営業の接待から執事という仕事にたどり着いた
──いろいろと日本バトラー&コンシェルジュ株式会社、執事がどのような仕事をしているのか、というお話をお聞きしましたが、新井さんはどのような経緯から執事になられたのでしょうか?
新井:実は最初はまったく執事とは関係の無い仕事をしていたんです。大学を出た後、最初に勤めたのは外資系のIT関連の会社で、営業の仕事をしていました。この時に凄くいい経験をしたんです。今でいうとブラック企業なのかもしれませんが、営業成績が半年、2四半期連続で到達しないとクビになる会社だったんです。
──執事のお仕事をされている新井さんが営業のお仕事をされていたというのは意外です。
新井:ただ、営業成績を達成していれば、ボーナスの金額がとんでもない会社でして、周りに1億円プレイヤーがたくさんいたんですね。もちろん、1億円プレイヤーの方々は30代、40代の営業のプロフェッショナルの人ばかり。そこに20代の若造が入っても、やっぱり営業成績が上がるわけがないんです。その時、「どうやったら物って売れるのか」を必死に考えました。もちろん、安売りすれば売れるんです。でも、それでは営業成績は上がらない。そんな会社でなぜか2年間営業成績をあげられなくても、クビにならなかったんです。たぶん、その時の上司が人を育てるという意識で私をかばってくれたんでしょうね。

そんな2年間をプレッシャーを感じながら過ごしつつ、周りの人の営業はどうやっているのか? ということを考えたんです。そうしたときに、営業は科学だと気付いたんです。商品を買ってもらうにはどの人にアプローチすればいいのか、キーマンは誰なのか、金額はどのタイミングで言えばいいのか、ということを徹底的に考えて実行したんです。それで年収1億円を達成することができたんです。
──20代で1億円プレイヤーになられたと。
新井:そうなんです。そこからなぜ執事に繋がっていくかというと、営業をしていると接待をする機会が多かったんです。ですが、いわゆる高級なお店で食事をしましょうといったスケールの話ではなく「お客様とサッカーW杯を観戦しに行く」であったり「ゴルフの観戦に行き、クラブハウスで有名プロゴルファーと会う」というスケールの話です。
その当時、営業していた相手は、大企業の役員クラスだったので、そのお客様がどういったことを喜ばれるのか、どういったことを望まれているのか、ということを考えて独自の企画で接待をしていたんです。そうした中で「人が本当に望むことを考えて実現するというのは仕事になるのではないか?」と思ったんです。
──接待から執事という仕事につながっていったんですね。
新井:そうなんです。その時期から起業を考えていたのもあります。そこでもう一つ学んだのが、起業するのであれば「安売りしはしない」ということです。20代に勤めていた外資系のIT関連会社で販売していた商品は、競業他社のものと中身はあまり変わりません。でも、値段は倍ぐらい違ったんです。しかも、自分の会社は、日本では知名度も信用もない弱小企業、競合会社は、知らない人はいないぐらい有名な日本を代表する巨大企業です。その窮地に追い込まれた状況の中で、どのように競合会社との争いを勝ち抜き、より高い価格で買って頂くかを、24時間、365日、考え続けて、実践し続けていました。
そこで、あることがわかったのです。高く売れば売るほど、お客様の満足は高まり、感謝され、その後も信頼関係が続いて行く。安売りすればするほど、その時だけは、お客様は喜びますが、長い目で見ると、満足度は低く、信頼関係は生まれないということです。
こういった経験から、「値段」ではなく「満足度」こそが重要だということがわかり、営業や経営者の知恵と努力次第で、お客様と長期に渡る信頼関係を築き、自社の利益も高めることが出来るようになり、仕事のやりがいや面白さがわかる。これは仕事になると確信することが出来たんです。
──サービスを望むターゲットを把握し、そのターゲットである顧客がどういったものを望んでいるのか、またいわゆる資産家の方々が望むことをサポートまで考え、独自のアイディアで提案して実行するといったことが、20代の時に培われたのですね。
新井:20代に営業で培ったものとお客様の満足度と継続的な信頼関係構築の志向が日本バトラー&コンシェルジュ株式会社に繋がっていくんです。









