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少しだけ亡き人の傍に。京都六道珍皇寺で冥界に届く鐘の音を聞く

建仁寺の塔頭寺院・六道珍皇寺は、かつて葬場の入り口にあったとされています。いまでは「六道さん」の愛称で親しまれているお寺ですが、伝えられる話によれば、この場所は現世と冥界の接点にあたるのだとか…。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英 学(はなぶさ がく)さんが、精霊を呼ぶ鐘や冥界への井戸など「六道さん」にまつわる数々の逸話、伝説を紹介しています。

六道珍皇寺の怖い話

今日は「六道さん」の名前で親しまれている建仁寺の塔頭寺院・六道珍皇寺をご案内します。お盆の時期の迎え鐘で有名な場所なので、この時期はややひっそりとしているかもわかりません。ただそのような時期にこそ訪れてじっくりと見学してみて下さい。

かつてこの地は葬場の入り口にあったとされています。この地が現世と冥界の接点である六の辻道」と考えられていたのです。そして六道珍皇寺の梵鐘の迎え鐘によって精霊がこの世によみがえってくると信じられていました。

境内には平安初期の学者で歌人としても有名だったい小野篁たかむらが冥界へ通ったという伝説の井戸があります。また境内に入ってすぐ右側には閻魔王像を祀る閻魔堂が建っています。

平成末期、六波羅の地は平清盛を始め、平家一門の邸宅が数多く軒を連ねた栄華の地でした。

鎌倉時代には、幕府が朝廷と西国を監視するために設置した六波羅探題の置かれた場所でもあります。

六波羅は霊の多く集まる原野や葬送地を意味します。

六波羅から南に下った山際は鳥辺山と呼ばれ、鳥辺野に続く葬送地でした。鳥辺山は阿弥陀ヶ峰と呼ばれる標高196メートルの山で、その麓の東側を鳥辺野と呼びます。天平時代に行基がこの山の中腹に阿弥陀堂を建てたのが阿弥陀ヶ峰の由来といわれています。山頂には豊臣秀吉の霊廟・豊国廟があります。

六波羅から鳥辺野にかけての地は、都から鴨川を渡って遺体を運ぶ人々の行列が出来たといいます。鴨川を渡るのは三途の川を渡る行為に等しいとされ、この辺りを六道の辻と呼ぶようになったそうです。

六道とは仏説に説く六つの迷界のことで、地獄界、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天上界のことです。人は死ぬと生前の行いによって、この辻から六道のどこかへ転生するという。

六道珍皇寺は、空海の師・慶俊僧都が延暦年間に開いた寺で愛宕寺おたぎでら)と呼ばれていました。元は東寺の末寺として真言宗の寺でした。その後室町時代、1364年に建仁寺の門渓良聰により再興され、現在も建仁寺の末寺として臨済宗の寺院です。

山門をくぐるとすぐ右側に閻魔堂があり、格子の隙間から閻魔大王の像を垣間見ることが出来ます。閻魔大王の傍らには小野篁の衣冠束帯姿の像が堂々と立っています。小野篁は802年に生まれた学者で、武芸全般にも優れていたと伝えられています。また、日本の白楽天と呼ばれるほど傑出した詩人でもあったようです。また、政界の不正を暴いて告発する弾正台の次官や、役人の不正を正す勘解由使の長官をも務めたそうです。

篁は閻魔の冥官として毎晩冥界へ通い閻魔に仕えたと言われています。珍皇寺本堂裏手に篁が冥界へ下りるときに用いたという井戸があります。

珍皇寺の門を出て左へ歩くと幽霊子育飴と呼ばれる飴が売られています。なんとも怪しげな名前の飴を代々売っているお店なので立ち寄ってみて下さい。

珍皇寺の梵鐘の鐘は古来よりその音が冥界にまで届くと信じられ、亡者がこの世に呼び出されるので、「迎え鐘」と呼ばれています。

image by: 京都フリー写真素材

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【著者】 英学(はなぶさ がく) 【発行周期】 ほぼ週刊

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