展途上国であるというステータスにしがみつきたいかのようなことを言っていることである。

これはかつて鄧が「社会主義初級段階は100年続く」と言った大ざっぱな言葉と整合性をとるためなのか、それとも都合が悪くなると発展途上国ぶりっ子に逃げ込もうとする狡さのためなのか。それにそもそも、社会主義に初級や中級があるならその定義は何なのかを明らかにしなければ、このような規定自体が意味をなさないのではあるまいか。

以上が、「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想」の骨格部分への理解である。これが軍事・外交面にどう展開されるのかは、また機会を改めて整理することにしたい。

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早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。

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