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千円札の新しい顔、北里柴三郎が疾走した「熱と誠」というレール

破傷風は、傷口から破傷風菌が侵入し最後は手足切断・死に至るほどの感染症として怖れられてきました。その治療法を見出すなど医学の発展に多大な貢献をした「日本細菌学の父」と呼ばれる人物が、新千円札の肖像に選ばれ話題となっています。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、そんな北里柴三郎が人生で大切にしてきた2本のレールについて、京大総長・荒木寅三郎とのエピソードを交えつつ紹介されています。

北里柴三郎が貫いた人生の2本のレール

一万円の新紙幣に肖像画が用いられることになった渋沢栄一に注目が集まっていますが、千円札の新紙幣に肖像画の採用が決まった北里柴三郎もまた、大変な功績を遺した偉人です。

本日は『致知』2017年2月号に掲載された編集長コラム「総リード」にて、北里柴三郎の生き方に光を当てます。

特集「熱と誠」

人生には二本のレールが必要だ。

新幹線も二本のレールがあるから

どこまでも走って行ける。

森信三師が言っていたという。弟子の寺田一清さんから聞いた。

では、何をもって人生の2本のレールとするのか。思い浮かんだことがある。

『致知』平成25年6月号にご登場いただいた北里柴三郎の曾孫英郎さんの話である

1891(明治24)年、ベルリン滞在中の北里柴三郎を一人の青年が訪ねてきた。ストラスブルグ大学留学中の医化学生で、後に京都帝国大学総長となる荒木寅三郎である。

時に柴三郎38歳、寅三郎25歳。

柴三郎は33歳で内務省衛生局からドイツへ留学、コッホのもとで研究に打ち込み、1889(明治22)年、当時誰もが成し得なかった破傷風菌の純粋培養に成功、世界の医学界を驚かせた。さらに翌年、破傷風菌に対する免疫抗体を発見しこれを応用した血清療法を確立、「世界の北里」と評価される存在になっていた。

その柴三郎を一学究が訪ねたのである。

何か悩みがあるらしい後の帝大総長に柴三郎はこう言った

「君、人に熱と誠があれば何事でも達成するよ。よく世の中が行き詰まったと言う人があるが、これは大いなる誤解である。世の中は決して行き詰まらぬ。もし行き詰まったものがあるなら、それは熱と誠がないからである。つまり行き詰まりは本人自身で世の中は決して行き詰まるものではない

当時、近代医学における欧米諸国と日本の格差は圧倒的なものがあった。この彼我の差を克服すべく、さまざまな困難と闘いながら自ら一道を切り拓いてきた柴三郎。その体験が言わせた信念の言葉である。

この言葉が若き一学究の心に火をつけた。

その火は荒木寅三郎の生涯を貫いて燃え続けたのではないか。そう思わせる一文が『平澤興一日一言』にある。

1920(大正9)年9月10日、京都大学の入学式で総長の荒木は訓辞を行った。その一語一語に全身を熱くして聞き入る新入生がいた。後に京大総長となる平澤興である。平澤はこう書いている。

大正9年9月10日、それは私にとって生涯忘れえない、京都大学への入学式の日である。忘れえないのは、大学の大きさでも、講堂のすばらしさでもなく、総長荒木寅三郎先生の熱と誠に満ちた新入生に対する訓辞であった。

 

総長の口から出る一語一語はまさに燃えていた

そして、こう続ける。

先生は学徒にとり最も重要なものとして誠実情熱努力謙虚を挙げられ、これらについて、それぞれ自らの体験と史上の実例などをもってくわしく説明され、われわれは催眠術にでもかかったように、全身全霊でこれを受けとめた。

 

この訓辞は私にとって決して遠い過去のものではなく、私はさらにこれを私のからだであたため私自身の経験をも加え、その肉づけを続けて今日に至った

 

いわばこの訓辞は、生涯私とともにあって私を導いてくれたのである。

人生に大事な2本のレールとは何かが、この二つの逸話に鮮明である。

熱と誠

私たちもこの2本のレールをひた走りたいものである。

image by: 北里大学(学校法人北里研究所北里大学))- Home | Facebook

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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