ユダヤ人の民族大虐殺を主導するなど、20世紀の世界に混乱をもたらした史上最悪の独裁者、アドルフ・ヒトラー。今回、国際ジャーナリストの北野幸伯さんは、自身の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』で、敢えてこの悪名高き独裁者ヒトラーが率いたドイツの戦闘経過を記しながら、そこから学ぶべき「負の教訓」を挙げるとともに、日本の現在の外交戦略に対して疑問を投げかけています。
ヒトラーは、どこで失敗したのか?
日本は、概して「善悪論」ですね。今までは、ずっと「日本だけが悪い」ことになっていた。これを「自虐史観」といいます。ところが最近は、「実をいうと、アメリカの方が悪かった」ということになりつつある。フーバー大統領やマッカーサーの証言が知られてきた。それで、ルーズベルトは「真珠湾攻撃を事前に知っていた」ことが認知されつつある。そうはいっても「世界的に認知されつつある」とは、ほど遠い状態ですが…。フーバー元大統領が、「ルーズベルトは狂人だ!」といっている。マッカーサーも、「日本は自衛戦争だ」といっている。それで、私たちは「自虐史観」から抜けることができます。
しかし、私たちは「次のステップ」に進まなければなりません。それは、「じゃあ、どうすれば勝てたの???」という質問に答えることです。これちゃんとやっておかないと、「また敗戦」ということになる。相手がズルしたとか関係なく、「じゃあ、どうすれば勝てたの?」と考える。これ、絶対必要ですが、日本ではほとんどされていません。
それで私は、『中国に勝つ 日本の大戦略 プーチン流現実主義が日本を救う』を書きました。ここに、「どうして負けたのか?」「どうすれば勝てたのか?」「次はどうすれば勝てるのか?」の答えを書いています。まだの方は、是非ご一読ください。
私は、歴史の勉強をしていて、はっきりと「勝ち負けの法則」があることに気がつきました。今回は、「ヒトラー」の例をあげます。
ヒトラーの跳躍
「アーリア人種は世界一優秀」「ユダヤ人を絶滅せよ」など、過激思想で知られるヒトラー。彼は、なぜ政権につくことができたのでしょうか?
一つは、第1次大戦の講和条約である「ヴェルサイユ条約」が、ドイツに過酷だった。ドイツは、欧州のかなりの領土と、海外の植民地を失いました。そして、賠償金は、国民総所得の2.5倍という膨大な額。今の日本でいえば、「1,250兆円の賠償金」という感じ。それで、ドイツ人は【怒っていた】のです。この【怒っていた】という状態、重要です。
そして1929年に「世界恐慌」が起こった。ドイツでも、失業率が40%まで跳ね上がりました。この怒りと絶望に乗じて、ヒトラーは政権をとった。
1932年の議会選挙でナチスは、第1党に。1933年、ヒトラーは首相に。1934年、ヒンデンブルグ大統領が死んだ。ヒトラーは、「首相と大統領」を兼任する「総統」になりました。この措置、国民投票で約9割の支持を得た。そう、日本人に匹敵するほど勤勉で真面目なドイツ人たちは、明らかにヒトラーを支持していた。それも、圧倒的に。
政権につくとヒトラーは、なんと「ケインズ的政策」を徹底的にしました。高速道路をジャンジャンつくり、住宅補修、改修に補助金を出し。「自動車を一家に1台」をスローガンに掲げ、自動車購入は免税とした。さらに、結婚奨学金を出し、家事手伝いを奨励。労働市場から女性を、退場させた。徴兵を復活させ、86万人の失業者を吸収させました。
1935年、首相就任からわずか2年。ドイツの失業率は、40%から激減し、完全雇用が達成された。1936年のGDPは1932年比で、なんと50%も増加した。ドイツ国民は、ヒトラーを「神」と仰ぐようになりました。
ソ連と組んだヒトラーの戦略
ここで止まっておけばよかったものを。
ヒトラーは、次に進みます。彼には、三つの目標がありました。
- ヴェルサイユ条約で失った領土の回復
- ソ連の資源を確保する
- ソ連共産主義を根絶すること
そう、彼の主敵は「ソ連」だった。それで、イギリスもフランスも、当初はヒトラーの動きを容認していました。なぜなら、「ヒトラーのドイツは、ソ連の侵攻を防いでくれる防波堤になる」と考えていた。
ヒトラーは、1938年、オーストリア併合、1939年3月、チェコ併合。これは、何の抵抗もなく行われたのです。
次に目をつけたのが、ポーランド。ヒトラーは、「ポーランドを攻めると、イギリス、フランスが動くかもしれんな」と懸念します。それで、驚きの行動にでました。1939年8月、なんと「仮想敵ナンバー1」であるはずのソ連と「独ソ不可侵条約」を結んだ。
この「非道徳的行動」の「戦略的意義」は????そう、「二正面作戦」を回避するためです。ポーランドを攻める。イギリス、フランスが、西からドイツを攻撃する。ソ連が東からドイツを攻撃する。こうなるとドイツは「やばい状況」になりますね。だから、ヒトラーはスターリンに、「東欧は、ドイツとソ連で分割統治しよう」と提案し、合意した。
スターリンは、なぜこの話に乗ったのでしょうか?ヒトラーがイギリス、フランスと戦ってくれる。すると、ドイツ、イギリス、フランスがみんな疲弊して、ソ連だけ無傷でいられるでしょう。
こうして、ヒトラーは1939年9月、ポーランドに侵攻。イギリス、フランスが宣戦布告し、第2次大戦がはじまりました。しかし、彼は、東のソ連と不可侵条約を結んでいるので、安心して西に向かうことができた。ポーランド、デンマーク、ノルウェーなどをアッという間に制圧。そして、1940年6月、なんと大国フランスを1か月で降伏させることに成功します。
ヒトラーはなぜ負けた???
こうして、ドイツは、東欧、西欧、北欧で、むかうところ敵なし。残るは、「イギリスだけ」という状態になった。東は、独ソ不可侵条約で、まあまあ安心できる。だから、ほとんど全勢力をイギリス攻略にむけることができる。ところが…。
ヒトラーは、ここで大きなミスを犯します。なんと、スターリンとケンカしはじめたのです。理由はいろいろありますが。たとえばソ連は、ルーマニアに侵攻した。ドイツは、ルーマニアの石油を必要としていた。また、ドイツは、フィンランドに進軍していた。ソ連は、「フィンランドは、俺たちのものだ」と主張していた。ドイツとソ連は交渉をつづけますが、お互い譲歩することができず、まとまりません。
1940年11月、ヒトラーは「ソ連侵攻」を決意します。なんと「5か月でソ連との戦争は終わる」とアマアマな見通しをもっていた。1941年6月、ドイツはソ連を攻撃し、独ソ戦が始まりました。大喜びしたのは、イギリスです。これでドイツは、西からイギリス、東からソ連に攻められることになる。
1941年12月、日本が真珠湾攻撃し、日米戦争がはじまった。ヒトラーは、アメリカに宣戦布告しました。これで、ドイツは、アメリカ、イギリス、ソ連を同時に敵にした。彼の運命は、1941年12月に決まったのです。
どうすればヒトラーは勝てたのか?
これ、わかりますね。ソ連と戦わずに、イギリスだけ攻めておけばよかったのです。で、同盟国の日本に、「アメリカと戦わなくてもいいから、イギリス軍がアジアから欧州に来れないように足止めしてくれ」と要求すれば、日本は動いたでしょうか?
とにかく、イギリス、ソ連と同時に戦わず、イギリスだけ攻めておけば、勝ち目はあった。ところが、ヒトラーは愚かにも、アメリカ、イギリス、ソ連を同時に敵にまわした。
日本の教訓
このように、実をいうと「勝利の方程式」はシンプルなのです。
- 敵の数をなるべく少なくすること
- 味方の数を増やすこと
これで勝てます。
日本はどうでしょうか?民主党時代、日米関係、日中関係、日ロ関係、日韓関係は最悪でした。日米関係は、「トラストミー」鳩山さんがぶち壊した。日中関係は、「尖閣中国漁船衝突事件」「尖閣国有化」で「戦後最悪」になっていた。日ロ関係は、メドが北方領土を訪問し、最悪になっていた。日韓関係は、李が「韓国に来たければ、日王は謝罪せよ!」といい、最悪になっていた。
これを、安倍総理が、一つ一つ丁寧に修復してきたのです。総理のおかげで、日米関係、日ロ関係、日韓関係がよくなった。その結果、日中関係までよくなってきた。
しかし、再び、日本外交に暗雲が漂っています。日韓関係が最悪になっている。プーチンがまったく譲歩しないので、日ロ関係が悪くなってきている。日本が中国に接近しすぎるので、日米関係がぎくしゃくしている。日中関係だけ改善している。これ、どこからどう見ても戦略的ではありません。
皆さんご存知です。中国の戦略は、日米関係、日ロ関係、日韓関係を破壊することで、日本を孤立させ、破滅させることです(この原文を再読して復習しよう!→「反日統一共同戦線を呼びかける中国」)。
だから日本の戦略は、日米関係、日ロ関係、日韓関係を良好に保つことで、中国の戦略を【無力化】させること。今、日本は、韓国、ロシアとの関係が悪化しています。
「むこうが悪いからだろ!」
その通り!ですが、事実は変えられません。それで、世界一喜んでいるのは、習近平です。なんといっても、私たち日本国民が、彼の思惑通りに動いているのですから。
私も、ムカついたり、怒ったりします。しかし、最後には必ず、以下の言葉を思い出します。
「戦略と感情が矛盾するとき、私たちは、必ず【戦略】を選択しなければならない。【また敗戦】したくなければ…」
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