ほんの小さな行き違いから、コミュニケーションに齟齬が生じてしまうことは少なくありません。そして齟齬解消への努力を怠っていると、やがて虐待やイジメといった悲劇に発展して行くこともあります。今回の無料メルマガ『いじめから子どもを守ろう!ネットワーク』では、著者が見舞いに訪れた病院で目撃した看護師と高齢患者のやり取りから、高齢者虐待と子どものいじめの相関性を指摘し、その対応を訴えています。
高齢者虐待と子どものイジメの相関性
入院した知人を見舞いに、夕方、総合病院に行った。友人はカーテンで仕切られた6人部屋にいる。カーテン越しに、隣の86歳のおばあさんと若い看護師さんの会話のやり取りが耳に入ってきた。おばあさんは必死だった。
「点滴の針が痛いので取ってほしい。昼間からそう言っているのに。どうして私の言うことに耳を貸してくれないの?」
周囲の患者さん達から、ひそひそと「困ったもんだわね」という声やため息が聞こえてくる。看護師さんに迷惑をかけるおばあさん、というコンセンサスで満ちていた。
周囲を気にしながら、若い看護師さんはこう言った。
「ドクターが決めることなので、私ではできません」
「痛くてしょうがないから、眠れないから。夜だけでも外してほしい。なぜ私を苦しめて平気なのですか?」
看護師さんの説明では、一度抜いたら、また別の腕や足に点滴の針をつけないといけない。だから抜けない、というものだ。しかし、お婆さんは、それでいいから自己責任だから抜いてくれというもので堂々巡りをしている。
とうとう看護師さんは強めの口調で言った。
「24時間、点滴をうたなくてはならないという指示が医師から出ているのです」
「なぜ、今になってそういうことを言うの?なぜ医者から直接説明をうけることができないの?私は患者でしょ」
「どうしても外せません。看護師である私の言うことに従ってください。痛み止めの薬ならあります」
おばあさんは、
「もういいです。あなたとは話をしません。夕飯もたべません。痛くとも痛み止めの薬も飲みません。すべて拒否します。死にます」
と、毅然と言い放った。若い看護師さんは途方にくれてしまい、むしろ若い看護師さんのほうが泣き出しそうであった。
私が聞き取ったおばあさんの本当の主訴はこうだった。
「点滴を打たれているので、腕をまくりあげられて、布団の上に置かれた腕が冷えて痛い。さらに動かせないので痛い。布団が腕に当たって痛い。点滴の針を抜けないのであれば仕方ないので、布団の中に腕を入れて寒くないようにしたい。なんとかして」
というものだ。
ほんの少し、相手の立場にたって、
「痛かったですね。よく我慢しましたね。たいへん立派です」
と言って思いやりを示してあげたり、腕が冷えないようにカイロをそばにおいたり、腕を布団の中に入れて、布団が痛い腕に当たらないように、ガードしてあげたり、やわらかいクッションをあてたり、何かしてあげることもできたはず。温かさは痛みを緩和することができる。物理的にも、心理的にも…だ。
「明日の午前〇時に担当医が巡回に来るので、あと少しお待ちください」
と具体的にわかるように時間を区切ったり、さらには、
「今、先生に聞いてきますね」
と確認してあげたら、もっと良いだろう。しかし、
「私の指示および指導に従いなさい、きまりです」
というお達しで、お婆さんの心は凍ってしまった。おそらく看護師さんの言うことは正しいのだろう。しかし、人間は感情で動くものだ。感情が納得できなければ、どんな指導も人には入っていかないのだ。人は、「理解された」、「優しくされた」と納得しなければ、動いたりしない。
イジメ被害者の訴えも同じだ。
「イジメを止めさせてほしい」
「イジメでつらい思いをしているのは私なのに、どうして、イジメられている私の言うことや話を聞いてくれないの」
「いじめっ子のクラス替えはできないの?イジメを取り除くことが出来ないのであれば、せめて私を守ってもらえないの。できることはないのですか」
イジメは授業中におきるわけではない。休憩時間、昼休みが中心だ。この子だって、忙しい担任の先生に無理を言いたいわけではあるまい。たとえば、巡回の先生に来てもらうとかの方法も考えられる。イジメで苦しんでいる子どもたちを、保健室というあたたかい空間に移動させるとか、いろいろ創意工夫できることがあるでしょう。
「どうして提案してくれないのですか。担任の先生の一人の判断でできないのですか。では、校長先生とお話しさせてもらえませんか」
しかし、担任の冷たい一言ですべてが終わる。
「そんなことをいうのは貴方だけです」
「学校の規則ですから」
「校長先生は忙しいのです。あなたの相手などしていられません」
これでは、もう子どもは引きこもるしかありません。
高齢者から、適切な治療や食事を奪ってはならない。幸福に人生を終焉する権利を奪ってはならない。子どもから教育を受けられる権利を奪ってはならない。未来への希望を奪ってはならない。病院にとって、患者さんは大切な医療チームの一員である。学校にとって、子どもは大切な宝物に他ならない。
本当に患者さんの病気を治したいのであれば、子どものイジメを無くしたいのであれば、人間の痛みと苦しみに寄り添い、その針や棘を抜いてあげる努力を続け、安寧と平穏な心境を与えていく努力を決して惜しまない、そんな医療者、そんな教育者でありたいと私は願っている。
前名古屋市教育委員会 SSW 社会福祉士 精神保健福祉士 福祉系大学講師
堀田利恵
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