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新元号発表を見てわかった。日米の最大の違いは政治家の所作だ

メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』を発行する米国の邦字紙『NEW YORK ビズ!』CEOの高橋さんが、「お忍び」出張で3週間ほど東京と台湾に滞在。その間に感じた日本の心地よいところ、ヘンなところ、気になったところをニューヨークの事情と比較して、紹介してくれる滞在記の第2弾。まずは、幸運にも引退試合を観戦できたイチローのエピソードから始まります。※第1弾はこちら

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アジア出張滞在記(2)

急きょ決定した東京出張でしたが、タイミング的に今回の出張が「運命」と勝手に妄想できたのは、ICHIRO選手の引退試合を見に行けたことでした。当然、プレスパスを取得するには時間的に間に合わず、自腹でチケットを購入。もちろん、いい席は売り切れていたので、かなり上の方の外野席。それでも、まさかICHIRO選手の引退試合に立ちあえるとは思っていなかったので幸運でした。 今から18年前、日本の生活を、家庭を、仕事を捨てて、アメリカに行こうと決意した際、留学斡旋業者の契約書にサインした帰り道。大阪は阪急ナビオの歩道橋の上、「イチロー、メジャーリーグ行き決定!」の号外が配られていました。 それ以前も大ファンでしたが、号外を受け取りながら、同い年の国民的スーパースターが、日本の確固たる地位を捨てて、本場アメリカに挑戦することを、そのタイミングで知り、勝手に運命を感じたのでした。 こんな一方的な運命の感じ方を、おそらく数えきれないくらいの僕と同世代の日本人男性がしているんだろうな、と想像できます。比べ物にならない圧倒的な差があっても、気持ちの上だけで意識するのはタダです。それ以降のアメリカ生活で、いつも憧れの対象として見続けてきました。2006年と2012年には、単独ではなくとも実際に取材する機会にも恵まれました。 特にヤンキースに移籍した初日。試合後のロッカールームで、「(今の気持ちが)夢みたいで、ほっぺたつねりたくなりますね」というコメントを引き出し、それが翌日のヤフーニュースにもなりました。 留学どころか海外旅行どころか国内線の飛行機にすらそれまで乗ったことがなく、英語も一切しゃべれず、ビザとパスポートの違いすらわからなかった男が、現地の日系でいちばん大きな新聞社を作ることができたのも、おそらく、はるか先の霞むほどの距離とはいえ、背番号51番が前を歩いてくれていたから。勝手に憧れ、勝手に追いかけ、自身を鼓舞してきた。僕と同じように日本には数えきれないほどの数で、ICHIRO選手に勇気付けられ、励まされた人間がいるんだろうなぁと思います。 この四半世紀、おそらく、日本のあらゆるビジネスシーン、あらゆるシチュエーションで「成功例」として、もっとも例え話に登場させられてきた男だと思います。同じ年に渡米した、同い年の歴史的ヒーローを、仕事で、プライベートで追ってきたこの20年弱でした。 多くのアスリートや、また違う業界でトップを走る人に、仕事がら僕は1000人近くインタビューしてきました。それでもICHIRO選手だけは、頭ひとつふたつ抜けている気がします。本当の意味で心から尊敬できる人間は、ひょっとしたら彼だけかもしれません。もちろんその1000人全員を尊敬しているとはいえ、ちょっと自分の考えすら及ばない領域に立っているのは彼ひとりのような気がします。

例えば、ヘンな話。あからさまにヘンな例え話ですが、もし、僕がICHIRO選手とまったく同じくらいの野球の才能と、まったく同じくらいの身体能力があったとして。まったく同じ大記録を打ち立てたとして。そこまで勝手にシュミレーションして。MVPだの、安打世界記録だの、10年連続200本だの、同じように出来たとして。それでも、彼が昨年から今年にかけて実際にやった「レギュラーを外されているにも関わらず、レギュラーと同じように毎日球場入りして、毎日練習して、ワンシーズンを過ごす」ことができただろうか。絶対にできない。 というか、できるからこそ、できた人間だからこそ、あれだけの大記録を毎年のようにうちたてることができたのだろうな、と振り出しに戻ります。つまり、勝手な妄想の段階で敵わない。ただの一般人が夢物語として、都合よく「自分だったら」とイメージしても、それでも届かない。ちょっと想像外の人間だった気がします。国民栄誉賞辞退も、2度目までなら想像はできます。同じように辞退する人間は他にもいるかもしれない。でも、引退して、3度目まで辞退する。そんな人間はいない。100回生まれ変わっても、勝てない気がします。その男の引退試合を日本の東京ドームで、実際に目撃できただけで、今回の出張はよかったなぁと思いました。 試合後の記者会見で、「日本のファンの表現力は、なんらアメリカに負けていない」と本人が言ったように、この日のファンたちの声援は、アメリカの球場で目にするそれ以上でした。「本場アメリカの応援の仕方は…」なんてセリフはもう時代遅れ。スポーツ観戦、コンサート会場、そのすべてにおいて、今の日本は、欧米よりも上手にプレイヤーを盛り上げているように見えます。本当の意味で、平成が終わるのだなと感じた日でした。

NYに比べ充実の映画館と、日本の桜の美しさ

翌日、仕事の合間に時間が空いたので、新宿の映画館にふらっと寄ってみます。NYでは毎週のようにサンダルでふらっと行く映画館も、日本の綺麗な映画館はちょっとだけ緊張気味になります。どうして、こうも緊張するのか。たぶん、カップルの割合が多いから。ニューヨークでももちろんそうですが、日本の映画館はニューヨーク以上にデートの定番スポットなのだとあらためて知りました。 デートなので、みんなちょっとオシャレしてるようにも見えます。平日の昼間にも関わらず、おっさんひとりで来ている僕は完全な少数派。NYの映画館には売られていないチュロスやソフトクリームを買いたいけど、自意識過剰で買いに行けない。誰も見てないのはわかってるんだけど。なにか恥ずかしい。勝手にひとりで。

ニューヨークの映画館ではパンフレットすら売られていません。なので、日本の劇場の関連グッズの多さに少し驚きます。配給会社にほぼ入場料を持っていかれる映画館側の貴重な売り上げとは聞いていましたが、ここまで充実してるとは。でも欲しいものは見当たりませんでした。ランチトートやフェイスタオルなんて、やっぱりその作品のファンなら購入したくなるものなのかな。 館内の座席も座り心地がよく、作品も当然ながら字幕スーパーがついてる。至れり尽くせりだな、と感動します。いつもの癖で、ついつい両足を前の座席にかけそうになり、「ここ日本だった」と慌ててひっこめる。 滞在中、満開のさくらも見ることができました。ちょっと息を飲むくらいの美しさ、でした。アメリカにこんな綺麗な花はないんじゃないか、と思うほどでした。実はアメリカだって、いまどき日本の苗木ごと持ってきて、まったく同じ品種の桜を見ることだって普通です。にもかかわらず、ここは生まれ故郷だという心のフィルターを通してみるからなのか、まったく同じ桜でも、日本で見ると明らかに感動します。 さくらを見るためだけに、毎年、この時期帰国する、というニューヨークの知り合いがいますが、少し気持ちがわかります。それだけの価値がある。満開の桜を見られただけで、この時期帰国して良かったと思うのは、明らかに老化現象かもしれません。なんなら、この感動を味わえるだけで、日頃アメリカで暮らして良かったとすら思える。やっぱり歳をとったのだと思います。 何度か宿泊先を移動している中、今回、国会議事堂近くのホテルにも滞在しました。場所がら、デモも多く、機動隊や警察の姿もチラホラ。夜、コンビニに買い出しに行った際、ひとりの中年男性とスレ違いました。見たことあるなぁと思いつつ、通り過ぎた後に「あ、以前、総理をされていた●●さんだ」と気づきました。当然、現総理大臣ではないので、SPもついていなく、オーラはまったくありませんでした。振り向き、少しの間、その姿を凝視すると、通りの向こうの警棒持った女性警官に、逆に凝視されていました。 それにしても、海外で暮らし、外から見ると、日本の総理大臣の入れ替わりの速さは、まるでコントのようにも見えます。今でこそ安倍さんが頑張ってるけれど、2000年代は年ごとにコロコロ変わっていました。まるでお笑い芸人の「ABCお笑いコンテスト」の優勝みたいに、持ち回りで総理の椅子をパスし合ってるようにすら見えました。

東京と台湾、それぞれ別方向のタクシー事情

今回の出張は、東京滞在中に台湾へ1週間行くことになりました。あるクライアントとの打ち合わせで台北に行くのですが、せっかくなので、ついでに台中、台南、高尾もプライベートで回ってみようと思いました。台北には6~7年前に行ったことがあるので、できれば行ったことがない土地にも足を運んでみたい。そんなに大きくない国は、割と簡単に端から端まで行けると聞いたからでした。 国会議事堂近くのホテルをチェックアウトした後、早朝に、空港行きのタクシーを拾います。目の前を通ったタクシーに、いきなり乗車拒否される。あれ、日本でも乗車拒否ってあるんだ、よっぽど怪しい人間に見られたのかな、と思った瞬間、もう一台が通りの向こうの反対車線に停まりました。若い運転手さんが、車内から手を上げてくれたので、通りを渡って乗り込みます。 乗ると同時に「お客さん、さっきのタクシーのナンバープレート、メモりました?」と聞いてくる。「なんで?」と答えると「あんなひどい乗車拒否、クレーム出しましょ!」と。あははと笑うと「いや、いや、真面目な話。3日間の業務停止になりますから」と真剣なトーンで答えられました。 「明け方だし、やっと勤務終了したとこだったんじゃない?仕方ないよ」と答えるも、結果、羽田空港までの道中、延々と具体的なクレームの出し方をレクチャーしてくれました。「同業だろ?あんまり仲間を売るなよ」その20台半ばに見える運転手さんにそう言うと「同業ってことはライバルですよ、ひとりでも減らしたいじゃないですか」とまた真面目なトーン。日本ってそこまですさんじゃったの? 「ま、僕はラッキーですけど、空港までの太いお客さんを拾えて。20時間ぶっ通して働いて、最後にデカイ客乗せられましたから」。ちょっと、待て。20時間ぶっ通しで勤務って、危険じゃないか?おまえんとこの会社にクレームしたいよ。 成田からわずか2時間半で台北に到着します。7年ほど前に来た記憶はほとんどなく、あれ、こんなに暖かい国だっけ。そういえば、沖縄より下の南国。結局、滞在中はずっと半袖で過ごすことになりました。 空港から台北市内のホテルまでタクシーで移動。降りた際に気が付いたのは、異常にタクシー代が安いということ。実際に、台北在住の日本人のお客さんとあった際、「台湾は、どこに行くのもタクシーを利用してください」と言われました。理由は安いから。実際、この後の台中、台南、高雄も、市内はすべてタクシーで移動しまくりました。1週間、さんざんタクシーを利用しまくって、合計1万円もしなかったと思います。台湾から羽田に戻って、新木場あたりのホテルに行くのに、1万円かかりました。やはり物価はすべてにおいて、日本よりやや安い。 昼過ぎに台北のホテルに到着するも、チェックインまでやや時間があったので、市内を意味なくふらふら歩きます。知ってはいたけど、街は本当に日本語と日本のチェーン店だらけ。星野珈琲なんて、まるまる日本の立て看板メニューをそのまま店頭に立て掛けてました。台湾の人、みんながみんな日本語を読めるのだろうか。それとも、アレかな、日本で全文英語のメニューや、全文英語のキャッチコピーの広告を読めなくてもありがたがる、あの感覚なのかな。

チェックイン前に、ホテルの受付で近所のマッサージ店の場所を聞いてみる。マッサージマニアの僕はアジアに行くたび、毎日のように目に入ったお店に飛び込みます。ホテルの日本語の堪能な女性スタッフが、「女の子のお店ですか?」と聞いてくる。最初は意味がわかりませんでしたが、「あ、そっちじゃなくて。普通の方」と答えます。 別に「そっち」でもいいんだけれど、そっちだと従来のマッサージのように、凝りまくった首や肩をほぐしてくれなさそう。ホテルの真横にあると聞き、行ってみると、額に絆創膏を貼ったおばさんたちの、いかにもプロっぽい集団が店内に並んでいたので安心します。 毎回、思うことですが、アジアのマッサージはクオリティーも高く、値段が安い。ニューヨークはクオリティーが低く、値段が異常に高い。なので、「行かなきゃ損」とばかり、滞在中は毎日のように通います。今回も、台北にいる間は毎日のように通いました。 そこから5日間をかけて台湾を新幹線で縦断します。国というにはあまりに小さい。最終日、最南端の高雄(ガオシュン)から最北端の台北に戻るのに、2時間半しかかかりませんでした。もっとも印象深かったのは台中。特に何が、というわけではありません。 過去、世界の100都市ほど行きましたが、たまぁに、意味なく気に入る街があります。ちょっと懐かしいような、初めてなのに以前にも来たような、そんな感覚になる街。今回は台中でした。気のせいだとは思うけれど。ニューヨークでもよく飲む、大好きなタピオカティーの発祥のお店に行けたのが嬉しかっただけなのかもしれないけれど。 台南では念願の檳榔(びんろう)を試しました。以前、日本のテレビ番組で紹介されていたので、台湾に行った際には、試してみたいと思っていました。檳榔とは、台湾に流通する嗜好品で、噛みタバコみたいなものです。ウィキペディア等で調べてみてください。 ヤシ科の食物を細かく切ったもので、噛むことにより覚醒効果もあるようで、言ってみれば「合法ハーブ」。普通に路上で売られています。たぶん、ビニールの小袋に6つくらい入ってたかな。日本円で200円くらいだったと思います。 で、1個目で「まずい!」と吐き出してしまいました。中学生がいきがってタバコを試したような感覚です。どうしても2個目を試す気にならず、そのまま捨ててしまいました。檳榔は別に台湾限定ではなく、東南アジア各国でも売られているそうですが、人生で今後試してみようと思うことは、もうないです。 高雄(ガオシュン)ではフェリーに乗って対岸にも行きました。ひととおりガイドブックに載っている、観光名所や名産は試してみました。子供ができて以降、僕の海外ひとり旅は、普通の観光旅行に変わりました。昔のように、ロッテルダムの港の、夜中から開く違法カジノに潜入したり、ローマでアラブ系のギャングに囲まれたり、ロンドンのぼったくりバーで拳銃突きつけられたり、は一切なくなりました。そういうところに近づかなくなりました。それでよかったと思う時もあるし、ちょっとだけさみしく感じる時もあります。

「新元号発表」を街頭で見て気づいた日米最大の違い

東京に戻って、台湾以上にマッサージ店が格安になっていることに驚きました。新木場のホテル近くにある「1時間2980円」の看板に驚き入店すると、更にキャンページ中で500円引きだとか。2500円で1時間、一生懸命、おじさんマッサージしてくれました。2500円で人間が人間に60分も必死でサービスしてくれる。発展途上国並みのデフレに驚かざるを得ません。 なんだか、途中で申し訳なくなってきた。しかもクオリティーがアジア諸国よりも高い。おおげさでなくニューヨークの5分の1の価格で、5倍クオリティーが高い。もうなんのためにニューヨークみたいなところに住んでいるのかわからなくなります。 新元号が発表されるそのタイミングで、新宿はアルタ前にいました。たまたま午前中、代々木で打ち合わせだったので、そういえばと気づき、徒歩でアルタの大型ビジョンの前まで移動しました。ちょうど発表の30分ほど前でした。結構な人だかりとテレビ他取材陣。テレビで見たことがある芸人さんの姿もチラホラ。 いよいよ発表前になってくると、なぜだか緊張してきます。勝手に色々と何の根拠もなく、さまざまな元号を予想していましたが、すべて外れ。「令和」と発表された時は、これまた根拠なく「なんか、いいな」と思いました。なにか、凛とした感じで、由来等を聞く前に、その瞬間、「あ、きれい」と感じました。語感だけなら「へいせい」よりずっとカッコいい。 ただ、ひとつ、難癖つけるなら、発表する菅官房長官の、発表の仕方の下手すぎること、目も当てられない、ということぐらいだけでした。どうして、あそこまで下手な発表ができるのか。全然、カッコよくない。いや、カッコいい必要もないのだけれど、それにしても、グダグダ感がいやでした。 バラエティ番組でフリップボードを出すことになれている芸人の方がはるかに、カッコいい発表の仕方ができたんだろうなぁと思います。日米間のいちばん大きな違いは政治家の見た目、間の取り方、パフォーマンスのカッコよさ、ではないでしょうか。 さくらが散る前に、日本に行けてよかった。

image by: StreetVJ / Shutterstock.com

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全米発刊邦字紙「NEWYORK BIZ」CEO 兼発行人。同時にプロインタビュアーとしてハリウッドスターをはじめ1000人のインタビュー記事を世に出す。メルマガでは毎週エキサイティングなNY生活やインタビューのウラ話などほかでは記事にできないイシューを届けてくれる。初の著書『武器は走りながら拾え!』が2019年11月11日に発売。

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【著者】 高橋克明 【月額】 初月無料!月額586円(税込) 【発行周期】 毎週水曜日

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