イラン・イスラエル間の報復合戦が激化している。内外報道では「管理された戦争」「両国のメンツを保つための出来レース」という見方が多数派だ。だが、従来とは異なる、双方の本土を標的とした応酬に想定外の盲点はないのか。元国連紛争調停官の島田久仁彦氏は、当事国の一方であるイランや米英中がエスカレーション回避に動く一方、イスラエル国内で窮地に立つネタニヤフ首相の「危険な賭け」が世界に破局的事象をもたらす恐れを指摘する。(メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』4/19号より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです
「Point of No Return」に達したイラン vs.イスラエル
1979年のイラン革命以降、互いに敵国と見なし緊張関係にあったイスラエルとイランですが、両国領土外での暗殺や攻撃はあったものの、互いの本土を攻撃するような事態は起きていませんでした。
その“史上初”の出来事がついに4月15日に起きてしまいましたが、イランによるイスラエルへの報復攻撃には、いろいろなメッセージが込められていたように思います。
イスラエル政府はイランによる攻撃に対する報復の時期と方法を検討していますが、「報復すべし」という方向性以外は、戦時内閣内でも意見の一致が見られない模様です。
国内外でイスラエル政府、特にネタニヤフ首相への非難が高まり、イスラエルが国際社会において孤立を深める中、イランによる攻撃は国際的なシンパシーを得るには格好の機会だったはずですが、最大の支援国米国からも報復をすべきではないという釘を刺されているのが実情です。
ガザへの侵攻に対して、バイデン大統領からの申し入れに耳を傾けないネタニヤフ首相の姿勢に鑑みると、実際にイスラエルがどのような報復を考えているのかは読めない状況です。
しかし、イスラエルによる報復の内容によっては、アラブ諸国のみならず、世界中に戦火が拡がり、終わりなき戦争に発展しかねません。イスラエルとイランのみならず、欧米諸国と周辺諸国はどちらに進もうとしているのでしょうか?
「やめ時を失った戦争」が世界に想定外の悲劇をもたらす
「私たちはもうこの戦争のやめ時を逃してしまったのかもしれない」
「自分たちが生命を賭して戦っているにもかかわらず、自らの意思で戦いを止める選択肢が与えられていない」
「踏ん張っていれば、助けが必ず来る、と言われて戦ってきたが、ふと気が付いて後ろを振り返ってみたら、誰もいないことに気づいた。目前には敵がいて進めないし、戻るための道は焼き尽くされていて、後退りもできない」
「後戻りできるポイントはとっくに超えてしまった。生きるも死ぬも前に進み続けるしかない」
このような感情や状況は、現在進行形の様々な戦い・紛争の当事者となった人たちの間でシェアされている悲しい内容です。
ロシアとウクライナの戦争。イスラエルとハマスの終わりなき戦いと、イスラエルによるガザでの大量殺戮。イスラエルとイランが高める緊張。勃発からもうすぐ1年が経つスーダンでの内戦。エチオピア政府が仕掛けたティグレイ族殲滅作戦における血で血を洗う戦い。ミャンマー国軍と民主派武装勢力との互いの存亡を賭けた戦い…。
熾烈な殺し合いが続き、多くの市民が犠牲になり国を追われる運命を辿ることになる国際紛争・内紛はどれも“やめどき”を見失ってしまったがゆえに悲劇が不必要に拡大しているように感じます。
上記の感情や言葉は、紛争調停の現場において当事者たちと言葉を交わす際に、ふとした時に当事者たちが呟く内容です。
「やめたいと感じた時こそ、武器を置いて止めることができるチャンスなんじゃないかな」
“やめたい”という思いが吐露される際、調停官としては停戦・休戦に向けたきっかけを作り出す絶好の機会だと感じて、背中を押すこともありますが、戦争・紛争が直接交戦国・組織同士の争いに留まらず、双方に既に多くの利害関係者が付いていて、“戦い”に賭けているような場合、“本人の一存”ではもうやめることができない状況に追いやられていることが多いのも事実です。
上記にリストアップした現在進行形の戦いにおいて、恐らく「ああ、もうやめた」と言って戦争を止めることができるのは、ロシアのプーチン大統領ぐらいかもしれません。<中略>
ネタニヤフ首相が「戦争をやめられない」2つの理由
イスラエルは、ハマスによる同時多発攻撃に端を発するガザ侵攻で、自衛権の発動という“大義”のもとガザを徹底的に破壊しました。国際社会からの非難が高まり孤立してもなお、攻撃の手を緩める様子はありません。
これに対し欧米諸国は、表面的にはイスラエルを支持しつつも非難も織り交ぜて、自らの「ウクライナでの失敗」の負い目を隠そうとしているとも取れます。
ネタニヤフ首相はそんな欧米諸国の思惑を上手に利用しているという見方もできますが、今回のガザにおける過剰なまでの殺戮の背景には、彼のopportunist(※機会主義者、日和見主義者)としての表情の他に、イスラエルとイスラエル人が抱える根底的な安全保障に対する意識が存在しており、それを具現化するネタニヤフ首相の方針を結果的に支えているように見えます。
その意識ですが、イスラエルの安全保障の担当者や研究者の見解を整理すると、
- 「誰もユダヤ人を守ってくれないから、自らの手で守るしかない」
- 「国際法の遵守は大事だが、我々の生存のためには国際法違反もやむを得ない」
- 「自分たちの身を守るには、圧倒的な力をもって敵を攻め落とすしかなく、仮に他国がその行為を非難しても、安全保障のためには方針を貫くべき」
という共通のメンタリティーとしてシェアされているとのことです。この主張ですが、プーチン大統領が強調するロシア人の安全保障観にも酷似しているように思いませんか?
もちろん、かねてより触れているように、ネタニヤフ首相は国内で訴追の危機にあり、かつ10月7日のハマスによる大規模攻撃を防ぐことができなかったことへの非難が高まって退陣を迫られていることから、危機的な状況を作り出し、それに対応するためにはリーダーの座に留まる必要があるというアピール、つまり自身の政治生命の延命という目的は存在すると考えます。
とはいえ同時に、強権と言われてもイスラエルをこれまで発展させてきた自らの政治手腕の基礎にある“反ハマス”をここで徹底的に実施し、自らの大失敗を取り戻したいとの思いもあるのだと思います。
ゆえに今、アメリカ議会から非難されても、国内で退陣要求のデモに直面しても、ネタニヤフ首相は止めるわけにはいかず、そして対ハマスの戦いの手を緩めることもできなくなっているわけです。
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