韓国やロシアとの間にも緊張が走り慌ただしさを増す日本の外交。この荒波を乗り越えるため、我が国はどのような政策を取るべきなのでしょうか。国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんは、自身の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』で世界的戦略家の著作を引きながら、過去の世界大戦の主要国・イギリスとドイツの明暗を分けた戦略の相違点に着目し分析した上で、日本外交に必要な「大戦略」を記しています。
日本に必要な「戦略的忍耐」
日本で、韓国、そしてロシアに対する感情が悪化しています。韓国は、徴用工問題、レーダー照射問題で。ロシアは、北方領土問題で。私も、憤りを共有しています。しかし、ここで冷静さを保てるかどうかが、「勝敗の分かれ目」。まだの人は、是非ごちらをご一読ください。そして、もう100回読んだ人も、後10回読んでください。
ここには、中国の「対日戦略」がはっきりと記されています。つまり、日米関係、日ロ関係、日韓関係を破壊することで、日本を孤立させ、破滅される(大意)。それで、日本の行く道は、日米関係、日ロ関係、日韓関係をますます強固にすることで、中国の戦略を無力化させることである。
安倍総理は、15、16、17年と、忍耐強くこの戦略を進め、中国の「反日統一共同戦線」を無力化させることに成功しました。そして、2018年、米中覇権戦争がはじまった。米中戦争の結果、日本も経済的損失を免れません。しかし、中国が目指した、「中国、アメリカ、ロシア、韓国で日本を壊滅させる」状態よりは、全然マシです。
ところが、日本と米ロ韓の関係を見ると、かなり「中国が喜ぶ状態にむかっている」ことがわかります。
- 日米=日本が中国に接近することで、アメリカ側に不信感が芽生えている
- 日ロ=金儲けの話を減らし、北方領土問題解決を前面に出しはじめたので、ロシア側が身構えている
- 日韓=徴用工問題、レーダー照射問題で対立が深刻化している
これを見ると、「韓国が悪いから」「ロシアが悪いから」という論理は、非常に理解できます。しかし、「大戦略の道」を進みたければ、「善」とか「悪」とかで物事を考えないようにする必要があります
たとえばアメリカは、ヒトラーに勝つために、人類史上に残る悪人スターリンと組んだ。その時、「スターリンのような『悪人』と組むのはやめましょう」とはいわなかったのです。そして、1970年代、アメリカはソ連に勝つために、これも人類史上に残る悪人・毛沢東と組みました。非道徳的な話ですが、これが「戦勝国」と「敗戦国」の違い。
なぜイギリスは、ドイツの勝てたのか?
アメリカの前の覇権国家、イギリス。19世紀、ビクトリア女王の時代に絶頂期を迎えました。しかし、1890年頃には、新興国家ドイツに負けつつありました。
この当時のドイツは、イギリスを産業革新の面で追い抜きつつあり、その結果としてグローバル市場での競争に勝ち、資本を蓄積し、それをさらにイノベーションにつぎ込むことによって、イギリスが優位を保っていた分野を次々と奪っていた。当時はまだ重要であった鉄鋼産業においても、ドイツの優位は増すばかりであった。また、当時の最先端産業であった化学分野におけるドイツの優位は、すでに絶対的なものだった。
(『自滅する中国』(ルトワック)p90)
覇権国家イギリス、経済分野でドイツに「完敗」の様相です。ドイツは、金儲けだけに励んでいたのではありません。儲けた金を、国民に還元もしていました。世界ではじめて「健康保険」「労災保険」「国民年金制度」などを作り、国民の幸福増進にまい進していたのです。
「ていうか、イギリスの強さの源泉は、金融でしょ?」
そう思う方もいるでしょう。しかし…。
世界の主要準備通貨としてのポンドの一極支配などによる構造的な優位性の両方が、ドイツ経済の活性化による急速な資本形成によって覆されようとしていた。ハンブルグのヴァールブルク銀行はロンドンのロスチャイルド銀行を抜き去ろうとしていたし、イギリスの最大の銀行でさえもドイツ銀行の前では影が薄くなっていた。ドイツ銀行は一九一四年に世界最大の銀行となり、金融業界で最も競争力のある銀行になっていた
(同上 P91)
1890年、誰もが「ドイツの未来は明るく、イギリスの未来は暗い」と考えていました。ところが実際は、どうなったのでしょうか?ドイツは、第1次大戦、第2次大戦でイギリスを中心とする勢力に敗北。2次大戦後は、西ドイツと東ドイツに分断されてしまいます。1890年の希望は見事に裏切られ、ドイツの20世紀は、「悲惨」でした。なぜそうなったのでしょうか?
原因は、イギリスにありました。1890年当時、イギリスは、フランス、ロシアと「植民地獲得競争」に明け暮れていました。フランスとは、アフリカとインドシナで競走していた。ロシアとは、中央アジアで競争していた。それで、イギリスにとって、
- 仮想敵ナンバー1=フランス
- 仮想敵ナンバー2=ロシア
だったのです。ところが、イギリスがフランス、ロシアと争っているうちに、「あれよあれよ」とドイツが台頭してきて、最大の脅威になってきた。それで、イギリスはどうしたか?仮想敵ナンバー1、フランスと「和解」したのです。英仏は、
- モロッコ問題
- ニューファンドランド島問題
- タイ問題
- 東アフリカ、中央アフリカ問題
- マダガスカル島問題
- ニューヘブリデス諸島問題
などを、急速に解決していきました。1904年までに和解を完了したイギリスとフランス。今度は両国一体化して、ドイツの海洋進出を阻むようになっていきます。
仮想敵ナンバー1と和解したイギリス。今度は、仮想敵ナンバー2ロシアとの和解に動きます。1907年8月、イギリスとロシアは、「英露協商」を締結しました。さらにイギリスは1902年、日英同盟を締結。ドイツが日本と組む道を閉ざしました。もう一つの重要なファクターがアメリカです。イギリスは、「あらゆる犠牲を払ってもアメリカと良好な関係を保つこと」を決意し、そのようにしました。
こうして、1890年時点でドイツに「覇権を奪われるか?」と恐怖していたイギリス。1907年までに、フランス、ロシア、日本、アメリカを味方につけることに成功したのです。結果、ドイツには、弱い同盟国しか残りませんでした。それは、オーストリア=ハンガリー帝国(民族紛争がひどかった)、イタリア(弱い軍隊しかなかった)、オスマン帝国(近代化できず、なおかつイタリアと仲が悪い)。
結果、どうなったか?皆さんご存知です。1914年にはじまった第1次世界大戦で、ドイツは完敗したのです。しかし、ドイツが負けることは、イギリスが1907年までに、フランス、ロシア、日本、アメリカを味方につけた時点で決まっていたのです。
国力でドイツに劣るイギリスが勝利できた要因は2つです。
- 「外交力」によって、有力な国々を味方につけることができた。(そのために、イギリスは、大きな譲歩をしている。)
- 外交を導く、確固たる「大戦略」があった。
一方、強い経済、強い軍隊があったドイツは、それにあまりも頼りすぎ、「大戦略」でイギリスに負けたのです。ルトワックはいいます。
最終的な結果を決めるのは、それらよりもさらに高い大戦略レベルである。
ドイツ陸軍が1914年から1918年にかけて獲得した、数多くの戦術・作戦レベルの勝利でさえも、より高い戦略レベルを打ち破り、そのトップの大戦略レベルまで到達することはなかった。したがって、ドイツ陸軍の激しい戦いは何も達成しなかったのであり、それはまるで彼らが最高ではなく、最低の軍隊であることを証明してしまったのと同じなのだ。
(同上 p98)
皆さん、イギリスとドイツの話を読まれてどう思われましたか?
イギリスは、ドイツに勝つために、仮想敵ナンバー1フランス、仮想敵ナンバー2ロシアと和解しました。それは、簡単だったと思いますか?そうではないでしょう。それでも彼らは、ドイツに勝つために忍耐したのです。「戦略的忍耐」です。だからイギリスは、勝てたのです。
日本は、「日本には沖縄の領有権もない!」と主張する中国に勝てるのでしょうか?それは、日本人が、少なくとも安倍政権が、感情ではなく「大戦略」に従って進めるかどうかにかかっています。
日本にも、イギリス並の「戦略的忍耐力」が必要です。それがあれば、勝利は確実です。
image by: 首相官邸