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600以上の村を再建した江戸の偉人、二宮尊徳を知っていますか?

「大人と子供、富む者と富めぬ者が助け合い譲り合うことで、世の中は平等に保たれるもの」―。こんな話を温泉の「湯ぶねの湯」に置き換え印象深く説いたのは、江戸時代の偉人・二宮尊徳です。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、渋沢栄一や松下幸之助らに多大な影響を与えた尊徳の説話集『二宮翁夜話』の中から「湯船の教訓」を紹介しています。

渋沢栄一が、土光敏夫が「先生」と呼んだ人

私は、あくまでも尊徳先生の残された四ヵ条の美徳(至誠、勤労、分度、推譲)の励行を期せんことを願うのである。
渋沢栄一

尊徳先生は、至誠を本とし、勤労を主とし、分度を体とし、推譲を用とする、報徳実践の道を唱えられ、実行に移されたのでありますが、その手法は極めて科学的であり、経済の論理にかなうものでありました。
土光敏夫

江戸時代、徹底した合理主義と類い稀な行動力で興廃した600以上もの村々を再建し、「代表的日本人の一人と称えられる偉人・二宮尊徳。その教えは、渋沢栄一や安田善次郎、松下幸之助、土光敏夫、豊田佐吉、稲盛和夫といった大事業家たちにも、多大な影響を与えてきました。

その尊徳の身辺で4年間暮らした門人・福住正兄が翁の言行をまとめた不朽の名著『二宮翁夜話』が、報徳記念館初代館長・佐々井典比古氏の読みやすい現代語訳となって甦りました。

本書には、広く知られる、水車やたらいの水積小為大の説話はもちろん、

などなど、人々の心田を耕し、人生を繁栄に導くための心得を分かりやすく詳述。門人たちとの問答の中には翁の笑い声まで再現され、まるで翁が直接教え諭してくれているような感覚を覚えるほどです。

かの森信三先生も『修身教授録』の中で、日本人の先哲の中で、最も優れた偉人として、二宮尊徳を挙げるとともに、「『二宮翁夜話われわれ日本国民の論語』と言ってよいかとさえ思うほどです」と述べておられるほどです。

その二宮尊徳の説いた訓えの結晶ともいえる『二宮翁夜話』。日本人なら必ず一度は読んでおきたい不朽の名著です。本書の中から、非常に有名な「湯ぶねの教訓」の説話をご紹介します。

湯ぶねの教訓

嘉永5年の正月、翁は著者の家(箱根町湯本)の温泉に数日入湯しておられた。著者の兄の大沢精一が翁のおともをして入浴した際、翁は湯ぶねのふちに腰かけて、こうさとされた。

「世の中では、そなたたちのような富者が、みんな足ることを知らずに、飽くまで利をむさぼり、不足を唱えている。

それはちょうど、おとながこの湯ぶねの中に突っ立って、かがみもせずに、湯を肩にかけながら、湯ぶねが浅すぎるぞ、ひざまでも来ないぞと、どなるようなものだ。もしも望みにまかせて湯をふやせば、小さい子どもなどは湯にはいれなくなるだろう。

だからこれは、湯ぶねが浅いのではなくて自分がかがまないことが間違いなのだ。この間違いがわかってかがみさえすれば、湯はたちまち肩まで来て、自然と十分になるだろう。ほかに求める必要がどこにあろうか。

世間の富者が不足を唱えるのは、これと何ら変りはない。およそ、分限を守らなければ、千万石あってもなお不足だ。ひとたび分に過ぎた過ちを悟って分度を守れば、余財がおのずからできてきて、十二分に人を救えるはずだ。

この湯ぶねが、おとなはかがんで肩につき、子どもは立って肩につくのを中庸とするように、百石の者は五十石にかがんで五十石の余財を譲り、千石の者は五百石にかがんで五百石の余財を譲る。これを中庸というべきだ。

もし町村のうちで一人この道をふむ者があれば、人々はみんな分を越えた過ちを悟るだろう。人々がみんなこの過ちを悟って、分度を守ってよく譲れば、その町村は富み栄えて平和になること疑いない。

古語(大学)に「一家仁なれば一国仁に興る」といっているのは、このことだ。よく心得なければならない。

仁というものは人道の極致であるが、儒者の説明はやたらにむずかしいばかりで、役に立たない。身ぢかなたとえを引けば、この湯ぶねの湯のようなものだ。

これを手で自分の方へかき寄せれば、湯はこっちの方へ来るようだけれども、みんな向うの方へ流れ帰ってしまう。これを向うの方へ押してみれば、湯は向うの方へ行くようだけれども、やはりこっちの方へ流れて帰る。

すこし押せば少し帰り、強く押せば強く帰る。これが天理なのだ。

といったりといったりするのは、向うへ押すときの名前であって、手前にかき寄せれば不仁になり不義になるのだから、気をつけねばならない。

古語(論語、顔淵篇)に「己に克って礼に復れば、天下仁に帰す。仁をなす己による。人によらんや」とあるが、己というのは手が自分の方へ向くときの名前だ。礼というのはこの手を相手の方へ向けるときの名前だ。手を自分の方へ向けておいては、仁を説いても義の講釈をしても何の役にも立たぬよく心得なければいけない

いったい、人のからだの組立を見るがよい。人間の手は、自分の方へ向いて、自分のために便利にもできているが、また向うの方へも向いて、向うへ押せるようにもできている。これが人道の元なのだ。

鳥獣の手はこれと違って、ただ自分の方へ向いて、自分に便利なようにしかできていない。だからして、人と生れたからには他人のために押す道がある。それを、わが身の方に手を向けて、自分のために取ることばかり一生懸命で、先の方に手を向けて他人のために押すことを忘れていたのでは、人であって人ではない。つまり鳥獣と同じことだ。なんと恥かしいことではないか。恥かしいばかりでなく、天理にたがうものだからついには滅亡する。

だから私は常々、奪うに益なく譲るに益あり譲るに益あり奪うに益なし
これが天理なのだと教えている。よくよくかみしめて味わうがよい。

二宮尊徳から影響を受けた事業家たち(順不同)

image by: shutterstock

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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