滝沢洋一と「マジカル・シティー」が起こした世界的シティ・ポップブーム“47年目の真実”【Vol.1】奇蹟的に発見された大量のデモテープ

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数年前から世界中で大ブームを巻き起こし、今やスタンダードとして定着した感のある音楽ジャンル、シティ・ポップ。最近では、大滝詠一、竹内まりや、松原みき、吉田美奈子、角松敏生などの楽曲が国内外で再評価され、再発のアナログ盤がチャートにランクインするなど、ブームの熱は冷めることなく続いています。音楽業界では山下達郎と大貫妙子の在籍したバンド「シュガー・ベイブ」が“シティ・ポップの先駆け”ということになっていますが、シュガー・ベイブとほぼ同時期に活動しながら、最近までその存在さえ知られていなかった「あるバンド」をご存じでしょうか。その名は滝沢洋一と「マジカル・シティー」。彼らこそが、昨今の世界的シティ・ポップブームの礎を築いた重要なバンドであることが、約3年近くに及ぶ関係者たちへの取材によって明らかになりました。この取材を通して見えてきたのは、音楽に情熱を燃やしていた男たちによる「奇跡的な出会いの連続」と「知られざる素晴らしい楽曲の数々」でした。本連載では、今まで日本のポップス史の中で一度も語られることのなかった、彼ら5人による「シティ・ポップの軌跡」を複数回にわたって掲載いたします。

連載記事アーカイヴ

【Vol.1】奇跡的に発見された大量のデモテープ (本記事)
● 【Vol.2】デモテープに刻まれていた名曲の数々
【Vol.3】達郎も秀樹も気づかなかった「真実」

【関連記事】シティ・ポップの空を翔ける“一羽の鳥” 〜作曲家・滝沢洋一が北野武らに遺した名曲と音楽活動の全貌を家族やミュージシャン仲間たちが証言。その知られざる生い立ちと偉大な功績の数々

プロローグ〜段ボール箱から出てきた大量のテープ

2021年5月17日、私は東京・大田区大森のとあるライブ居酒屋の店主に1通のメールを送付した。その内容は、おおよそ以下のようなものであった。

金谷あつし様

 

初めてのご連絡で失礼いたします。この度、元ワーナー・パイオニアでハウスエンジニアをされていた石崎信郎さんという方とご連絡を取りたく、金谷様にメールをお送りさせていただきました。

 

私は、シティ・ポップの傑作として再評価されている唯一のソロアルバム『レオニズの彼方に』(1978・東芝EMI)の作者であるシンガーソングライター・作曲家の滝沢洋一さん(2006年に56歳で逝去)の生涯と音楽活動について、日本で初めて取り上げた記事を4月に執筆した者です。

 

● シティ・ポップの空を翔ける“一羽の鳥” 〜作曲家・滝沢洋一が北野武らに遺した名曲と音楽活動の全貌を家族やミュージシャン仲間たちが証言。その知られざる生い立ちと偉大な功績の数々

 

滝沢さんには、1982年にお蔵入りとなって発売が延期されたままになっている『BOY』という幻の2ndアルバムが存在しており、そのアルバムのエンジニアが石崎信郎さんであると、当時のディレクターの方からお聞きいたしました。

 

現在、このアルバムのミックス済みテープが行方不明となっております。石崎さんがエンジニアとして関わったアルバムということで、ミックス済みテープの所在について何か心当たりがないかと思いまして、行方を探しております。

 

もし可能でしたら、石崎さんに本メールをご転送いただけませんでしょうか。

メールの宛先であるライブ居酒屋の店主・金谷あつしは、70年代にエレック・レコードに所属していたコーラスグループ「ピピ&コット」の一員として活躍していた人物である。

金谷あつし氏(居酒屋「風にふかれて」HPより)

金谷あつし氏(居酒屋「風に吹かれて」HPより)

彼の経営する東京・大森のライブ居酒屋「風に吹かれて」が制作しているCDレーベル「KAZE LABEL」のホームページに、元ワーナー・パイオニア(現ワーナー・ミュージック・ジャパン)でハウスエンジニアをしていた石崎信郎の名前と顔写真が掲載されていた。

石崎はワーナー時代、中森明菜やスターダスト・レビュー、柳ジョージなど多くのアーティストのレコーディングを担当。その石崎の消息をネット上で探していたところ、やっと辿りついたのが金谷の店のホームページだった。

石崎信郎氏(同HPより)

石崎信郎氏(同HPより)

メールを送付した1時間後、金谷から返信が届いた。

“ご連絡ありがとうございます。

 

とりあえず、石崎さんには、その旨を転送しましたが、、私もしばらく連絡してないので、届いたかどうか不安ではあります。

 

ちなみに、番号変えていなければ、石崎さん携帯、×××-××××-×××× です。

 

これで連絡とれなければ、再度ご連絡ください、他をあたります。”

金谷にお礼のメールを返信したあと、伝えられた電話番号にかけ、何度目かの架電で石崎と話をすることができた。

石崎「滝沢さんのお蔵入りになったアルバムのことですね。たしかに私がエンジニアをつとめましたが、そのテープは持っていませんし、行方もわかりません。でも、ミックス済みの19インチのオープン・リールテープがあるはずです。マスターからコピーした2本のテープを滝沢さんに渡した記憶があります」

石崎にお礼の言葉を述べ、すぐに滝沢のご遺族へ以下のようなメールを送付した。

大変申し訳ありませんが、ご自宅で箱に入ったオープン・リールのテープがないかどうか、ご確認いただいてもよろしいでしょうか?

翌日、滝沢のご遺族から返ってきたメールには、以下の返信とともに、いくつかの画像が添付されていた。

“ありました。我が家のオープン・リールデッキは随分前に使用できなくなったため、テープの所在も気にかけず、引っ越し荷物の段ボール箱に埋もれておりました。”

石崎の証言をきっかけに、滝沢宅から40年以上前のオープン・リールテープやカセットテープが大量に発見された。

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発見されたテープの一部

その中には「BOY」や「志賀ツアー・ライブ」「RCAテイク」などの文字、「青山」「新川」など個人名が記載されたものもある。

これが、すべての「奇跡」の始まりであった。

豪華メンバーが結集した奇跡のバンド「マジカル・シティー」

まずは、1976年に録音された以下のデモ・テープの音源をお聴きいただきたい(スマホの場合は、Listen in browser の文字をクリック)。

テープの音質は悪いけど、センスと勢いを感じさせる新人バンドのデモ・テープ……。彼らの楽曲に触れた人なら、そんな印象を持つのかもしれない。しかし、これが後に日本の「シティ・ポップ」を代表するスタジオミュージシャンやアレンジャーらによる演奏だと知ったら、多くの音楽ファンは驚くのではないだろうか。そして、これらの楽曲を録音したのが、47年も前のことだと知ったのであれば尚更だろう。

バンドの名は、マジカル・シティー

東京出身のミュージシャン4人が集まって結成されたアマチュアバンドだ。命名者は、近年シティ・ポップの文脈で再評価の声が高まっているアルバム『レオニズの彼方に』(1978)を発表した作曲家・シンガーソングライターの故・滝沢洋一である。

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滝沢洋一『レオニズの彼方に』(1978)

マジカル・シティーは1976年、滝沢のバックバンドとしてそのキャリアをスタートさせた。

前項で、発見までの経緯を紹介した「大量の未発表音源テープ」は、その滝沢の自宅から発見されたものであり、冒頭の楽曲「東京音楽祭(マリーナ・ハイウェイ原曲)」も、今回発見されたカセット・テープを音源化したものである。

マジカル最大の特徴は、何と言っても「メンバーの豪華さ」だ。滝沢のオリジナル曲を演奏するバックバンドだったが、そのメンツが「シティ・ポップ」の文脈で今まで語られていなかったことが不思議なくらい、トンデモなかった。

ドラム:青山純
ベース:伊藤広規
キーボード:新川博
ギター:牧野元昭

昨今の世界的な「シティ・ポップ」ブームを象徴する竹内まりや「プラスティック・ラヴ」や、山下達郎の名曲「RIDE ON TIME」、アルバム『FOR YOU』のほぼ全曲、大ヒット曲「クリスマス・イブ」など、達郎&まりや夫妻の“リズム隊”として長年活躍。また、B’zやMISIAをはじめ、数多くの歌謡曲やJ-POP、大物歌手のバックを務めてきたベーシストの伊藤広規、そしてドラマーの故・青山純

ドラムの青山純(左)、ベースの伊藤広規(右) 画像提供:伊藤広規Office

青山純(左)、伊藤広規(右) 画像提供:伊藤広規Office

近年シティ・ポップの名盤として高く評価されている菊池桃子をリードボーカルに擁したバンド「RA MU(ラ・ムー)」唯一のアルバム『THANKS GIVING』全楽曲をはじめ、「君は1000%」など1986オメガトライブのほぼ全楽曲、原田知世「時をかける少女」、本田美奈子「1986年のマリリン」、小林麻美「雨音はショパンの調べ」、荻野目洋子「六本木純情派」、中原めいこ「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね」など、大ヒット歌謡曲のアレンジを数多く手掛けてきた、キーボディストで編曲家の新川博

新川博 画像提供:オフィシャルHPより

新川博 オフィシャルHPより

15歳のときにChar在籍のバンド「バッド・シーン」でデビューし、86年に米バークリー音楽大学へ留学した後に、グラミー賞を受賞したブルース・ハープ奏者シュガー・ブルーのバンドに14年も在籍した伝説のギタリスト、牧野元昭

牧野元昭 公式FBより

牧野元昭 公式HPより

まさに、いま世界で起きているシティ・ポップブームの立役者たちが一つに結集した奇跡のようなバンドだ。最も古い音源は1976年1月で、時に青山純18歳牧野元昭19歳新川博20歳滝沢洋一25歳である。

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東京・市ヶ谷にて。左から滝沢洋一、マジカル・シティーメンバーの牧野元昭(中段上)、青山純(中段下)、新川博(右)  画像提供:滝沢家

22歳の伊藤広規は少し遅れて76年2月頃、新川と幼馴染で20歳の村上“ムンタ”良人の後任ベースとして加入した。伊藤の加入直後に、滝沢からマジカル・シティーというバンド名が与えられる。日本のシティ・ポップ史に「新たなページ」が生まれた瞬間であった。

あまりにも早すぎたシティ・ポップ「南の星へ夜の旅」

まだ高校を卒業して間もない青山の軽快なドラム、大学時代から冴え渡っていた新川の美しいピアノ、すでにファンキーなスラップを響かせていた伊藤のベース、10代とは思えぬ音に圧倒される牧野のギター、そして洋楽の影響を受けながら独特のコード進行と目鼻立ちのハッキリしたメロディーを紡いだ滝沢のオリジナル楽曲群。

上記は、今回発見されたデモ・テープの中から、伊藤の加入前に村上がベースとして参加した最後の録音であり、「マジカル」を名乗る直前の「南の星へ夜の旅」という楽曲である。これは1976年1月22日に録音された音源であることがわかっている。この曲は、のちに歌詞と曲の構成を変更し「レオニズの彼方にと改題されて滝沢の同名アルバムに収録された。

それにしても、日本の音楽シーンを牽引することになる彼ら「マジカル・シティー」は、なぜ今までポップス史にその名を刻むことがなかったのだろうか?

それを知るには、まずマジカルの「前史」となる歴史から繙いていく必要がある。マジカル史上最も重要な「キーマン」は、バンド名の名付け親であり、彼らが演奏したオリジナル曲のソングライターであり、本連載の「主人公」の滝沢洋一である。

彼の音楽活動と生い立ちを辿ることで見えてきたのは、この「世界的シティ・ポップ」ブームを呼んだ“奇跡的な出会い”の数々であった。Vol.2へ続く

連載記事アーカイヴ

【Vol.1】奇跡的に発見された大量のデモテープ
● 【Vol.2】デモテープに刻まれていた名曲の数々
【Vol.3】達郎も秀樹も気づかなかった「真実」

(本文内、敬称略)

【イベント情報】

月刊てりとりぃ+エスパスビブリオ共同企画

『Mr.シティ・ポップ 滝沢洋一の世界』

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ゲストに音楽ライターの金澤寿和さんをお迎えして送るトークショー。近年、シティ・ポップの名盤として再評価が高まりつつある唯一作『レオニズの彼方に』発売から10月5日で丸45年となった、シンガーソングライター・作曲家の滝沢洋一。今回、滝沢の自宅から奇跡的に発見された大量のテープから、名曲ばかりの未発表音源CMソングなどを本邦初公開。西城秀樹名曲を提供し、青山純伊藤広規新川博のプロデビューのキッカケを作ったニューミュージックの名付け親Mr.シティ・ポップ 滝沢洋一の知られざる魅力に迫ります。

2023年10月7日(土)
15:00~17:00(14:30開場)
参加費=2,500円(当日精算)
※定員60名様、予約制

【予約方法】

ご予約は、メール(info@espacebiblio.jp
または電話(Tel.03-6821-5703)にて受付

件名「10/7 シティ・ポップ参加希望」

お名前、電話番号、参加人数をお知らせ下さい。返信メールで予約完了をお知らせいたします。

【会場】

ESPACE BIBLIO(エスパス・ビブリオ)
地図→ https://www.espacebiblio.jp/?page_id=2
〒101-0062千代田区神田駿河台1-7-10YK駿河台ビルB1

● 詳しくはコチラ

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