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【書評】京都生まれ京都育ちでも「京都嫌い」に育った納得の訳

「京都市生まれの京都市育ち」などというプロフィールを聞くと、憧れに近い感情を抱く方も少なくないかと思いますが…、どうも一筋縄ではいかないようです。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長・柴田忠男さんが取り上げているのは、「洛外」で育った方による一冊。柴田さん曰く「屈折した京都論」とのことなのですが、その内容は?

京都ぎらい
井上章一・著 朝日新聞出版

井上章一『京都ぎらい』を読んだ。誰もがうすうす気づいているが、あえて書こうとしなかったことがここに書かれている、らしい。

ひとことで言えば、洛外で暮らす者がながめた洛中絵巻ということになろうか。(略)この街は、洛外の人間による批判的な言論を、封じてきた。それだけ、洛中的な価値観が、大きくのさばる街だったのだ。

と前書きにある。

著者の「京都市に生まれ、そして育った」という自己紹介に偽りはない。だが、そう書くのにためらいをおぼえるという。彼は右京区の花園生まれ、嵯峨育ち、宇治市民である。行政上、京都市にはいっていても、洛中の人々からは、京都と見なされない地域がある。洛外の地は京都扱いされないのだという。

出生地の、ずいぶんちっぽけなちがいにこだわるんだなと、思われようか。しかし、こういうことで私を自意識の病へ追い込む毒が、京都という街にはある。精神の自家中毒を余儀なくされているのは、私だけに限るまい。洛外そだちには、同病の者もおおぜいいるだろう。

って、埼玉県人には全然分からない。

京都自慢のプライドを鼻先にぶら下げた、うぬぼれの強い洛中人士たち。「洛中生息」なるいやみったらしい表題の本を書いた杉本家当主、嵯峨の言葉を見下した梅棹忠夫、著者のうらみがましい記述に読んでいて当惑する。彼は自分には京都人としての自覚はない。京都流に言えばよそさん」だと思っている。

洛中のつどいへ顔を出す場合も、一種の居留民として臨んできたというからただごとではない。東京のメディアの京都びいきを訝しく思い、迷惑だという気持ちもある。メディアが京都人を誤解させる。あなたたちがそうやって京都におもねるから、洛中の人々もつけ上がり、洛外を見下ろすんじゃないか。

洛中なにするものぞ、そう気合いながら話が進む。洛外生息の劣等感が執筆の動機になっている。だが著者は、洛中人と同じようないやらしい偏見で、亀岡市や城陽市への優越感があることを告白し自己嫌悪する。京都的な差別連鎖の末端にいつの間にか据え付けられた。京都人たちの中華思想に汚染されて、その華夷秩序を、反発はしながらも受け入れるに至ったのだ。ヘタレだ……。

その一点で、私は自分にも京都をにくむ権利がある、と考える。わたしをみょうな差別者にしてしまったのは、京都である。人を平等にながめられなくさせたのは、この街以外の何物でもない。

とは、言いがかりに近い妙な理屈だが洛中文化・いけず目線を浴びることで育った人だから、こうなるのだろう。

結びでは、京都の中華思想をふりかざす手合いと、似たようなことを書いている。自分と京都人との違いをあれこれあげつらうのは、似たもの同士の中で自らを際立たせようするからだろう。ずいぶん屈折した京都論で、なかなか面白かった。

編集長 柴田忠男

image by: Shutterstock.com

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