「褒めるのは叱るのと同じくらい難しい」と思われている方、多いのではないでしょうか。どんな人に対しても使える、万能なほめ言葉があるのなら、知っておきたいものですよね。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、そんな「必殺褒めワード」を紹介しています。
万能に使える「必殺褒めワード」とは
褒め方をどうするか。叱り方と同じかそれ以上に難しいことである。なぜなら、ここを間違えると、とんでもない方向に子どもが育ってしまうからである(ちなみにアドラー心理学では、両方が否定されている。褒めるも叱るもしない。「認める」だけである)。
誰でもいつでも簡単、確実に+の成長効果が望める褒め方(認め方と言ってもいい)ワードがある。私は、かなりこれを多用していることに気付いた。むしろ、1年生相手の今など、ほとんどがこれである。無意識に使っていたことに、はたと気付いたので、シェアしたくなった次第である。
何という言葉を思い浮かべるだろうか。考えてから読み進めて欲しい。なぜなら、がんばって考えてから得たものは、価値が高まり、記憶に残るからである。あっさり手に入ったものは、価値が低いと脳がみなす傾向にある。私自身が気付くのに膨大な時間がかかったのだから、せめて読者の貴方には1分ぐらいは使って欲しい。ケータイメモでも何でもいいから、できれば最低一つは書き出して欲しい。
もう書いただろうか?いや、書いてなければ、読み進めていないはずである。ただ知ることではなく、学習効果を高めることが大切なのである。がんばって書いて欲しい。
書いただろうか?書いていないはずがない。がんばって書いたはずである。そう信じる。もう引っ張りすぎたからこの辺りで。ずばり、その必殺褒めワードは
「がんばったね」
これである。拍子抜けしたかもしれないが、これである。きっと、貴方はこれを読むまでに、たくさん考えて書いたはずである。そんな貴方には、心から「がんばったね」と伝えたい。
「がんばる」は「頑張る」(=頑なに張る)と書く故に、否定的に捉えられることもある。微妙な「活用」が大切なのである(ただし中高生校時代に覚えた何行何段活用とかは、さっぱり忘れた)。言葉は、一文字の違いでも大きく意味が変わる。相手が嬉しくないことが多い活用形は「頑張れ」「頑張って」である。単なる努力不足の場合、言った方がいいこともあるのだが、精一杯やっている場合には、結構しんどい言葉である(ちなみに、鬱病の人への禁句ワードでもある)。
この言い方には「もっと」という叱咤と否定の思いが込められている。
これに対し「がんばったね」は、相手の努力を認め、たたえる言葉である。褒めると認めるの両方の性質をもつ言葉である。
これは、かなり汎用性がある。多くの場合で「がんばったね」は使える。例えば、難解な試験に合格した際や、テストで100点をとった際。単に「すごいね」と褒めれば、能力の自信がつくかもしれないが、「私は他人よりすごい」という尊大な心も育つ可能性がある。これが繰り返されると、他人を見下すようになるかもしれない。あるいは、その肩書きやランクにある人間、結果がすごいと思うようになるかもしれない。
「がんばったね」と褒めれば、その人自身の努力を認めていることになる。気力がある場合「次もがんばろう」と更に成長が望める。全力を尽くした場合「もっとがんばれ」と言っている訳ではないので、他者との競争によるエンドレスの苦しみから抜け出せる。結果がどうあれ、相手の現在そのもの、努力そのものを認められるのである。
もっと身近で日常的な例だと「苦手な野菜を食べられたよ」というようなことを言ってきた場合。「がんばったね」でばっちりである。つい「えらいね」と言ってしまいたくなるが、野菜を食べること自体は全然偉い行為ではないのである。むしろ偉いのは、それを作ってくれた人々や自然の方である(他人のためになる何かを成し遂げた時に「偉い」は使われるべき言葉である。使い方要注意ワードである)。
「がんばる」が否定されがちな傾向がある。楽々、ゆるゆるいきましょうという気風。頑張りすぎてストレスフルな社会に生きている現代人には、必要な考え方でもある。しかし、子どもや若者は、やっぱり「がんばる」ことで成長する(そしてがんばれる人は、何歳でも若者である)。
「のびのびがんばる」ことだってできる。楽しい努力というのは存在する。苦しいが楽しいということも存在する。今流行りのジム通いや市民マラソンランナーなど、その最たる例である。
「がんばったね」は、汎用性の高い、万能の必殺ほめ言葉である。
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