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全然知らなかった。学校の銅像でおなじみ「二宮金次郎」のスゴさ

かつては小学校に当たり前のようにあった「二宮尊徳」の銅像。学校の七不思議のひとつに数えられる程お馴染みのものでしたが、最近では「本を読みながら歩くのは危険」などの理由で撤去されているのだとか。少し寂しくもありますが…、今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、意外と知られていない二宮尊徳の偉大さについて、いくつかのエピソードを紹介しています。

二宮尊徳

月刊『致知』では、歴史上の偉大な人物の歩みを取り上げることが少なくありません。それは読者から大変好評を得ています。1月号で紹介している二宮尊徳もその一人です。

尊徳が広く知られるきっかけとなった『報徳記』について経済コラムニストの木村壮次さんが語られた記事の一部を紹介します。

仕事と人生 木村壮次(経済コラムニスト)

『報徳記』を読んで強く印象づけられたのは、身分制度が確立していた江戸時代に一介の農民から身を起こし、多くの衰退した藩や村を復興させ、人々を善導していった尊徳の卓越した手腕です。

尊徳は早くして両親を失うなど大変辛い少年時代を過ごしていますが、その艱難辛苦が尊徳を偉大な人物へと押し上げていく原動力になったと言えるでしょう。

例えば母親の病没後、尊徳は十六歳で父方の伯父・万兵衛に預けられましたが、夜学のために家の灯油を使っていたことを咎められると、川べりの荒れ地を耕して菜種を蒔きその実りをもとに灯油を調達して勉学を続けるという強い意志を示しました。

それでも「農民にとって勉学は無益なこと」と断じる万兵衛に対して、尊徳は夜になるとむしろ織りに精を出し、人々が寝静まってから密かに勉強を続けたといいます。勉学によって父祖伝来の家を再興せんとの思いの表れだと思われますが、若くして尊徳が学問に秀でていたことは次のエピソードからも窺えます。

ある日、近所の寺で行脚の僧の読経を聞いていた尊徳は、村の和尚を掴まえて、「和尚さん、観音経の功徳というものは素晴らしいものですね。その意味はこういうことですよね」と話したというのです。僧の読経が一般的な呉音ではなく、理解しやすい国語であったとはいえ、和尚は尊徳の並外れた理解力に驚きを隠せません。尊徳を菩薩の再来と褒め称え、自分の代わりに僧になって大いに衆生済度の道を歩んでほしいとまで言わしめたというのです。

こうした背景には、『論語』をはじめとした古典の読書量が相当数あったことも関係していると思われます。子供の頃から、苦しみながらも読み書きを決して疎かにしなかったことが、尊徳の能力を開花させていったのです。

また、数多くの仕法から見て取れるのは、尊徳が数学的なセンスに優れていたことです。後に尊徳は小田原藩藩主・大久保忠真公から表彰を受けますが、その要因の一つとして挙げられた枡の統一もその証左と言えるでしょう。

それまで米なら米用の、醤油なら醤油用といった具合にバラバラだった枡を、尊徳は統一枡をつくることで合理化を図ったのです。

『致知』2018年1月号

image by: Shutterstock.com

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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