先日掲載の記事で人気のメモツール「Evernote」を自身の主要なツールから外すとし、Evernoteの「総括」を行った文筆家の倉下忠憲さん。今回倉下さんはメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』で、「どこまで脱Evernoteできたのか」と題してその後の情報保存体制がどう変化したかを綴るとともに、Evernoteから離れて気づいたことを記しています。
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※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:どこまで脱Evernoteできたのか
どこまで脱Evernoteできたのか
以前、「脱Evernoteを進める」という話をしました。サブとしてEvernoteを使っている状況から、ほとんどまったくEvernoteを使わなくなる状況へシフトする試みです。
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なぜそんなことになったのかと言えば、性急な無料プランの機能制限で、Evernote社への不信感が高まったせいです。いくらなんでも無料ユーザーを軽視しすぎているのではないか、と。
一方で、その後Twitterを定期的に「Evernote」というキーワードで検索していると、地獄絵図が広がっていました。ずっと無料で使っている上に、今後も課金するつもりのないと宣言している人が一方的にEvernoteに文句を言っているのです。
Evernoteだって営利企業なわけですから、お金を払ってくれる「お客さん」が重要であり、リソースが限られているならばその「お客さん」に向けて仕事をしていく、というのは経営判断としては十分ありえるでしょう。
そうした背景を何も加味することなく文句だけを言っているユーザーがそうとう多くいたのならば、逆説的に今回のEvernote社の対応はそれなりに「正しかった」(倫理的というよりも、経営的に)とは言えるのでしょう。
実際、単にEvernoteを使わなくなっただけでなく「アカウントを削除しました」と宣言しているユーザーを多くみかけました。まさにそれがEvernote社が望んでいた状況でしょう。
結局その後のEvernoteの展開を見ていると、非常にスピーディーに新機能が追加されていて、そのどれもが「モダン」なデジタルノートツールの路線に沿っています。スラッシュコマンドなどは利便性も高く、AIによるノートのサポートもバリエーションが増えていました。着実に高機能化が進められており、「お金を払う価値がある」と思ってもらえるノートツールになろうと努力しているのがうかがえます。
私の場合でも、「先にノートリンクを作ってから、ノートを作る」といういわゆるwikiの空リンク機能が使えるようになったのは高評価でした。Scrapboxに慣れた身としては、先にリンクを作る形でないとどうしてもまどろっこしいのです。この地味な機能が実装されたことは、ある程度「デジタルノート利用」についての勘所が開発方針に織り込まれているのだと推測できます。
ですので、今後Evernoteがじりじり悪くなるというよりは、むしろ少しずつツールとしての機能性を高めていくことが期待できます。
だったら、再びEvernoteに戻るのかというと、そういうわけでもありません。間違いなく、今後はもっと「便利な」ツールになっていくでしょうが、そうなればそうなるほど「静かなツール」からは離れていくはずです。
あいかわらずラフに保存しておくには最強のツールなので、archiveツールとして利用する可能性はあるものの、普段遣いのノートとして利用する可能性はほとんどありません。そして、新しい機能が追加されるたびに、その可能性は下がっていきます。
もちろんこれはEvernoteが悪いというのではなく、単に私が求めているツールとの方向性が違っているだけです。そればかりはどうしようもありません。
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