意外なほど多い、母親との関係に悩んでいるという方の存在。「うちの母親はおかしいのかもしれない」という葛藤は、一番近い相手であるからこそ考えつくことすら難しく、それを乗り越えるにも多くのプロセスを必要とするようです。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、「毒親」である母の呪縛からの「距離のとり方」を紹介しています。
母と娘
さて、本日はママのお話。
仕事柄たくさんの方にお会いして、いろいろなお話をお聞きすることが多いんですが、その中で非常に多くの方が
- 母親との関係に悩んでいる
と感じます。
毒親という言葉がありますが、まさに毒のようであり親御さんとの関係で驚くような体験をされています。たとえば
- 言葉がきつい
- 暴力的
- 子供のやりたいことに否定的
- 価値観を押しつける
- 過干渉
- 奉仕を要求する
- 独立や一人暮らしに反対する
……などなど。まあ、全部当てはまることはマレかもしれませんが、複数当てはまる方は多いようです。
人生で長く関わる大人から、このような扱いを受けるのは辛いですよね。
この母親との関係…というか母親像を再構築するには、ひとつのパターンがあること気が付きます。そのパターンとは、
- 親の異常さに気づく
- 素の自分のままで良いことに気づく
- 母が万能ではないことに気づく
で、この段階を踏んで葛藤が解決されていくのです。です。うん、なーんとなく分かりますよね。大半の問題って、このパターンに似たプロセスを辿って解決されるんじゃないでしょうか。
さて、1.は、問題が認識されることそのものです。
親という存在は、そんなにたくさんいるもんじゃないですよね。日本では生物学的な親が社会的な親も兼ねていることがほとんどなので、事実上一組の男女だけが親なのです。
つまり、唯一にして代替不能な存在であるため、自分の親の
- 言動を相対化するのは難しい
のです。ある言動が冷たいとかキツいとか判断できるのは、
- そうではない別の振る舞いと比べるから
です。ということはつまり、比較できない唯一無二の存在について、その存在の性質を理解することはできないのです。唯一無二とは、他に替えることができないもの、比べられないもののことを指すのですから。
このため、対象たる親の言動を責めるのではなく、むしろ自分が悪いのかもしれないと思い込んでしまうのです。
それでも、子供の世界が広がっていくにつれて、状況は変わります。おそらく友達の親の言動を見たり聞いたりするうちに、自分の親の異常さに気が付くのでしょう。友達の親という、最もよく似た比較対象が現れて初めて1.は可能になるのだと思います。
2.は、母親の言動に傷ついたり否定された自分自身を見直すプロセスです。
毒になるような親は、フツー娘を褒めたりしません。例外もあるでしょうが、多くは否定的で侮辱的で高圧的です。このため、娘はすっかり
- 自信をなくしている
んです。そりゃそーですよね。毎日毎日、自分にとっての神のような存在の人から傷つけられ否定されれば、誰だって自信なんて持てなくなりますよね。
ところが、本当の自分はそれほどヒドいわけではなく、
- ヒドいのは親の言動
だと気が付く瞬間が来るのです。きっかけはいろいろですが、自分自身がそこまで蔑まれるような存在ではなかったのだと思い直せることが重要です。
ちなみにワタクシ。毒親ではないですが、結構言葉のキツい母親に育てられました。容姿とか要領とか器用さとか、いろいろ言われて傷つき大学を卒業するくらいまでホントにまっったく自信がなくいつも人に笑われているんじゃないかとビクビクしていて、人付き合いが苦手でしたね。しかも、人付き合いが苦手なのが親の毒舌による自信のなさだと長い間気が付かなかったので辛かったですね。ハハハ。あった、あった、そんなこと(*^ー゚)
閑話休題。おそらくこの2.の段階で、親に怒りを感じない娘はいないでしょう。ここは怒ってもいいところだと思いますしね。
ところが本当の解決には、もう一段あるようです。3.が、その段階です。母親もまた、ただの人に過ぎず、万能なはずがないということを理解するまたは受け入れる段階です。ここが一番根深いんじゃないかと思うんですよね。
親に対する怒っているということは、もっとこうしてくれてもいいはず!という
- 理想と現実のクイチガイ
があり、そのクイチガイに怒りを感じているわけですよね。理想とする母の姿と現実の母の姿が違いすぎ、その差分が怒りの大きさになるわけです。
- 理想と現実のクイチガイ…
誰しも自分の親になんらかの期待を持つのは当然です。またここで言う「現実」とは毒親と言われるほどの人たちなのですから、理想が云々というより現実がひどすぎると言えるでしょう。なので、これは言い過ぎかとも思うのですが、敢えて誤解を恐れずにいえば、この問題の根底にあるのは、日本人あるいは日本社会にある
- 母性に対する過剰な期待
なのではないかと考えています。だってさ。母が万能ではないことに気づくって…逆に言えば、
- それまでは母が万能だと思っている
ということですよね。
えーと、もう、こうやって書いてみるだけで分かることですが母親は、それ以外に妻だったり娘だったり姉だったり妹だったり叔母だったり姪だったり、ま、なんでもいいや、するわけですがそれらひとつたりとも
- 万能さを求められたりしない
ですよね。それなのに、対子供についてだけは、いきなり万能になっているんです。おかしいですよね?
この、大地母神を求めるかのような過剰な期待が、育児という場面では
- 通常分娩が愛情の証し
- 完全母乳でしょ
- 離乳食は手作りでなきゃ
- 通園グッズは手縫いで
- お弁当に冷凍食品なんてトンデモない
等々、新米ママさんたちを圧死させるようなプレッシャーとなって現れるのではないでしょうか。
※ こうした母娘の葛藤のテーマは、実は古くから日本にあるのです。なので、このテーマの本も結構あるんですよね。少しご紹介しておきます。興味のある方は読んでみてくださいね。
●『母・娘・祖母が共存するために』
●『愛すべき娘たち』
●『逃げたい娘 諦めない母』
●『母乳がいいって絶対ですか?』
他にもたくさん出ていますが、私的面白い本をピックアップしてみました♪テーマがテーマなので重たいですが、是非手に取ってみてください。
母親との関係について、認識→自分の再評価→母親の再評価というプロセスを経て葛藤を克服していくように想います。そして、この問題の根底にあるのは
- 母親万能感
ではないかというお話でした。
この母親万能感っていうのは、要するに
- お母さんはなんでも出来る!
です。
- 海より深い愛情
- 魔法のような家事力
- なんでも包み込んでくれて
- いつでもニコニコしていて
みたいな( ̄∇ ̄)
あああ、おかしすぎてヘソがTEA沸かしちゃうわ( ̄∇ ̄)これはあくまで潜在意識の中にある母親像であり、生身の個別の具体的な母親ではありませんよ、念のため。
この母親像の強さは、おそらくその社会や民族といったところからも影響を受けるはずです。この点、日本の社会は、こうした万能な母親像に対する期待が
- かなり強い社会
なのではないかと思います。まあ、他の国にも、同じような傾向の国はあるはずなので、そうだとするとこれらの国でも母と娘の葛藤や毒親が同じように問題になっているはずですが…残念なことに、ここが分からないんですよね。なので、あくまで私の個人的な感覚ということになります。
こうした大地母神的な母への期待と毒親とくに毒母親は、表裏一体です。神のような万能さと支配力という点で、両者は共通していますから。
……ということは、つまり。毒母親の影響を完全に離脱するには
- 大地母神的な母を否定する必要がある
のだと思います。大地母神的な母、つまり万能で支配力が強いことを否定するのです。母親というものは、そもそも
- なんでも出来るように見えてしまう存在なのだ
- とてつもなく支配力が強い存在なのだ
とよくよく認識しておくことです。その上で、母親に出来ないことがあれば、「ほーら、自分と同じ」と受け止めて
- 母親に対する万能感を常に否定する
ことです。いや、なんだか性格が悪い振る舞いですが( ̄∇ ̄)、このくらいでちょうどイイんだと思いますよ。なにせ相手は、潜在意識下の大地母神ですから。
また、母親の支配力はとても強いので、
- 基本的には距離を置く
ことです。引っ越しなどで物理的に距離を置くのはもちろん、LINEや電話なども意識的に回数を減らすことです。
こういうことをやってみて、支配力から解放されて初めて、どれほど支配されていたか分かるからです。思っているよりずっと支配されていますよ。
ちなみにワタクシ。毒親というほどではありませんが、やはり母親の支配力から脱出するのに苦労しました。母親と父親は仲が良かったので、意見が一致しやすく、イキオイ私が意見を言っても二人に言い返される…言いくるめられる形でした。オトナ二人に言われると、自分の意見がツマンナクて意味のないもののように思えちゃうんですよね。
こういう支配力から逃れられたのは、
- 兄弟からの同意と応援
- 物理的な距離
でしたね。同じ親から生まれた同じ子供という立場に立つ人がつまり兄弟姉妹が同じように
- あ~、距離があった方がいいよね~うん、うん
と同意してくれるのは、もう、100万の味方を得たような気持ちでしたね。
根深い問題を持つ母と娘の葛藤。ご自身と母親、あるいは母親としての自分を振り返ってみてくださいね。
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